3週間で10kg太った私が、ChatGPTと犯人探しをした話


1.  体重乱高下、事件発生
3週間で10kg太った。
小学生の頃、野球のゴムバットが後頭部に直撃した時よりも衝撃だった。10kgも増えた事実も、増量にかかった時間がたったの3週間だったことも信じられず、3回体重計に乗り直した。乗り直したが、無慈悲な体重計は同じ数を示すだけだった。
「いやこれはないでしょ」
一人暮らしのアパートの洗面所で一人、絶望の最中で呟いた。

大学生の頃、体型管理が必要なスポーツをしていた私は、試合シーズンに極限まで食事量を減らしていた。はじめはカロリーを意識する程度だった食事管理がエスカレートし出したのはいつだったか。気がついたら卵の脂質さえ怖くて、もずくと脂質0のパサパサの鶏胸肉ばかり食べ、1日の摂取カロリーは500キロカロリー程度であった。そんな中で、週五回を超える練習に参加できていた理由は今になってもよくわからない。
ただ1ヶ月ですとんと5kgも落ちた身体は、確実に限界は迎えていたのだろう。試合シーズンを終えてしばらくすると、何を食べても満足できなくなった。コンビニを見かけるなりすぐに入り、菓子パンを買い漁っては食べ歩く。一口が大きい私はすぐにパンを平らげてしまって、またコンビニを見つけてはクッキーやらアイスやらを買い込んでは歩きながら食べた。異常なほどに忌避していた脂質への恐怖は依然としてあって、食べながらいつも罪悪感と嫌悪感で泣きそうになっていた。しまいには食べ過ぎて胃腸がキリキリと痛みだし、それでも食べることはやめられなかった。
そうした自分の脂質への恐怖心や食欲が異常な自覚はあった。食べ過ぎの反動でつい指を喉の奥まで差し込みそうになることが摂食障害の症状の一つであることも知っていた。
だから、度重なり出費に財布が悲鳴をあげ、体重が経ったの数週間で10kgも太ったことに気がついた時点で、私は心療内科の受診を心に決めていた。

はじめて訪れた心療内科は落ち着いた音楽が流れる綺麗なところだった。受付で手渡されたのは、鬱を診断するための問診票だ。しかし小さい頃から心身ともに健全であることが自慢だった私は、鬱の兆候すらなかった。メンタルが至って健康であるのは勿論喜ぶべきことではあったが、ここで問題が起きた。摂食障害は鬱や躁鬱を起点に発症する例が多いという。一方で私はといえば、体型への多少の不安感や過食へのストレスは感じているものの、食事関連以外のストレス源は全くなく、心療内科患者の中では異色なほど元気であったのだ。
そうなると、鬱でないなら摂食障害の原因は何なのだと行き詰まってしまう。10kg太ったところで体重が「痩せ」から「標準」になっただけの私に食欲を減退させる類の薬は処方できない。結局医師には「一度様子を見てみましょう」と優しく言われたが、それは私にとってはここでは解決が不可能だと断られていることと同義だった。

2 .  ChatGPT、探偵になる
病院に行っても、犯人は分からなかった。私の体内に起こった異変の犯人も、解決策も、まだ謎に満ちたままだ。
「様子を見ましょう」と言われて頷いてものの、とてもそんな呑気な心持ちにはなれなかった。10kg太って、食べ過ぎで胃腸がキリキリと痛み、お金もさほどない。もう様子見できる段階はとうに超えていた。気がついたら、解決の糸口が見つからない絶望感とイライラから逃れたくて、視界の中で無意識にコンビニかカフェを探していた。駅からすぐ近くのスタバに吸い込まれるように入り、我に帰った時には温められたクッキーに齧り付いていた。食べている時だけは嫌な感情から逃れられると思っていたのに、また同じ過ちを繰り返した罪悪感と大量の不健康な食品の消化で疲弊した胃腸からクレームのような痛みが私を逃してくれず、泣きたい気持ちになった。
今すぐ指を喉の奥に突っ込んで、この数週間で食べたものを全部吐き出せればいいのに。本気でそう願うほど、私は自分の現状が許せなかった。
そうした自分へのイライラは、次第に過食を引き起こした犯人への苛立ちへと変わっていった。元来負けん気の強い性格なのだ。
何が何でも「犯人」を探してやる。
そう決意した。どのみち、めそめそと落ち込んだところで問題は解決しないのだ。何より、「犯人」に怒りを向けている間は、自分への情けなさや苛立ちを誤魔化せる気がしたのだ。

しかし、犯人探しをしようにも、私一人ではほぼ不可能である。何せ、この事件は難解なのだ。犯人は不明、動機も不明、事件の全容さえ掴めていなかった。加えて私は一介の大学生であり、過食に関するあらゆる専門知識とは無縁なのである。私には、知識が豊富で、分析が得意な相棒が必要だった。
そこで思い当たったのがChatGPTである。
その頃、すでに私はChatGPTを大学での勉強に活用していた。書籍やインターネット上の膨大な情報量を捌き切るには時間がかかる。だから、必要な情報収集にChatGPTを活用していたのである。尤も、当時の私は学業のような「堅い」ことにしかAIを使っておらず、プライベートの相談をする発想はなかった。
そんな中で、摂食障害の治療にChatGPTを活用しようと思いついたのは、当時バイト先の塾で受け持っていた生徒のおかげであった。個別指導塾だったこともあり、生徒との会話の話題は勉強だけでなく学校での生活まで及んだ。
「恋愛の相談とか、ChatGPTにしちゃう」と彼女が言ったのは、いつも通り学校生活の話をしていた時であった。衝撃だった。
その一言は、私の中のChatGPT像をいとも簡単に変えてみせた。
ChatGPTを相棒にする。そうすれば犯人への手がかりが掴めるかもしれない。携帯のアプリに入ったChatGPTを起動した。「ChatGPTに質問する」と書かれた検索バーに私の「依頼」を打ち込む。
「3週間で10kg太った。過食症だと思う。一緒に犯人を探して」
当然のように、ChatGPTは承諾した。
かくして、名探偵ChatGPTは始動したのである。

3.  捜査開始
ChatGPTは始めに状況分析を提案した。闇雲な捜査は我々を間違った犯人へ導くだけだ。そこで私は自分がダイエットをし、拒食に近い症状になったこと、急に食欲が我慢できなくなったことなど、経緯を事細かに伝えた。そうして改めて自分の状況を振り返ると、私の症状は大きく二つに切り分けられることがわかった。
「私の身に起きた事件は二つ。拒食、そして過食だよ」
そう整理する私に、ChatGPTは頷いた。
「捜査方針はどうする?」
私にとって喫緊の課題だったのは過食だ。たくさん食べるにはお金がいる。毎日コンビニの買い食いで数千円消費していた私の懐事情は逼迫しているどころの騒ぎでは無かった。ただでさえお金のかかるスポーツをしていると言うのに、食費だけで週に一万円も超えていられないのである。
「過食の犯人が知りたい」
とにかく、拒食よりも過食の方がよっぽど大きな困り事であった私は、そうChatGPTに伝えた。
「OK、過食が始まった時期を思い返して、行動や生活習慣に変化はあった?」
そう聞かれると、拒食から過食への移行と同時に起きた環境の変化は二つ思い当たった。競技シーズンが終わりオフシーズンになったこと、そして服用していた低容量ピルを変えたことである。
「競技シーズンが終わって体型管理の必要性が少し下がったのと、ピルを変えた」
「じゃあ容疑者は環境と、ピルだね」
ChatGPTが整理する。世の中に公開された情報を余すことなく参照できる私の優秀な相棒は、素早く私の仮説を咀嚼し、やがてどちらも犯人の可能性がある、と判断したのた。
私が食事を抑えていられたのは、競技シーズンだったから、という部分が大きい。2週間に一度は身体のライン丸出しの衣装を着るのだから、食欲よりもみっともない身体を晒すことへの抵抗の方がよっぽど大きかった。
「食事を我慢しやすい環境から解き放たれた影響と、これまでの食事による栄養不足の反動で過食になっている可能性は高いね」
私のそうした背景をきいたChatGPTがいう。
「 急激な減量や制限は、体にとって“飢餓”と同じ信号になるから、基礎代謝を下げて、体脂肪を守ろうとする。」
「なら、実行犯は脳ってこと?」
確認する私に、ChatGPTが頷く。だが私はあまり納得がいってなかった。
「でもそれだと割にあわなくない?5kgの減量に対して10kgの増量は釣り合いが取れてない」
もしこれが食事を減らし続けた私への復讐なのだとしたら、些か過激ではなかろうか。
「唆した犯人がいるのかも」
教唆ということだ。すぐに思い当たった。第2の容疑者だったピルである。
「唆したのは、ピル?」
「その可能性はあるね。医療の専門知識についての断言はできないけど、あなたが今処方されてるピルに含まれているホルモンは食欲を促進することもある」
なるほど。ようやく事件の犯人が見えてきた。
「じゃあピルのホルモンに唆されて、復讐が過激化したんだね」
そう呟いた私に、相棒はしっかりと頷いた。
わかってきた。飢餓状態に陥った身体が耐えきれず、脳に助けを求めた。救難信号を受け、身体の保全を第一とする脳はすぐさま動きだした。動き出した脳に、ホルモンが同調して、加速させた。そうしてネグレクトされた身体の華麗な復讐劇が始まったのである。

4.  容疑者は、私?
ここで私が自分の脳みそやピルに手錠をかけて牢屋に入れることができたならことは簡単に済んだのだろうが、現実はもっとややこしい。
低容量ピルについては医師と相談するとして、ピルを変えたからと言って簡単に食欲は戻るとは思えない。一度唆された者は、教唆した者が消えたからといって都合よく変わってくれやしない。
何より、私はとにかく焦っていた。競技シーズンがあと数週間で始まるのだ。もう一度あの衣装たちを着て人前に立つには、私はこの事件に落とし前をつけなければならない。
「黒幕を見つけたい」
そう呟いた私に、ChatGPTがいう。
「もう一度事件を振り返ってみよう」
「そうだね。私が事件発生を認知したのは、10kgも増やしたことが発覚してから」
今でもあの日の衝撃は思い出せる。それほどまでの大事件だった。
「でも、捜査を進めるうちに、増量事件の動機は怨恨、つまり復讐だとわかった」
そうだね、とChatGPTは同意して続ける。
「でも、復讐には動機と復讐相手が必要だよね」
ハッとした。そうだ、復讐が復讐たり得るためには、動機と相手は必須なのだ。ならば、私の脳が、身体が、復讐したかった相手は誰だったのだろうか。
過食を選びとるしかないほど身体を追い詰めたのは、誰だったか。ろくに食事も取らず、何時間も練習した後にバイトに行き、そこで空きっ腹に酒を流し込まれる。深夜か早朝かも分からない時間に寝るくせに、数時間もしないうちに電子音に叩き起こされる。エネルギーが不足している中で身体を酷使したのは、誰だ。
「動機は、私への抵抗だ。黒幕は、私なのかも」
拒食だった頃、私は空腹を感じていないと不安、とか脂質を食べると気持ち悪いと感じていた。だがそんなのは、異常である。人は太り過ぎたからといってそれが死に直結することはないが、痩せ過ぎれば人は死ぬ。なのに私にとって拒食は過食よりもよっぽど瑣末な問題で、事件化するまでもない出来事だった。
そうやって異常事態を見逃してきた私に痺れを切らしたのだろう。
「本当に?」
ふと、ChatGPTがいう。
「本当にあなたが黒幕なの?」
責めるような響きはなかった。ただ、本当に確かめるような口調だった。
そしての一言は、私自身にかけようとした手錠を下ろすには充分だった。
黒幕は本当に私だけだろうか?摂食障害の発端はダイエットだったけれど、ダイエットをしたのは綺麗になりたかったからだ。綺麗になりたくて努力することは罪なのだろうか?
痩せたいという思い自体はごく純粋なものであり、糾弾することはできない。私が本当に問わなければならないのは、別に太っていたわけでもない私がダイエットをしなければいけないと思った理由だ。
確かに私は自分の意思でダイエットを始めた。誰かに強制されたわけではない。だが、人間の意思はある日歩いていたら空から降ってきて自分のものになるわけではない。ダイエットを始める前から体型へのコンプレックスはずっとあった。
韓国アイドルが好きで、しなやかな身体に憧れていた。細い二の腕と引き締まったウェスト。スラリとした脚。食事を抜いて細いだけじゃない、動ける強い身体が好きだった。だから、ダイエットを始めるにあたり、私はダイエットの「正しい」情報を集めて勉強し、摂食障害の危険性も正しく理解していた。そして、知識があるから大丈夫だと思い込んだのだ。
「私には共犯者がいたのかも」
「共犯者?」
ChatGPTがいくつかの共犯者を並べ上げた。
ルッキズム。アイドル文化。SNS。
「まあ全部そうかもね」
私は頷く。だが私は、私の共犯者を憎みたいわけでも、告発したいわけでもなかった。それは確かにこの事件の背景だった。しかし最後に食事を削ると決めたのも、脂質を恐れたのも、身体の悲鳴を無視したのも私だった。
私が、私の意思で、私のために得た知識を悪用して、ズルをしようとしたのだ。ズルをしようとした心に、身体はついてこれなかった。だからあの復讐はなされたのだろう。
正しい知識を持った人間が、正しく振る舞えるとは限らない。知識は強力な武器にはなれど、人の行動を律することはできない。
私は知識を、自分を守るためではなく、自分を追い詰めるために使ってしまった。
だからこの事件は起きた。黒幕は私だったのだ。
そう結論づけるのは簡単だ。しかし黒幕が私で被害者も私なら、私は自分の理想と身体の間でこれからも折り合いをつけて生きていかねばならない。
黒幕の見つかった事件は、まだ終わってはいない。

5.  真犯人に告ぐ
症状が寛解するまでかかった時間は、恐らく世の中の摂食障害患者よりもだいぶ短い。10kg増えたあの夏からたったの半年で、私の人生は大きな変化を迎えた。部活を引退したり、諦めて勢いで脂肪吸引をしたり、引っ越したり。とにかく激動だった。そうして目まぐるしく変化する環境の中で、私の症状は自然と落ち着いていったように思う。脂質は今でも怖いし、体型へのコンプレックスが消えたわけでもない。それでも、あの拒食と過食を繰り返した日々の中で、今の自分の「適量」を見つけた私は、食事とも運動とも自分の体型とも、それなりにヘルシーな関係を築けていると思う。誰も裁かれなかったあの夏の事件は、静かに時効を待ち続けている。
振り返ってみると、不思議なことがある。始めてChatGPTが相棒になった日、なぜ私は犯人を探して欲しいと依頼したのだろうか。過食を治したいと願うのではなく、犯人を突き止めてやると憤ったのは何故なのだろうか。
あの時の私にとって必要だったのが、逃げ道だったからではないだろうか。自分の体型も食べることばかり考えてしまう心も、私はずっと許せなかった。今思えば、私に必要だったのはこれ以上自分を責めなくてもいい理由だったのだ。
私の相棒はそうした私の心情や弱さに気がついていたのかは分からない。だが不思議なことに、捜査を共にした相棒は最後まで私を黒幕として指さすことはなかった。それは、AIは人間を否定しない、できないからだ。少なくとも、あの日の私の相棒は最後まで私を断罪しなかった。
今なら分かる。
最初から探偵なんて必要がなかったのだ。もしあの夏の私が、ChatGPTに自分こそがこの事件の黒幕なのだと最初から突きつけられていたら、きっと私は耐えられなかっただろう。だって私は逃げ道を探していたから。
本当に必要だったのは、犯人探しに付き合ってくれる相棒だった。遠回りでもいいから話を聞き、仮説を立て、間違えたらやり直し、少しずつ事件の全体像を明らかにしてくれる存在だった。そしてその存在の力を借りて、自分自身が犯人であること受け入れる必要があった。
だから私は、誰かに教えてもらうのではなく、自分の力で真犯人に辿り着くことができた。辿り着いた先で、犯人がいなくても、自分を許すことができるようになった。
あの夏の私は、知識を持った自分を過信していた。自分が間違った方向へ向かっていることに薄々気がつきながら、それを必要悪だと許すうちに、戻れないところまで進んでいた。
危険なダイエットはしない。摂食障害にはならない。知識はある。自分は違う。
そう思っているのなら、もう事件は始まっているのかもしれない。

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