#173 「書くこと」の小さなこだわり(所見を書き始めて思ったこと)
3学期の所見を昨日から書き始めてみました。
いつも「どうやって書こうか」悩みます。
「一時間で何万字書けた」とか「所見の枠を速く埋められた」ということではないのだと思います。
文字を枠に埋めるだけなら、今まで書いてきたフォーマットに当てはめていけば多分すぐに書くことはできそうです。
もしかしたらAIに〇字以上〇以内で所見を書いてくださいと言えば、5分くらいで全員書いてくれるような気がします。
そうではなく、本当にどうでもよいことかもしれませんが、自分の中で「今までと違う『書き方』を見つけたい」という変なこだわりがあります。
初任の頃は、所見をどうやって書いたらよいか分からず、
ノートやメモを見ながら、文章を何とかひねり出し、文字数が多ければ文を削り…と所見を書くのに何日もかかっていましたが、「書き終わった後の達成感」みたいなものがありました。
しばらく続けているうちに、
「 (生活) 」では、( )たり( )たりしました。「(教科・単元)」の学習では( )をすることができました。これから( )を大切に頑張ってほしいと思います。
みたいなフォーマットが自分の中にできて、すらすら所見が書けるようになってきました。
しかし、書き終わっても以前のような「達成感」はなく
どれも同じような文章で、書くことが「作業」のようにつまらなくなってしまいました。
そのため、毎年自分の中で、「何か新しい視点」や「目標」を入れて所見を書くようになりました。
本当に些細なことですが、例えば、
「今回は子どもの資料に全部目を通してから書いてみるか」とか
「今回は具体的な子どもの発言を入れてみるか」
「キャッチ―な言葉づかいにこだわってみるか」
「一人ひとり違うフォーマットで書いてみるか」
「今回書いたことが将来にどうつながるかという事を最後に書いてみるか」…
といったように、今まで試したことのない「書き方」や「文章の視点」、「文章の見せ方」などを所見の中で試していくようになりました。
今までと違う「新しい書き方のこつ」が見つかると「本を読む視点」や「子どもたちを見る視点」、「自分が話す時の言葉の選び方」なども変わってくるので、面白いのだと思います。
そうすると「書くこと」自体もまた楽しくなってきます。
論文や指導案を書く時も似たような感覚なのかもしれません。
「毎回そんなことをしていたら、時間が足りなくなるでしょ」というのは自覚しているので、だらだら時間をかけて書きたいわけではなく、2日とか6時間とか決められた時間内で、納得のいく文章を書くことを楽しむようにしています。
毎回0から文章を考え始めるので、「あまりうまく書けなかった」という時ももちろんありますし、すっとよい所見が書けるという時もありますし、試行錯誤しながらやっています。
ぐちゃぐちゃと頭にある情報がきれいにまとまる瞬間は面白いですし、
不思議とその時の自分にしか書けない文章の勢いというものもあります、
書くことがまとまらずあきらめた次の日に10分くらいで完成することもあります。
そう考えると、「文章」というものはまだまだいくらでもよい「書き方」があるのだと思います。
今回、いつもより、少し力を入れて所見を書こうと思った理由の一つに
隣のクラスの「子どもが書いた作文」があります。
先日行った音楽会の作文なのですが
私が普段あまり文章を書かない子が作文用紙2枚も書いていたので驚きました。
全文は紹介できませんが
「おうちの人がたくさんいてきんちょうしました」
「いちばん いい はっぴょうかいでした」
「せかいでいちばんいい おと もしました」
「○○のせんせいにもほめられました」
「もういっかいやりたいです」
という事が書かれていました。体験や感動がここまで子どもに文章を書かせるのだなと思ったのと同時に、自分のクラスはそこまで深く書けなかったなと思いました。
これは自分のクラスの子どもが悪いのでなく、担任である自分自身が人を感動させるような文章を、意識して書いていなかったからだと反省しました。
この子の作文に刺激を受け、どうせ書くなら決められた時間の中で、自分も「人の心を動かすような文書」を書けたらいいなと思いました。
今回、自分が試そうと思っているのが、
子どもが書いてきたワークシートの中から、気になったワークシートを一人一枚を選んで、書かれていることの意味や価値を分析して所見にしてみることです。
ワークシートやプリント一枚からでも、その子の頑張りや人間性は見えてきます。
また、書く時に次のような視点で書くと、平面的な文章でなく、所見に「奥行き」が出てくると感じました。
〇一つの場面からでなく、いろんな資料や行動から分かるその子の「傾向」を書く。
〇その子の活動や、やっていることを理論的に説明する。
〇具体的な言葉や記述を入れる。
〇この活動がこれからその子の人生においてどういう意味があるのかを価値づける。
同じ文字数でも、言葉を選んでこれらの視点を意識して書きたいと思います。
所見に限らず、授業でも、お笑いでも、楽器の演奏でも、手品でも何でもそうですが、自分は
「目の前で何か作り出される瞬間」が好きなのだと思います。
「この時この人はどんなことを考えているのかな」とかそういうことを考えるのが楽しいのだと思います。
この「頭の使い方」が言語化できることが楽しいです。
今回この記事(#173)を書く前に、自分の頭の中に次のようなことが散らかっていました。
・子どもの作文のこと
・文章の奥行き
・瞬間的な思考と表現
・文字を書くことのこだわり
これら一つひとつは、内容としてはバラバラですが、「所見を書きながら思ったこと」なので、一つの「文脈」で書いた方がよいと思い、今回一つの記事に無理やりまとめました。
一見つながりのないような文章も「順番」を変えると読みやすくなることがあります。これは「書くこと」における「文脈」なのだと思います。
しかし文章の順番が変わると、言いたいことが唐突になったり、上手く伝わらなくなったりするので難しいです。
ただの内容の羅列ではなく、順序を考え、「言葉のバトンパス」がきれいにできている本や文章は改めてすごいなと思います。
仕事の事、家の事、趣味の事、楽しかったこと、腹が立ったことなど…日々頭の中には、いろんなことがごちゃごちゃと散らかっているのだと思います。
「書く」というのはそれを整理する作業なのかなとも思います。
・書くこと(伝えたいこと)全て入れるとしんどくなる。
・短く小出しに書いてみる。
・内容ごとにわかりやすく切ってみる。
・内容をバラバラに分けすぎると文脈を忘れてしまう。
・抽象度がずれていると読みにくくなる。
・短い言葉で表現できないか考える。
・内容の重複がないか考える。
・もっと良い言葉がないか考える。
・こだわりすぎると書けなくなる。
・題目も書いていくうちに変わる…
など「書くこと」自体を客観的に見ても、色んな要素がありますし、まだまだよい文章表現がいくらでもあると改めて思いました。
所見を書きながら、何か気づいたことがあればまた紹介していきたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
(追伸)
所見を書く時はいつも何か考える事があるようで、過去の自分の記事を調べたら結構出てきました。同じようなことを書いているかもしれませんが(笑)また読み直してみます。
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