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「あと1日」が届かなかった高校最後の夏。

今更ではあるけど、僕の高校陸上は苦かった。思い描いていたものとはだいぶ違った
今も完治はしてなくて全く陸上できていないけれど、また良いタイムが出せる時は来るのかな。
現実的にはなかなか遠いけれど、もしいつか思いっきり喜べる日が来た時に
過去の自分もひっくるめて振り返れるようにありのままで雑な日記みたいなnoteをここに残します。



時が止まった大会前日

2025年8月11日 全国定通大会前日。
なんだよその大会。って思う方も多いと思います。
全国大会とは言え、確かに全日のインハイなどと比べれば比べるのが失礼なくらいレベルは劣ります。
でも、先輩の紹介と練習環境・学習面に惹かれて通信制の高校に高一の4月から入学して陸上をしていた自分にとっては、この大会で優勝&大会新記録を出す事が最大の目標でした。

そして、
調子もどんどん上がってきていて
『後は走るだけ!!』
そんな状況で遂に迎えた最後の全国大会前日の至って普通なバトン練習で僕は
大腿直筋の筋腱移行部Ⅲ度肉離れ。
後に手術適応で全治1年の怪我となり今もリハビリ中です。

そんな話は最後に書くとして高校陸上をさらっと振り返っていきましょう。(自分用)

高校一年生🏫

初めて50秒台を出した瞬間。調子に乗って喜びすぎていたので反省しています。

100mは12秒台から11秒台になり、400mは50秒99。ゲキ遅スプリンターから400がちょっと速いロングスプリンターになった1年でした。結局400が気持ち速いだけで他は基本ゲキ遅ではあるけど、400でちょっと気持ち良い記録を出せたから個人的に自信が少しついた1年でした。
最初はただキツいだけと思ってた400mだったけど、高校初戦で52秒前半を出してちょっと楽しくなり、ヘルニアの手術リハビリ明けで夏に出た定通全国では51秒前半、秋の試合では50秒99を出せました。今振り返ると比較的とんとん拍子で進めた高一だったのかも。陸上競技の楽しさに気付けた1年でした。

高校二年生🏫

三段もやらせて頂きました。

新しく挑戦を始めた400mH以外はタイム自体の変化はあまり無いけれど、100mは追い風4.5mの力をお借りして11秒23を出せたり、
400m/400mHで出場した私学大会では入賞したりメダル圏内でナップサックを頂けたりと全日とのレースでも「そこそこ結果残せるんだなぁ」というような感じで、タイムより結果面で自信がついた1年でした。

高熱明けの初戦で400m56秒の自己ワーストを叩き出し凹んだと思いきや、夏の定通全国ではマイルリレーで優勝出来て念願の全国優勝し、来年は個人で!と気合を入れたかと思いきや、秋に出た400mHの55秒31は東京選手権標準に100分の1秒届かず燃え尽きたり。喜怒哀楽色々あったけれどそこを含めて今振り返ると競技としての陸上を一番純粋に熱中出来たのがこの一年だったと思います。

この日からサーティワンアイスがトラウマ(とばっちり🙏🏻)

高校三年生🏫

高校ラストシーズン。めちゃくちゃ気合いが入ってました。お世話になった部活もクラブチームも最後の一年。『何としてでも結果を出して少しでも恩返しする!』そんな気持ちで入ったシーズンでした。
と言うのも、部活では部長にならせて頂いたり、去年100分の1秒届かなかった東京選手権の標準が3月に出た最新版では改訂により下がっていて、念願だった東京選手権出場の権利を奇跡的(棚ぼた)に勝ち取りました。 そんな事もわかってノリノリで出たシーズン初戦は100mで右半腱様筋Ⅱ度肉離れ。

これももちろん凹んだけど、春・夏に大きな試合があるからこそ何とか気持ちを保ってリハビリを続けられました。

その後はおかげさまでまあまあなペースでリハビリが進み、4月下旬の東京選手権では全く走れなかったけど、
ずっと憧れだった舞台をどうしても経験してみたくて出るだけ出ました。

(タイムはベストより10秒近く遅かったけど、ゼッケンNo.1は思い出です)

5・6月も数試合に出ていよいよ最後の全国大会1ヶ月前。
大会が近づくにつれてだんだんとチームの緊張感が高まるのと同時に、自分の調子がどんどん良くなる事も感じていました。
そして、全国大会2週間前の調整試合では400mのPBも更新し、400mHの方も練習で52〜53秒台を狙えるタイムを出す事ができて目標へ向け確実に一歩一歩近づいていたつもりでした。
でも現実はそんな甘くなかったです。




待ちに待った全国大会前日🏟️

(前日の練習会場だった夢の島競技場)小雨が降っていて昼間なのに少し薄暗い雰囲気だったのを鮮明に覚えています。

12時に会場に入り、14時からのバトン練習に向けいつも通りのウォーミングアップ。
右脚に筋肉痛的な痛みを若干感じていたものの、温まれば何とかなる事を信じてストレッチやドリル/流しなどのアップをいつも通りしていました。


そして迎えたバトン練習。
僕は2走だったのでレーン内の右側を走り出しました。

1走の『はーい!』の声と同時に左手を出して
無事にバトンを受け取り、5歩ほど走り出した時でした。


今までの人生で味わった事が無い程の衝撃が右脚を走りました。




『バッッーーーン!』




まるで何かに殴られたか撃たれたかのような感覚は今でも忘れません。

一瞬強烈な痛みが流れたのと同時に、
“全部終わったな”と瞬時に感じた事を覚えています。

色々な考えがパラパラ漫画の様な速度で頭を駆け巡る中、駆け寄ってくれたチームメイトに向かって「ごめん肉ったわ、終わったわこれ、あ終わりだ」と比較的冷静なトーンで喋っていました。
そこから気付けば車椅子で医務室に運ばれ、はじめこそアドレナリンで控えめだったけれど、徐々に出てきた強烈な痛みと同時に3年間の陸上人生が終わった事を悟り大泣きしました。(医務室の方々ごめんなさい)

『これは夢なんじゃ無いか?』

そう思いたくて、何度も目を瞑っては開いたりを繰り返しました。あまりにも理想と違い過ぎる現実を直視出来なかったし、ただただ嘘だと思いたかったです。


それでも時間は流れていきます。
雨のため急遽スタンドで行われる事になった開会式の音漏れを耳にしながら
医務室のベッドで横になっていると、
「帰り方などを相談する為に保護者に連絡を。!」と言われたのでここで母親に電話をかけました。

2分47秒の電話。

そのうち1分30秒程は泣きながらひたすら『ごめんなさい』と言い続けた事を覚えています。

小さい頃から僕がしたいと言う事には文句一つ言わずに全力で応援してくれてたお母さん。
陸上に関しても大きく干渉する訳でもなくずっと応援してくれてました。

この大会での優勝はそんなお母さんに向けてせめてもの恩返し、という意味も個人的にはあったので待ちに待った全国大会前日何一つ成し遂げられず前日で終わった事には謝罪しか無かったです。




その後、感情を少しでも整理した医務室での時間は無限にも感じました。
このあと僕を待ち構えているのは、治療でも休みでも無く残り4日間の大会応援です。

自分で立候補したチーム東京のキャプテン。こんな序盤で居なくなる訳にはいきません。
この日を含めて、その後4日間に渡って駒沢競技場でチームを応援したスタンドからの景色は今でもはっきり覚えてるし後悔が残らない最高の選択だったと今でも心から思っています。
同時に、プライドもずたずたになって気持ちも底まで落ちた数日だったけど、目標全てを失った最悪な感情はこの怒涛の4日間で紛らわせるしか当時の僕にはありませんでした。

すすり泣きながら乗った朝の田園都市線、頂いた出場枠を無駄にしない為とプライドと意地の為に右脚を引きずりながら出場した400m、松葉杖で向かった400mHの招集場、怪我してこそ初めてスタンドからしっかりと観る全国大会、自分が居るはずだった決勝のレースと表彰式。
全部トラウマとして僕の記憶に残った景色だけど、人生で一番我慢して一番成長できたと本気で言える4日間でした。

それからの日常については、脳の防衛本能か分からないけど自分でも記憶があまりありません(笑)
目標も無くなり、お盆も終わり、病院に行ったらあっさりと手術が決まり、勝手にどんどんと時間が進んで行きました。

入院してからは、なにも出来ないあまりに無力な自分に悔しすぎる毎日だったし屈辱でした。

テレビをつけたら、ちょうど開幕した東京世界陸上が放送されてました。
チケットも買って何年も前からずっと楽しみにしていた大会だったはずなのに、楽しんで観ることは到底無理でした。
スマホで気を逸らそうといつもの癖でインスタを開くと、今度はキラキラした情報ばかりが流れてきます。いつもはそんな投稿も純粋に楽しめるのに、今は見れば見るほど凹んでいく。そして、他人の幸福を純粋に喜べないそんな自分すらも嫌になる。負のループを繰り返していました。
(そんな僕のお見舞いに来てくれた方々や色々としてくれた方々本当に感謝です🙏🏻)

当たり前な日常だったクラブチームの練習も部活も欠席。よほどの事が無い限り小6からずっと継続してきた習慣なのに、こんな事で行けなくなるなんて。
悔しくて悔しくて、走ってやろうかと思い上半身を起こしたけれど、痛みと麻酔がまだ残っている脚は全くついてきません。


そんな毎日を過ごしながら、おかげさまで一週間ちょっとで退院できました。
退院してからも、歩行やシャワーの日常生活すらまともに出来なくて、とことん落ちぶれたなぁと毎日考えていました。

看護師さん相手に強がったら症状が「走れない」になりました。

そして今。残ったものと活かせるものは何か。

あれから10ヶ月が経ちました。
世界一安全であろう日本という国に生まれたし大した人生は送っていないけれど、僕の19年間の人生では間違い無く1番きつい10ヶ月でした。

今もごく普通な日常生活を送っていると「もしあの時怪我してなければ..もし優勝してたら..もしかしたらテーピングしながら走れたんじゃ無いか..」って考えが1日10回は頭をよぎります。
自分で思い描いていたストーリーと現実はかなり違いました。違い過ぎました。

本来みんなに見せたかったのは松葉杖で歩くこんなしょうもない姿じゃ無かったのに。本当に悔しいです。

怪我から今日までの期間、陸上を辞めようと思った回数はもう数え切れません。そもそも、プロでも無い所詮ただのエンジョイ陸上の自分がそこまでして続ける意味ってあるのかな?。と自問自答を続けて来ました。
結論から言うと現時点でまだ辞められていないし答えも出ていません。でも、ぶっちゃけ意味なんて無いと思います。
それでも、過去の自分を越すために、負けたままで終わらない為に、トラウマを上書きする為に。そんな意味を持ってもう一度続けてみようかなと思ってみたり思ってみなかったり今はしています。


怪我した自分、完璧な部長になれなかった自分、周りに何一つ恩返しできなかった自分、何一つ結果を残せなかった自分、負けず嫌いな自分、人に迷惑をかけ続ける自分、何もかも優柔不断な自分。
全部大っ嫌いです。
でも、嫌いだからといって嫌な部分から目を背けちゃ終わりだし、生きてる限りは責任もって背負って生き続けないといけないなと思っています。

最後に、

そんな事を偉そうに言っても、今年に入ってからだって怪我はずっと治せていないし、受験は全落ちして浪人するし、リハビリは躓くしでだめだめ過ぎる毎日を過ごしています。
だからそもそもこんなnote書いてる場合じゃ無いんだけれど、この10ヶ月間の経験は直視と記録から逃げるのでは無く、残すべき経験だと思ったのと、どこかに今の自分をそのまま残してみたかったので今日ここに書き記しました。
続編は無い事を願います。
心から喜んでる時にはわざわざnoteを書く性格じゃ無いからです。

そして最後に、
もしここまで読んでくれて、僕と似た境遇だったり、普段から自分や家族がスポーツをしている方がいらっしゃるのなら、僕を反面教師にして一つだけ気をつけて考えてみて欲しい事があります。

『結果=自分の価値』にしない事

です。
結果が出てる時も出てない時も自分は自分です。生まれながらに持った本来の価値は揺るぎません。
スポーツなんて一部の天才達を除いたら、大抵の人は嬉しい瞬間より、苦しかったりつらい時間の方が長いと思います。
それなのに結果=自分の価値にしたら辛くなっちゃいます。楽しいから始めたスポーツで人生が苦しくなっちゃったらもったいないです。

そして、今の僕が言っても負け惜しみにしか聞こえないかもしれません。
でも僕は、
結果にこだわり続けた事への後悔は全くありません。『全力で競技をしている時間』にこそ価値と魅力があると自分で感じていたからです。



オチも何も無い最初から最後までつまらないリアルで拙い文章を最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
おわり。

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