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【創作大賞2026 エッセイ部門応募作品】 オーストラリアの学校に通った子どもたち ー お弁当作りに費やした年月は、実は外国人である私にとって文化を学ぶ機会だった


こんにちは。
オーストラリア在住のカノンです。

先日あるネット記事を見かけました。
それは、海外在住の日本人の子どもたちが、日本式のお弁当(お弁当箱に栄養と彩りを考えて詰められた可愛らしいもの)を学校に持っていくといじめられがち、というもの。
アメリカのお話だったと記憶していますが、シドニーに住む私も「そう。そうだった!」と頷くことひとしきり。

私の子どもはもう二人とも成人しています。このような悩みもすでに過去の話。でも懐かしく思い出しているうちに、子育ての苦労の一つと自分で思っていた過去が、知らない間に楽しい思い出に変化していたことに気づいたのです。

このエッセイでは、オーストラリア在住日本人のお弁当作りの経験と苦労はどのようなものか、また、そこから得た学びは何だったのかについて、少し語りたいと思います。



どうして海外で日本式のお弁当を持つ子どもはいじめられるのか


理由は単純。
日本人のお弁当が、他の子どもと見た目も匂いも違うからです。

子どもの世界は残酷で、あいにくこれは世界共通のようです。
珍しいものを目にすると、心の中で実は少し羨ましく思っていても、それを上手く表現できない子どもはからかうという行動にでてしまいます。
周囲から同意を得たりすると、調子に乗ってしまう子もいたりして。
誰しも一度は経験したり、目撃したことがあるのではないでしょうか。

世界的にフレンドリーな人種として知られるオーストラリア人でもそれは同じ。子どもたちはやっぱり自分と違うものにとても敏感です。


オーストラリアの子どもたちのお弁当人生の始まりは早い


オーストラリアには給食制度がありません。
お弁当を持参して通学を始めるのは五歳と少し早め。

この国では日本のような幼稚園制度がない代わりに、小学校が七年制度。
つまり子どもたちは、 K 年生(Kindergarten幼稚園)で入学して、翌年一年生に進級し、六年生までを小学校で過ごします。

就学時間は一日六時間です。
これは幼稚園の年長さんにあたる K 年生から、高校を卒業する十八歳までの十三年間、同じ。
幼い年齢にはなかなかハードな時間割で子どもたちは学生生活をスタートします。

学校にいる時間が長いので、お弁当として持たせるのは、モーニングティーの時間のおやつと、ランチタイムに食べるものの1.5食分が目安とされています。

公立私立関わりなく制服です。
もちろん安全面も考慮されていますが、制服の目的は各家庭の差が出ないこと。これは他国と同じではないでしょうか。
子どもたちは五歳になると、ぶかぶかの制服に身を包み、学校の名前の入った大きなスクールバッグを背負い、お弁当をもって学校に通い始めます。

オーストラリアの子どもたちは、公園など外で遊ぶ際に、他の子どもが自分と肌や髪の色が違うことに気づいていて既に慣れていますから、入学して驚くことはありません。

そうすると、子どもたちが各家庭の違いや、他民族国家のオーストラリアの場合、異文化——宗教上による食生活、生活習慣の違い——にもっとも触れる機会は、お弁当の時間ということになるのです。

日本人を母親に持つ家庭でよくあること


私のようにオージーの夫と日本人妻の夫婦の場合、子どもに日本の文化を教えたい気持ちから、家で日本食を食べる家庭は多いです。

もちろん各家庭の日本食のメニューや食べる頻度は違います。
オージーの中にはシーフードが大嫌い、匂いがダメという人もいます。そうすると自然と日本食の食事の回数は減るでしょう。
でも私たち日本人ママは、幼い子どもたちに日本食は食べさせやすいこともあって、親は違うものを食べても、子どもの食事にはおにぎりとおかずを用意する人が多いのです。
私の子どもたちも、自宅にいる時にはお米中心の生活をしていました。


子どもたちの普段の食生活


このように書くと、私の子どもたちは日本食しか食べていないような印象を受けるかもしれませんが、そんなことはありません。

私は子どもが産まれる前からフルタイムの仕事をしており、子どもたちは一歳から就学の年齢がくるまで託児所に通いました。
幼い子どもたちのための家代わりを目指しているこちらの託児所では、飲食に関しては至れり尽くせり。
託児所内のキッチンで、栄養バランスを考えて作られた温かいものを毎日食べさせてもらえるだけでなく、午前、午後と一日に二回もおやつの時間がありました。
食事はパンやパスタなどの洋食で、おやつはフルーツ中心でした。

普段が洋食なので、その分家ではお米中心の生活をしていた子どもたちの、就学の年齢が近付いてきました。

オーストラリアで典型的なお弁当とは


こちらの平均的なお弁当といえば、ハムチーズのサンドイッチとりんご(丸ごと)が一つ。それに小袋のクラッカーやビスケットをおやつにつけるくらいでしょうか。これで1.5食分です。

シンプルなだけでなく、毎日同じものを持ってくる子どもも多かったです。親も子どももそれが当たり前と思っているよう。親は楽だし、子どもは口が奢らないし、決して悪い習慣ではありません。

この習慣で育つと大人になってもある意味、楽です。
私の職場の同僚のランチはどの人もいたってシンプルでした。

かつての同僚(オージー女性)がもっともよく食べていたランチは、持参した丸パンにバナナを挟んで食べるというもの。
本人はこのランチが珍しいともおかしいとも思っていない様子。周囲の人の反応も同じでした。


子どものお弁当には何を入れたらいいのか


毎日温かい食事しかしていなかった子どもたち。
小学校の入学が近づくにつれて私は心配になりました。
ほとんどお弁当を持って出かけたことのない子どもが、いきなり週に五日もお弁当の生活を始めるのです。
せめて可愛く楽しい日本のようなお弁当ならいいのでは。そう考えました。

早速日本人仲間の先輩ママにお弁当について訊ねてみました。
するとまずどの人も開口一番、日本式のお弁当は止めた方がいい、いじめられるよ、との答え。やっぱりそうかと落胆する私。

「じゃあおにぎりだけ、とかは?」

お弁当箱に詰めず、サンドイッチ用の一般的なお弁当箱におにぎりだけ詰めてみたらどうだろう。

返答は、人それぞれでした。
うちは大丈夫だった、うちはダメだった、などなど。
からかわれた、からかわれなかっただけでなく、比較的からかわれることに平気な子もいれば繊細な子もいます。子どもの性格にもよるようでした。

はたまた住んでいる地域による違いを指摘する人もいました。
同学年の生徒の中にアジア人の比率が高ければ、どんな形であれお弁当にご飯が入っている人が増えますから、おにぎりも目立たないのだとか。

さて私の子どもの学校。
オリエンテーションに出かけてびっくり。同じ学年にアジア人の血が入っている子どもが、私の子どもともう一人しかいなかったのです。これはなかなかハードな環境です。

オージーの友人、エリザベスが言うには


オージーママはどのように毎日お弁当を作るのか。
今度はオージーの友人に訊ねてみることにしました。

「あなたは子どものお弁当に何を入れる?」

エリザベスと私の一人目の子どもは同じ年で、子どもたちは託児所で仲良くなりました。

「学校が始まったら毎朝忙しくなるし不安だよね。いい方法をおしえてあげる」

得意顔のエリザベス。
私が身を乗り出したのは言うまでもありません。
語ったのは、友人から彼女が伝授されたお弁当作りの手抜き方法でした。

「まずはスーパーで食パンとハムとチーズを買うの」

オーストラリアのスーパーで販売されている食パンは、日本でいう二斤サイズ。長めです。このような感じ。


この国の典型的な食パン。700gです。


「それを一度全部、袋から出して二枚づつにする」

うんうん、と頷く私。

「それからパンにスライスチーズとハムを挟んで、サンドイッチの状態にして全てをまた袋にしまって、そのまま冷凍庫に入れる。毎朝一組ずつ出すだけでお弁当が出来上がるってわけ。すごいでしょ?」

確かにすごい。
彼女の返答は私の想像を超えていました。

私はこの国でいわゆる移民です。
いわばオーストラリアに住まわせてもらっている身分だと自覚していますから、できるだけ現地の文化風習になじむ努力をするべきと思っています。
この時も反論はしませんでしたが、私にこの方法はできないと思いました。

でも理由は自分でも分かりませんでした。
パンもハムもチーズも冷凍したことがあるし、悪いとも思っていません。一度冷凍したものを子どもに食べさせたくないなどの信念もありません。手抜きなどはむしろ大歓迎です。

子どもの転機は親にとっても転機


私は自分の思い込みが二点あることに気がつきました。
まず私は、毎日同じものをお弁当にすることにそもそも抵抗を感じているのでした。
なぜなら料理に手抜きはしても、子育てには手抜きしたくないと思っているから。私にとって毎日同じお弁当を子どもに持たせることは、料理の手抜きではなく、子育ての手抜きに思えたのでした。

でも子育ての手抜きをしない。それはいったい何でしょう。
切羽詰まった顔でお弁当を作ること?
毎朝忙しく時間が足りないので、夜まで顔を合わさない子どもをイライラ顔で学校に送りだすこと?
一生懸命作ったお弁当を、子どもが喜ばなかったらムッとしてしまうこと?

どれも違う、と思いました。

私がオージーから学んだことの一つに、「できないことはできないと言え。それは決して恥ずかしいことではない。だができるフリをすることは恥ずかしいことだ」というものがあります。

人間誰しも頑張らなくてはならない時はありますが、無理なことというのは必ず存在します。
お弁当を作ることでストレスがたまるのであれば、きっとそれこそが「私に難しいこと」であり、時に「できないこと」なのだと思いました。

私の職場にいるオージーたちもきっとそのように育ったのでしょう。
前述しましたが、口が奢らないようにシンプルな食事を続けることは、決して悪いことではありません。
同じものしか食べないことは、時に問題になるかもしれませんが、シンプルなランチで済ませる人々の夕食が、実はバラエティにも栄養にも富んでいることを、その頃の私はもう既に知っていました。

更にオージーの名誉のために余談を追加しておきます。
多国籍国家であるこの国の人々はなかなかグルメで、レストランのレベルは高いです。美味を知らない人々ではないのです。

さてもう一点の思い込みについて。
私は、お弁当は当日用意しなくてはならないものと信じていました。
お弁当を前日に作るという考えが全くなかったのでした。

仮に冷凍庫からパンとチーズとハムを出してきて挟んだのだとしても、その作業を当日の朝にすべきであると思っていたのです。
結果的に口に入る味が子どもにとって同じでも、私は当日の朝に作りたかった。

なんのために? 
そう。自己満足のためです。

とうとう学校が始まった


さて一人目の子どもの学校の初日。
時間的な余裕は十分かと思いきや、子どもを起こし朝食を食べさせ急がせる。これが思ったよりも時間も体力も消費することに気づきました。
イライラしないって本当に難しい。

オーストラリアの学校は子どもの送り迎えが必須です。
低学年のうちは毎日教室の前まで送らなくてはなりません。
過保護な制度に思えますが、交通事故を始め、稀とはいえ性犯罪を目的とした誘拐もない訳ではありません。
集団登校で育った日本人の私には驚きでしたが、これも文化の違いの一つ。慣れるしかありません。

子どもを追い立てて出かける日々が始まりました。子どもがのんびりすれば学校の始業時間には間に合っても、私が会社に遅れます。必死にならざるを得ません。

ハムチーズのサンドイッチを入れて、新品の制服で嬉々として学校に通い始めた子ども。楽しく嬉しそうにしている様子を見て安心しました。

ところがサンドイッチのお弁当は三日で飽きました。
そもそも家でも食べないハムチーズのサンドイッチ。ソーセージとおにぎりをこよなく愛する子どもが毎日食べるはずありません。

「おにぎり入れてくれる?」

「あなたがいいならそれでいいよ」

からかわれるかもよ、と前置きした上で翌日おにぎりを入れることにしました。帰宅した子どもは、からかわれなかった、と嬉しそう。

「でもご飯が冷たかった」

当たり前でしょうと思いつつ、おにぎりだものね、と答えた私。

「おにぎりはどうして冷たいの」

実に哲学的な問いが返って来ました。
確かに。自宅で食べるおにぎりは冷たくありません。
でもおにぎりといえば冷たいのが当たり前。
こんなところにも文化の違いという名の落とし穴が潜んでいたのでした。


おにぎりの具材に困る母


子どもは冷たいおにぎりに慣れました。
学年の始まりが毎年二月頃と、南半球のこの国の夏の終わりであることは幸いでした。冬だったらきっとめちゃくちゃ冷たかったでしょう。

でも次の問題が起こりました。
それは匂い。
日本人であれば当たり前のツナマヨやふりかけ。周囲が同じようなものを食べていると全く気にならないこれらが案外匂うのです。思いもしませんでした。

私の二人目の子どもがツナマヨのおにぎりを食べていると、「臭いからあっちで一人で食べてくれ」と言われたこともありました。
おにぎりの上にふったふりかけも同様。魚系のものは同じ。案外強い匂いがします。
好きな人には食欲をそそる匂いでも、嫌いな人にはそうではない。
特に日本人に比べると、オージーは魚系の匂いに不慣れです。
これも文化の違いなのだと思いました。

異質の匂いは必ずしも臭いとは限らない


またしても余談ですが、好き嫌いを問わず、異質というか知らない匂いについて。
私が以前勤めていた日系企業では、スタッフの割合が日本人三割、残りがオージーでした。

ランチタイムの「異質の匂い」についての経験話です。
それはかの有名なUFO。
あの例の、一度嗅いでしまうとすぐにでも食べたくなる独特の香り。私はソースだけでなく、お湯を入れた待ち時間の、あのかすかに漂う麺の匂いも大好きです。

ところがこのUFO。
ある日本人スタッフがランチに食べていると、オージースタッフの一人が「何これ! 匂いが強烈!!」と眉間に皺を寄せて文句を言いに来ました。苦情はなぜか私のところに持ち込まれました。
その日本人スタッフが彼女の駐在員男性上司だったため、言いにくかったのでしょうか。

「日本で有名な焼きそばなんだよ」
ゆるりと返答する私。

「だから??」 
私が我慢しなくちゃいけないのってわけ? と言わんばかり。

「これってあなたに臭い?」と聞くと、「臭くないけど強すぎる」とのこと。その種類の不快感が世の中に存在するのかと思った事件でした。

これと同様に、日本のカレーライスもよく嫌がられました。
インドのカレーはどこでも売っているし、レストランもたくさんあるのに、どうして日本のカレーは受け入れられないのかと不思議でなりませんでした。


異質な匂いの存在に気づき、ますます具材に困る


おにぎりの具材のネタ切れはあっという間にやってきました。
中身の具材なんて種類が限られていますから子どもはすぐに飽きてしまったのです。
梅干しも塩昆布も食べたことがなく(こちらで買うには高いので)、漬物類は高価な上に匂いもあります。おにぎりは中身なしの、あらかじめご飯に味をつけて握っただけのものだったせいでしょう。
「黒い紙を食べている」とからかわれると噂に聞く、海苔もおにぎりにはついていませんでした。

その後はサンドイッチの中身を工夫してみたり、パンの種類を変えてみたり、たまにおにぎりの日にしてみたり、時には買って来た味付きのパンを入れたり、など、「飽き過ぎない」ことだけを目指したお弁当作りを続けました。

飽きのこないお弁当なんて存在しない


ところが、何をどう工夫しても「飽きる」日はやってきます。
「飽きる」ことと「悪目立ち」。この二つの敵を前にはお手上げ状態でした。

子どものために弁明すると、飽きたので違うものにしてくれ、とわがままをぶつけてくるわけではありません。忙しい母親が用意してくれるお弁当に感謝の気持ちはある。わがままを言ってはいけない、と自分を戒める気持ちも持っていました。でも喉を通らなくなる。
お弁当を残し始めると「飽きた」のサインです。
どうしても困ると、子どもへ聞き取り調査をしました。

「他の子のお弁当の何がうらやましかった?」

大きなチキンの入ったサラダを食べている子どもがいると聞いて、炭水化物なしでも一食が成り立つことを知りました。

サンドイッチも工夫するようになりました。
チキンをほぐしてマヨネーズで和えてみるとか、魚のフライを挟んでみるとか。パンも丸いの長いの、形を変えてみる、サワードウ、フォカッチャ。
いろいろ試しているうちに、だんだん面白くなってきました。
オーストラリアで一般的な食べものが何かが分かるだけでなく、今の流行まで見えてくる。次第にお弁当を作るのが楽しいと思えるようになりました。


売店などを利用して人の助けを借りる


学校のキャンティーン売店を適度な頻度で利用するのがいいことも知りました。パンやお菓子が売られている以外にも、日替わりの温かいメニュー(パスタやカレーなど)があるキャンティーン。力強い味方です。

オーストラリアの学校では、休み時間に教室内に留まることが許されていないので(よほどの大雨でもない限り)、ランチは外で食べることになっています。
当然夏は暑く、冬は寒い。夏は食あたりが不安で、冬は食べると身体が冷えてしまう。

その点、キャンティーンはありがたい存在でした。
一、二名程度の従業員を除けば親のボランティアで営業しているため、比較的安価ですし、朝からお母さん方が奮闘して作ってくれるランチメニューは、お弁当の最大の難点をカバーしてくれます。

もっとも私たち親子が利用したのは数える程度。
日替わりランチは予約制だったのです。献立をチェックするのが苦手な母と、忘れもの名人な子どもたち、(ええ。二人とも名人です。遺伝子の底力を感じます)この組み合わせにランチオーダーはハードルが高かったのでした。

それでも時には甘い菓子パンを買って一食にしたり、夏にはアイスクリームをデザートに買ったり。親子ともども楽しませてもらいました。

キャンティーンの人気メニュー


子どもが通っていた学校のキャンティーンの人気メニューを一つご紹介します。
それはスパゲティ・ジャッフルというもの。
子どもから「食べてみたいからお金をちょうだい」と言われて、首を傾げながら小銭を渡したのですが、聞いてびっくりしました。

オーストラリアではホットサンド(ホットサンドメーカーでプレスして焼き上げたサンドイッチのこと)のことをジャッフルと呼んでいます。
スパゲティ・ジャッフルは、その名の通りサンドイッチパンに缶詰のスパゲティを挟んで焼き上げたもの。

驚きました。炭水化物を炭水化物で挟むとは。斬新!
でも少し考えたあとで思いました。
これはオージー版、焼きそばパンだと。
ジャッフルは予約する必要がなかったので、何度もオーダーさせてもらいました。


救世主ともいえるブームが訪れた


一人目が中学生、二人目の子どもが小学生の頃、救世主にも思えるブームがオーストラリアにやってきました。
日本食の流行です。

最初は寿司ロール(海苔巻き一本の半分サイズ)が流行し、街のあちこちでテイクアウトの店が開店し始めただけでなく、学校のキャンティーンでも売られるようになりました。
もう海苔も変な食べものではありません。おにぎり(だけ)弁当がワンランクアップしました(海苔がついただけとも言えますが子どもが海苔好きなので)。

前述しましたが、オージーはなかなかグルメ。
日本食のヘルシーさが注目を浴びると、日本食は瞬く間にブームを巻き起こします。

おかげでお弁当のメニューもこの頃に急に増えました。
ブームのおかげで、自分たちが普段口にしているものが周囲の羨望を集めることに子どもたちも気がついたのでした。

サーモスのスープジャーを使って、夏はそうめん(めんつゆを別添え)、冬はシチューや焼き飯など、変わったメニューも次々に試せるようになりました。
中でも周囲がとても羨ましがったお弁当は、意外にも稲荷ずし。
回転ずしのお店があちこちにできる中、偶然食べてハマった人が続出。
食べ盛りの年齢になっていたこともあって、大きなタッパーにお稲荷さんをびっしり入れて「皆で食べていいよ」と言って渡したこともありました。

お弁当箱にいれた日本式のお弁当を持って行くようになったのもこの頃。
オージーたちにも「Bento Box弁当ボックス」という名前が浸透し始め、仕切りのついたお弁当箱がスーパーでも売られるようになりました。

Bento Box 弁当ボックス


お箸を使えると尊敬されるんだと子どもから聞いて、お箸箱にお箸を入れてお弁当に添えるようになりました。

また人気の日本食が寿司、天ぷらにとどまらなくなりました。
その一つにカレーがあります。ようやく日本のカレーが異質の匂いではなくなったのです。
二人目の子どもの親友(スイス系オージー)がカツカレーが大好きと聞いて、週末に家に呼んで作ってあげたこともありました。

一人目の子どもの友人は、偶然日本食レストランで食べたから揚げが夢のように美味しかったというので、「嫌になるまでから揚げを食べさせてあげようナイト」を開催したことも。一キロの鶏肉を揚げ続けました。
あいにく嫌になるよりも先に、鶏肉が無くなってしまったのは残念。
オージーの成長期をなめていた私の完敗です。
でももう五年前の話になるのに、その友人は未だに「あの夜のから揚げがいかにおいしかったか」を語ってくれるのだとか。私にとっても嬉しい思い出になりました。


結論とその後


以上が私の過去二十年近いお弁当作りの経験談です。
最後に、お弁当は作るだけではなく、どのような形で返って来るかも重要でした。

子どもたちがお弁当を残したまま帰宅すると、体調が悪いのか、学校で何かあったのか、いじめられたか、と心配しました。
海外暮らしだからとか、子どもがハーフだからとか、お弁当を通して、私はさまざまな憶測をしたものです。

一人目の子どもが小学校高学年になった頃、子どもたちの間でお弁当の中身をゴミ箱に捨てるのが流行しました。
痩せたい子がいたり、好きじゃないものを食べたくなかったり、または食べ残しの理由を親に説明するのが面倒に思う子がいたり。
捨ててしまえば簡単だ、と周囲の子が言っていると子どもから聞いた時、お弁当は親子のコミュニケーションなのだと思いました。

残してもいい、手つかずでもいい。捨てずに持って帰って欲しい。
私はそれだけは守ってほしいと子どもたちに言いました。
おかげでお弁当は実に多くのことを語ってくれました。
学校で友だちともめている時、お弁当の残り具合でどのくらい深刻かがよく分かりました。

またハーフの子どもたちは家庭内に文化が二つあることに、複雑な感情を持ちつつ成長します。
喜び、誇り、時には煩わしく、面倒くさいと感じたりもします。
私の子どもたちも日本の文化に、時には積極的に近づき、かと思えば、時に忌み嫌いました。それも今思えば、お弁当がやんわりと私に教えてくれていたのでした。

現地の情報にやや疎いせいで起きた失敗もあります。
オージーの家庭では、高校生になると親がお弁当を作ってくれなくなるお家も多いそうです。
家にある材料で子どもたちは自分でお弁当を作らなくてはならないのですが、自分で作るのが面倒くさい私の子どもたちは、二人で相談してその大事な情報を私に伝えないことに決めていたそうです。
おかげで二人とも高校を卒業するまで私に作らせて自分たちは知らん顔。
まんまと罠にかかってしまいました。

それだけではありません。
大学生になったらバイト代でお昼は食べてね、でも家のものでお弁当を作りたければ勝手にどうぞ、と言っているのに、私がお弁当作りを好きになっていることに気づいている子どもたち。「今日だけ、お願いします!」と恥も外聞もなく頭を下げまくるものですから、未だにお弁当を作ることがあります。

さすがに大学生ともなれば、もはやお弁当はコミュニケーションでもなんでもないのですが、どんどん成長する子どもたちを見ていると、お弁当作りも永遠にできるわけではないことは想像できます。

あと少しの間だけ、騙されてやろう。
そう思って私は、もはや趣味といってもいいくらいに好きになったお弁当作りを、今も続けているのでした。



#創作大賞2026
#エッセイ部門

最後まで読んで下さってありがとうございました!







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