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15年前、普通の会社員がアメリカでマンモスを掘っていた話

15年前のちょうど今頃、私はアメリカでマンモスを掘っていた。

「考古学者?」

そう思われるかもしれない。

違う。

当時も今も、ごく普通の会社員である。

恐竜博士でもなく、化石マニアでもない。
子供の頃から発掘に憧れていたわけでもない。

平日は会社に行き、会議に出て、大量のメールを捌く。
金曜日の夜が一番の楽しみ。

そんな普通のサラリーマンである。

そんな私がなぜか2011年の夏、アメリカ・サウスダコタ州で、2万6000年前のマンモスの骨を掘っていた。

人生はときどき、自分でも予想できない方向へ進む。

そして振り返ると思う。

あのとき、チャレンジしておいて本当によかったと。

いきさつ

きっかけは会社の1枚の募集案内

2011年1月に会社である募集があった。

「グローバル・ボランティア・プログラム」

海外の環境保護活動や研究活動に参加する社員を派遣するという制度だった。

当時、私が所属している会社は総合電機メーカーのグループ会社だったのだが、初めての試みだったようだ。

募集要項を読んでみると、アジア、アメリカ、オーストラリア等々の派遣先の地域だけ希望できる仕組みだった。

内容までは選べない。

当時、私にはちょうど挑戦したい理由があった。

英語である。

その時のTOEICスコアは695点。

社会人になりたての頃は470点だったので、それなりには伸びていた。

きっかけは仕事だった。

当時、私は3Dプリンタに携わっていた。

今でこそ3Dプリンタは一般的な言葉になったが、当時はまだかなり専門的な技術だった。

海外の技術者が参加するカンファレンスに行く機会があった。

そこでショックを受けた。

外国人の講演で日本人がほとんど寝てしまい、講演者が苦笑いする場面を目の当たりにしたのだ。

講演者に申し訳ない気持ちと、英語が分かるようになりたいというモチベーションが沸き、そこから英語の勉強を始めた。

だから、この募集を見た瞬間に思った。

「アメリカに行けば、英語の実戦力がつくかもしれない」

応募に際して

もちろん会社員なので、自分だけの判断では行けない。

上司とチームの先輩に相談し、応募することになった。

「部員を15日間も海外に出せるということは、部署が暇だと思われるかもしれないぞ」

と上司に忠告してくれる人もいたらしい。

ごもっともである。

長期間ひとり抜けても普通に仕事が回る。

それは組織として良いことでもあるが、見方によっては余裕があるとも取られる。

ただ、当時同じチームだった先輩が言ってくれた。

「英語頑張っているし、いいんじゃないですか」

ありがたかった。

上司も、

「まあ、どうせ決めるのは会社だしいいよな」

という感じで了承してくれていた。

この理解がなければ私のマンモス発掘は存在しなかった。

本当に感謝している。

合格通知。そして「マンモスの墓場」へ

しばらくして結果が届いた。

合格。

派遣先も決まった。

環境NPO団体アースウォッチが提供するプログラム。

タイトルは、「Mammoth Graveyard」。

日本語にすると、「マンモスの墓場」だ。

……マンモス?

一瞬止まった。

環境活動と聞いていたので、森林保護や動物調査のようなものを想像していた。

しかし届いた内容を見ると、本当にマンモスだった。

場所はアメリカ合衆国サウスダコタ州ホットスプリングス。

期間は、2011年6月26日から7月10日までの15日間。

内容は、「世界最大規模を誇るコロンビアマンモス埋蔵地の発掘及び調査」である。

発掘?

本当に掘るの?

炎天下の草原で帽子をかぶり、汗だくになりながら土を掘る自分を想像した。

なかなかハードそうだ。

そして英語の資料が届いたので読んでみる。

そこにはTOEICでは見たことがない単語が並んでいた。

たとえば、excavation=発掘

TOEICには会議や注文や出張は出てくるが、マンモスや発掘の話題は出てこない。

当たり前である。

自分は本当にここでやっていけるのか。

期待と不安が入り混じっていた。

東日本大震災

しかし、その前に忘れられない出来事が起きた。

2011年3月11日。

東日本大震災である。

その日は会社が休みだったので、私はバーミヤンにいた。

突然、大きな揺れが来た。

店内のシャンデリアが大きく揺れる。

天井に届くのではないかと思うほどだった。

その後テレビに映った光景は、現実とは思えなかった。

津波。
破壊された街。
繰り返されるニュース映像。

海外派遣どころではない。

「これは無くなったな」

そう思った。

震災の対応など慣れない業務が続き、海外派遣プログラムのことは忘れていた頃、事務局より連絡が来た。

プログラムは実施されるらしい。

5月頃から準備が本格化した。

移動手段の確認。
健康状態のチェック。
医師面談。

本当に行くのだ。

初めてのアメリカへ。

マンモスを掘りに。

いざマンモスサイトへ

オヘア空港で感じた「アメリカに来た感」

出発の日。

飛行機に乗り、アメリカへ向かった。

目的地はサウスダコタ州ホットスプリングス。

……と言っても、もちろん直行便などない。

まずはシカゴ・オヘア空港へ向かい、そこから国内線でラピッドシティ地域空港へ移動する。

シカゴ・オヘア空港に着いた瞬間、思った。

「アメリカに来てしまった」

とにかく広い。

そして当たり前だが外国人だらけである。

今考えると「外国人だらけ」という表現自体がおかしい。

外国に来たのは自分なのだから、外国人は私の方である。

でも当時は本当にそう感じた。

日本で英語を勉強しているのと、実際に英語しかない場所に放り込まれるのは全然違う。

看板を見る。

アナウンスを聞く。

売店で飲み物を買う。

ただそれだけなのに、少しずつ体力を削られる感覚があった。

英語力だけではない。

「自分の当たり前が通用しない場所にいる」

という緊張感だった。

乗り換えでも早速トラブルがあった。

国内線へ乗り換えるため、荷物を預けようとする。

しかし場所が分からない。

どうやら出発するターミナルと荷物を預けるターミナルは違うらしい。

まじで焦った。

早めに空港に着いていて本当に良かった。

海外では余裕時間も重要な装備なのだと学んだ。

アメリカ人、ずっとしゃべっている

ラピッドシティ行きの飛行機に乗った。

そこで早速、アメリカ文化の洗礼を受ける。

前後の席に座った人同士が話している。

初対面のようだ。

前の席の人がわざわざ後ろを振り返り、

「どこへ行くの?」

「そこなら、ここがおすすめだよ」

そんな感じで地域の情報交換を始めている。

日本ではなかなか見ない光景だった。

そして会話が終わらない。

一つの話題が終わりそうになると、また次の話題が始まる。

早くも文化の違いを感じていた。

国内線の飛行機

博士やメンバーとの出会い

ラピッドシティ地域空港に到着すると、今回のメンバーと合流した。

迎えに来てくれたのは、サイトディレクターであるラリー・D・エイゲンブロード博士。

古生物学の第一人者である。

普通に生活していたら、まず出会うことがない人だ。

メンバーは全部で12人。

アメリカ人11人と日本人1人。

そう、日本人は私だけだった。

車に乗り込み、マンモスサイトへ向かう。

みんな、ずっとしゃべっている。

家族のこと。
仕事のこと。
旅行のこと。
今回参加した理由。

初対面とは思えない。

完全にアウェイだった。

自分は少しは英語ができると思っていたが、現実は違った。

体感ではTOEICリスニング音声の1.3倍速。

しかも整った問題文ではなく雑談だ。

誰も、

「次の会話を聞いて質問に答えなさい」

なんて言ってくれない。

答えの選択肢もない。

リアル英語は容赦なかった。

聞き取れないし、話に入れない。

笑うタイミングは皆が笑った直後。反射神経だけが頼り。

15日間、大丈夫だろうか。

エイゲンブロード博士とピックアップトラック

何もかも大きい

車の窓から外を見る。

広い。

とにかく広い。

道も広い。

車も大きい。

そしてなぜかタンポポまで大きかった。

アメリカは何でも大きい。

そんな雑なイメージを持ってしまうくらい、目に入るもののスケールが違った。

トランスフォーマーみたいな車
でかいタンポポ

マンモスサイトについて

マンモスサイトに到着。

ここは約26,000年前、地盤沈下によってできた巨大な穴にマンモスが落ち、そのまま自然の埋蔵地となった場所である。

マンモスサイト

1974年に住宅地を作るために工事をしていたところ、ブルドーザーが巨大な骨を掘り当てた。

それがマンモスの牙だった。

そこから調査が始まり、現在では世界最大規模のマンモス化石発掘地となっている。

マンモスサイトは、私が想像していた発掘現場とは全然違った。

広大な草原。

照りつける太陽。

汗だくになりながらスコップで穴を掘る。

そんなイメージだった。

違った。

発掘現場そのものが博物館になっていた。

つまり、空調の効いた屋内でマンモスを掘る。

なんとも贅沢な環境だった。

おそらくブルドーザーで削られたキバ
全身骨格
展示されていたレプリカ

1日のスケジュール

典型的な1日のスケジュールは下記のような感じだ。

6:00 起床

7:00〜7:45 朝食

8:00〜12:00 発掘及び調査活動

12:00〜12:45 昼食

13:00〜16:30 発掘及び調査活動

16:30〜17:45 清掃・シャワー

18:00〜18:45 夕食及び後片付け

19:00〜20:00 授業及び課外活動

結構ハードである。

マンモスを掘るための15日間が始まった。

人生初の発掘作業

いよいよ発掘初日。

とはいえ、いきなり2万6000年前のマンモスに触れるわけではない。

まずは練習ゾーンで発掘方法を教えてもらう。

使う道具はシンプルなものだった。

筆、刷毛、そして小さなピックである。

3種の神器

ピックで少しずつ土を削る。

カリカリ。

カリカリ。

本当に少しずつ。

削っては確認する。

また削る。

とにかく地味である。

しかし、この感覚が不思議と心地よかった。

目の前にあるのは土だけ。

2万6000年前の世界につながっているかもしれない土を、ただ少しずつ削っていく。

こんな時間は人生で初めてだった。

fossilか、それともrockか

掘っていると、何か硬いものが出てくる。

「これは骨なのでは?」

慎重に掘り出して、研究者に見せる。

すると判定してくれる。

「fossil」

化石。

当たりである。

しかし、当然そんな簡単ではない。

「rock」

石。

外れである。

この「rock」が最初聞き取れなかった。

発音が良すぎる。

いや、正確には相手からすれば普通の発音なのだが、「ラァック」ってなんだろうという状態がしばらく続いた。

何かの拍子に「rock」であることが分かり、日本語的な発音で覚えていることが多々あるんだろうな、とそんな当たり前のことを実感していた。

そして本物のマンモスへ

練習を終えると、いよいよ実際の発掘エリアへ移動した。

私の担当場所は、マンモスの顎の骨の前だった。

マンモスの顎の骨

目の前にある巨大な骨。

教科書や博物館の展示ではない。

本物である。

2万6000年前に生きていた巨大生物が、そこに存在していた証拠。

不思議な感覚だった。

初日に新しい骨を発見

担当の場所を発掘していると、初日に新しい骨を発見した。

「本当に出るんだ」と思った。

もちろん、よく考えれば当然でもある。

世界最大規模のマンモス埋蔵地。

周囲には大量の骨が眠っている。

発掘するために来ているのだから、出る可能性は十分ある。

しかし、自分の手で見つける感覚は全く違った。

自分が削った土の下から、何万年も誰にも見つからなかったものが現れる。

普通の会社員の自分が、今、人類で初めてこの骨を見ている。

そう考えると不思議だった。

発見した骨は、場所をGPSで測定し、記録・保存される。

単なる体験イベントではなく、研究活動であることを実感する。

最終的に私は、この15日間で12個の新しい骨を発掘した。

経験を積んで分かってきたことだが、土を削っているとオレンジがかった土が出てくることがある。

それが骨が出てくるサインだった。

土をカリカリと削っていて、土がオレンジになってきたら骨が近いので慎重に削るというノウハウが身についた。

これからの人生でなかなか使うことのないノウハウである。

オレンジの土はマンモスの骨が近いという「マンモスの骨発見あるある」も、なかなか共有できないな。

カリカリしているところ
発見した骨

現地での生活あれこれ

アメリカにおける人の距離感

生活していて一番感じたのは、人との距離感の違いだった。

年齢も立場も関係なく、ファーストネームで呼ぶことに最初は戸惑った。

博士を名前で呼んでいいのか。

年上の人を名前で呼んでいいのか。

でも周りがそうしているし、相手も私を名前で呼ぶ。

不思議なもので、一度呼んでしまうと普通になる。

言葉の距離が、人との距離も縮めているように感じた。

歓迎会でのスピーチ

到着後、歓迎会が開かれた。

マンモスサイトの研究者やボランティアメンバー、地元の人々やホテルスタッフなど数十人が集まり、食事をしながら、みんなで交流する。

もちろん会話は全部英語。

この場にいるだけでエネルギーをどんどん消費している気がする。

改めて15日間やばいなと感じていると、ボランティアメンバーは「自己紹介して」という流れになった。

頭が真っ白になる。
会話すらままならないのに、大勢のアメリカ人の前でスピーチって。

日本だったら「いやいや、あなたからどうぞ」みたいな感じで順番を譲り合う場面だと思うが、普通にメンバーは前に出てスピーチをする。

事前に準備していたのかというほどスムーズで笑いも取って、ドラマのようだった。

「やばい。」

感心しているだけでは自分の順番が来てしまう。

一旦周りとの会話はなしにして、頭をフル回転してどうにか文章を作り、自分の番で話しきることができた。

事前資料の中で使われていた「mammoth hunters」という言葉を軸に、簡単な単語を用いてスピーチを作れたことが功を奏した。

「You all are my teachers」の箇所で笑いが起こり、スピーチの後にメンバーから「Good job!」と褒められたので、良いスタートをきることが出来た。

【スピーチ本文】
I'm an engineer from Japan. I'm happy to become a member of mammoth hunters in the US. I'd like to improve my English. So you all are my teachers. Thank you.

大勢の人が参加する歓迎会

恐怖のキッチンポリス

マンモスサイトでは「キッチンポリス」という役割が順番に回ってくる。

名前だけ聞くとキッチンを取り締まる特殊部隊みたいだが、実際は食事の準備や片付けの担当だ。

発掘作業においては、現場スタッフの指示が少々理解できなくても、作業をしながら他のメンバーを参考にしたり、後からスタッフに確認もできる。

しかし、食事の準備においては指示の都度すぐに理解して動かなければならなかったので非常に苦労した。

調理担当の地元の女性や他のメンバーの視線や動きを見て聞き取れなかったことを察しながら対応できたので大きな失敗はなかったが、dishmat(鍋敷)やlid(蓋)などの台所用品の単語をもっと知っておけばよりスムーズにできたと思う。

ナッツの入ったサラダは美味しかった
映画で見たようなターキー
アメリカンなクッキー

girlの発音が異常によい理由

宿泊はマンモスサイトの隣のホテルだった。

部屋は相部屋で、ルームメイトはニューメキシコ州から来たパトリックだった。

夜は会話の練習に付き合ってくれて、色々な話をしたが、私が「girl」の発音だけがいいと笑っていた。

その理由はすぐに分かった。

CMである。

昔、上戸彩がトライのCMで「成績がアガール(a girl)」と言っていたのをずっと真似していたのだ。

反復練習の大切さをこんなとこで感じることができた。

ちなみに私は「トルティーヤ」「ブリトー」の巻き舌の発音が素晴らしかったらしく、パトリックは死ぬんじゃないかと思うくらい笑っていた。

本場の発音はブリィトウゥみたいな感じ

ティラノサウルス発掘現場

研修期間の8日目は、発掘作業ではなくフィールドトリップとなっていた。

前日のミーティングで、皆が「ティーレックス」と聞いて興奮している。

「ティーレックス」ってなんだっけと思い調べてみると、どうやらティラノサウルスのことらしい。

なるほど、ティラノサウルスの発掘現場を見学に行くと聞いて喜んでいたのか。

さすがマンモス発掘に来ていることだけあるメンバー達だ。

当日、車に分乗してティラノサウルスの発掘現場まで出かけた。

そこは日本にいる時に想像していたような、草原の真ん中にある発掘現場だった。

ティラノサウルス発掘現場

石膏で固められたティラノサウルスの骨の周りで、大勢の人がカリカリやっている。

日差しも強ければ、直接当たる風も強い。

過酷だなぁと感心していると、「トウキョウガスキデス」と突然話しかけられた。

振り返ると満面の笑みのアメリカ人女性が立っていた。

彼女は日本が好きで東京に行ったことがあり、私を見て話しかけてきたらしい。

ティラノサウルスの現場では、テントで生活し、シャワーは数日に一度など色々と教えてくれた。

あらためてマンモスサイトでの発掘は恵まれているなぁと感じた。

模型を使って向きとかを教えてもらった
草原に設置されていたシャワー or トイレ

子供は恥ずかしがり屋が多い

ホテルの従業員の子供やマンモスサイトに来た観光客の子供と接することがあったが、親公認の恥ずかしがり屋の子供が多かった。

アメリカでという環境で育っていくことで、アメリカ人らしくなっていくという自然な流れを見た気がする。

独立記念日

7月4日はアメリカの独立記念日だ。
各地でパレードや打上げ花火が行われる祝日となっている。

パレードの車

マンモスサイトもパレードに参加し、「トゥッツィーロール(Tootsie Roll)」を沿道の子供たちに投げて歩いた。

パレードに参加するメンバー
袋に入ったトゥッツィーロール
拾う子どもたち
トゥッツィーロールの外袋

「ヘイ、マンモスサイト!!」と地元の人から声かけてもらう機会が多く、ちゃんと地元に根差しているんだなと感じた。

夜は研究者やボランティアメンバー達と地面に座って花火を見上げたりしていた。

七人の侍とBLEACH

マンモスサイトのメンバーとの雑談で映画の話になった際に、ラリーや研究者たちが黒澤監督の「七人の侍」が素晴らしいと絶賛していた。

日本に帰ったら観てみるよといいつつ、現在も観てないことに今回気付いたので、今年中に観たいと思う。

また、ティラノサウルスの発掘現場に行く車の中で、運転してくれていた研究者が「日本のアニメ好きなんだ」と言って曲を流してくれた。

BLEACHというアニメの曲らしい。

目をキラキラさせながら純粋な目でこっちを見ている。

日本人だから当然喜ぶと思ってくれたのだろう。

しかし私は見たことがなく、薄い反応をせざるを得なかった。

相手は少し悲しそうな顔をしていた。

あの顔は今でも覚えている。

いつか見よう、そう思っている。

……15年経ってしまったけれど。

BLEACH知らなくてごめん

日米技術交流

先ほど登場したBLEACHが好きな研究者が、ある日3Dプリンタについて教えてほしいと話しかけてきた。

聞けば現在はクマに関する研究をしており、クマの頭部CTスキャンデータを解析してどのようににおいを感じているか分析したり、馬の脚部に嚙みついた跡を調べることで嚙む力の推測を行っているらしい。

相談内容は、クマのボーンベッド(発掘された場所)のデジタルメッシュデータは作成できたが、これを利用して3Dプリンタモデルができないかというものだった。

メッシュデータは初めて見た形式のものだったが、3Dプリンタが読み込める形式に変換できることが分かり、モデルを製作可能と伝えた。
研究者は非常に喜んで、予算もらって製作すると言っていた。

思いがけず自分の知識が現地で貢献する形となり、こちらも嬉しかった。

帰りのオヘア空港コーヒーショップにて

復路もオヘア空港経由だった。

空港内のコーヒーショップでサンドイッチとサラダを買おうとしたら、店員はレジの周りだけ見てドレッシングは品切れだと言ってきた。

その店員に「もう一度探してきてくれない?」と伝えると、他の店員に場所を確認してドレッシングを持ってきた。

アメリカに言った直後ではきっとその場であきらめてしまっていただろうが、15日間の効果が出たかなと感じる場面だった。

税関で肉没収

帰国時にも事件があった。

お土産として、バッファローのドライソーセージを買っていたのだが、アメリカの肉製品は日本へ持ち込むことは不可のため、成田空港で没収となったのだ。

あんなにアメリカで肉食べてきたのに、持ってきてはいけないのか・・・。

ルールなので仕方ない。

空港職員とのやり取りも含めて、最後まで海外経験だった。

残念ではあったが、今では全部思い出になっている。

帰国してからのこと

戻ってきた現実

15日間のプログラムはあっという間に終わった。

毎朝起きてマンモスを掘り、英語で話して食事をして、夜は講義を受ける。

そんな不思議な日々が終わった。

お土産を配り歩いて、すぐに日常が戻ってきた。

役員の前での報告会

しばらくたって、このプログラムの参加報告会があった。

場所は本社で、役員クラスの方々の前で報告だ。

その年の海外研修参加者は9人だったのだが、9人中7人は、海外の語学学校や企業訪問コースだった。

海外の語学学校へ行き、現地企業を訪問する。

いかにも会社の海外派遣プログラムらしい内容だった。

残り2人はボランティアコースで、私がマンモス発掘、もう一人はインドで障害を持つ子供の支援施設ボランティアだった。

発表リストを見て、どう考えても自分のタイトルが浮いている。

自分の発表の番になり、現地での活動内容を説明した。

マンモスサイトの概要や発掘作業、異文化交流、英語環境。

自分なりにまとめて発表した。

そして質疑応答となり、社長から質問が来た。

「なんでマンモス掘ってきたの?」

ごもっともな質問である。

「海外研修に応募したら、これに決まりました」と答えると、そこにいた皆が笑っていた。

「どんな種類のマンモスを掘ったの?」という質問もあった。

私はコロンビアマンモスとウーリーマンモスの違いも知らなかったので、その人は古生物学に詳しかったのかもしれない。

15年後に感じていること

何か変わったのか

あれから15年が経った。

では、この経験で人生が劇的に変わったのかというと、そうでもないようだ。

マンモス研究者になったわけではなく、化石マニアになったわけでもない。

今でも普通の会社員をしている。

横浜で開催されたマンモス展に行ったり、紀伊国屋の化石コーナーでティラノサウルスの骨やマンモスの牙を購入したことは、マンモスサイトの経験によるものだろう。

2012年~2015年は、アメリカやトルコへの出張があったので、海外研修の経験が活かせたのだろうが、この10年以上は海外との関係が薄い業務内容となっている。

15年前の宿題

あの時から、なんだかんだ波はありながらも英語学習は続いている。

今回、事前研修で書いた目標を見つけた。

「2年以内にTOEIC900点」

現在も達成はしていないが、近いところにはいるので今年中に取れるよう取り組んでみようと思う。

あと、七人の侍とBLEACH。

いつかラリーやマンモスサイトの研究者と会った時に英語で語れるよう観ておきたい。

これからもコツコツと

振り返ると、始まりは小さな行動だった。

会社の募集案内を見て申し込んだ。

ただ、それだけだった。

でも、その「ただ、それだけ」が人生で忘れられない15日間につながった。

当時のTOEICスコアは695点。もし社会人になりたての頃の470点のままだったら、おそらく申し込む勇気はなかったと思う。

チャンスは突然やってくる。

でも、その時に手を伸ばせるかどうかは、それまでの日々で決まるのかもしれない。

興味があることを、コツコツ積み上げておく。

それは、未来の自分に選択肢を渡すことなのだと思う。

15年前の今頃。

普通の会社員だった私は、アメリカでマンモスを掘っていた。

毎年7月、アメリカ独立記念日のニュースを見るたびに、きっと思い出す。

サウスダコタの大きな空と、2万6000年前から土の中で待っていたマンモスのことを。

あの時、応募しておいて本当によかった。

外でのスクリーニング作業
関係者以外立ち入り禁止の部屋
皆でカリカリ
バッファローが普通にいる世界
マウントラッシュモアには人がたくさんいた
世界中からの観光客からよく話しかけられた

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