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本の記憶

学生の頃、図書館へよく通っていた。

授業のためでもあり、レポートのためでもあり、理由はいろいろだった。

奥の書架まで足を運び、古い本を探すこともあった。

当時は、それが特別なことだとは思っていなかった。

ただ、本を探していただけだった。

けれど今になって振り返ると、あの場所には、本を読むこととは少し違う時間が流れていたような気がする。

書架には、背表紙がずらりと並んでいた。

少し色あせた背表紙。

角の擦れた表紙。

古い紙の匂い。

本はどれも黙っている。

それなのに、不思議とそこには静かな重みのようなものがあった。

棚から一冊を抜き出し、ページを開く。

すると、鉛筆で引かれた線に出会うことがあった。

今では、本に書き込むことはしてはいけないこととして受け止められている。

それでも、古い本の中には、鉛筆の線や書き込みがそのまま残っていることがあった。

誰かがその一行で立ち止まった。

誰かがその言葉を大切だと思った。

そう考えると、その本は急に、ただの印刷物ではなくなる。

そこには、その本に触れてきた人たちの時間が残っていた。

古本屋でも、ときどき驚くことがある。

以前の持ち主の名前ではなく、日付や宛名入りで、著者本人の署名が残っている本に出会うことがある。

偶然そこに置かれていた一冊が、その署名を見た瞬間、急に特別な時間をまとい始める。

もしかしたら、特別な本だったのかもしれない。

出版されたばかりの頃、手渡された一冊だったのかもしれない。

そんなことを考えると、本というものは、内容だけでできているわけではないのだと思う。

本は、文字を読むためだけのものではない。

ときどき私は、そう思う。

誰かが引いた一本の線。

ページの折り目。

少し黄ばんだ紙。

偶然出会った著者の署名。

そういうものに触れるたび、私は本を読んでいるだけではなく、本そのものを感じているのだと思う。

学生の頃、両腕いっぱいに本を抱えてキャンパスの中を歩いたこともあった。

重かった。

古い紙の匂いがした。

背表紙や表紙が腕にあたり、少し歩きにくかった。

それでも、その重さは嫌ではなかった。

その時、ふと、自分を少し離れたところから見ているような感覚になったことを覚えている。

本を抱えて歩く自分。

棚と棚のあいだを通っていく自分。

何かを探すために、古い言葉の中を歩いている自分。

それは日常の動作のはずなのに、なぜか少し特別なことのように思えた。

あの頃の私は、本を読んでいると思っていた。

本を探し、本を借り、本を抱えて歩いているのだと思っていた。

けれど今思えば、それだけではなかったのかもしれない。

本に触れ、その本が歩んできた時間まで、知らず知らずのうちに受け取っていたのだと思う。

本に出会うことで、考えが動く。

忘れていた記憶が戻ってくる。

知らなかった場所へ連れていかれる。

自分一人ではたどり着かなかった考えへ、少しずつ導かれていく。

本とは、そういうものなのかもしれない。

図書館の書庫は静かだった。

誰かが大きな声で話すわけでもない。

ただ、たくさんの本が並んでいる。

その沈黙の中で、私は本を探していた。

そしてたぶん、本とともに、どこかへ進んでいた。

両腕に抱えていたのは、本の重さだけではなかったのだと思う。あの重さは、言葉の重さであり、時間の重さでもあったのかもしれない。


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