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【第107章・本丸御座之間の決戦】狩野岑信 元禄二刀流絵巻(歴史小説)

第百七章  本丸御座之間の決戦

 江戸城本丸。友盛は広敷門で刀を回収し、そのまま大奥を出た。塀沿いに走り、中奥と表の間にある納戸口から再び城内へ。さらに駆け、将軍世嗣の親衛隊・新番の番士が詰める土圭之間に飛び込んだ。

 ちょうど元甲府藩江戸家老の新番番頭・安藤美作と相棒の二番組組頭・島田時龍、さらに数人の幹部クラスが、年末年始の行事や儀式における警備体制について協議している最中であった。と言ってもその場に緊張感はなく、皆で火鉢を囲み、餅など焼きながら和やかに話をしている。

「あれ、友盛さん、何で? 今日はこっちには来ないはずでしょ」
「・・・」
「まあ、いいや。ちょうど餅が焼けましたよ。食べます?」

 こ奴、殴ってやろうか。思わず拳を握ったが、時龍が余りにのん気なので、自分の方こそ夢でも見ていたのではないかと不安になった。しかし、次の瞬間、着物の袖から漂う香の匂い。煕子を地震之間から担ぎ出したときの移り香だ。やはり、今、自分たちは危機のただ中にいる。

 友盛はひとつ大きく息を吐くと大股で真っ直ぐ進み、安藤の真正面に立った。
「一大事です。急ぎ新番衆を総動員して上様のご身辺を固めねばなりません」

 日頃の言動から、友盛が役目に関し、ましてや主君の安全にかかわることで冗談を言うような人間でないことは知れている。安藤だけでなく、時龍も他の者たちも、一瞬で武士の顔になった。
「何事だ? 松本、説明せよ」

 友盛は皆と目線を同じくするためその場に腰を下ろすと、頭の中を整理しつつ、熙子の受難と大典侍局の謀略、紀州藩加担の可能性について簡潔に説明した。気が急いて若干早口になったり、所々乱暴な物言いになったが、それは仕方ない。

「松本、御簾中様は確かにご無事なのだな?」
「はい」
「それは重畳。しかし、紀州の件は本当なのか」
「それは分かりません。ただ・・・」

 そこで時龍が横から口を挟んだ。
「紀州藩ですか。慶安の変のときも由比正雪を密かに後援していたというしなぁ」
 それに同調する声が次々と。
「先に鶴姫様を亡くし、次いでご夫君であった綱教公が急死。後を継いだ弟君も半年もせず他界。結局、放蕩者と評判のご三男が継がざるを得なかったという不幸続きの家だ。上様を逆恨みしてもおかしくない」
「機会さえあれば、ということか」
「ならば、紀州に妙な動きをさせないためにも、いち早く幕閣をこちら側に・・・」
「あっ、不味いなぁ。越前守様はいませんよ。初のお国入りでご領地に帰っておられる」

 最後の時龍の言葉を聞いて、安藤が舌打ちする。
「まったく、あ奴はいつも肝心なところで役に立たぬ」

 安藤と煕子の間部評が概ね一致している点、なかなか面白いが、さすがに酷であろう。ともかく、間部を弁護している暇はない。
「安藤様。道々考えてきたのですが、老中方の中で言えば、越前守様の推挙で上様が抜擢なさった秋元但馬守様にお力添えをいただいては如何でしょうか」
「うむ、なるほど。月番は確か・・・。くそっ、誰か、但馬守様のお屋敷に使者を。あと、佐渡守様(西之丸老中・小笠原長重)にも連絡せよ」
「では、それは我らが」と、何人かが席を立つ。

「ところで松本、御簾中様はどうする?」
「はい。我らこれより西之丸に参ります。上様のご指示を仰いだ上、御簾中様付きの奥女中に護衛を何人か付けて向かわせようと思っています」
「それでよかろう。では、松本、島田、配下を連れて西之丸に向かえ。松本は正門から、島田は裏門側から。途中、怪しい者がいれば捕らえよ。抵抗した場合は斬り捨てて構わん」
「はっ」

 その時である。西之丸から安藤に伝令が来た。

 伝令の様子は至って普通。慌てた様子など微塵もない。
「安藤様。先ほど、公方様から上様に対してお呼び出しがございました。公方様のご体調すこぶる悪く、ご遺言をしたいとのことです」

 友盛、時龍、そして安藤、三人同時に叫びはしなかったものの、口の形が「あっ」となった。
「お呼び出しの場所は?!」と友盛。
 友盛にそう問われた伝令は姿のいい若者であった。将軍世嗣の近習ともなれば、さぞや名ある家の子弟であろう。彼はむっとした表情を友盛に向けた。
「御本丸御座之間とのことです」
「何だと。馬鹿なことを。公方様が御座之間にお出ましになるはずがあるまい!」

 江戸城本丸の御座之間は、元々将軍と重臣たちが政について協議する幕政の中心であった。しかし、貞享元年(一六八四年)八月二十八日、綱吉を五代将軍に擁立した大老・堀田正俊が、若年寄・稲葉正休により、その御座之間で刺し殺された。さらに、稲葉も居合わせた他の幕閣たちに滅多切りにされて死んだ。
 病的に血の穢れを嫌う綱吉は、血の海と化した御座之間の様子を見て卒倒し、二度とその部屋に足を踏み入れることはなかった。それどころか、重臣たちと直接面会することすら避けるようになり、意思疎通は全て側用人を通すことになった。綱吉の治世はそこから迷走し始め、今に至っているのだ。

「それで、何とお返事を? 上様はまだ、西之丸を出ていないのであろうな?」
 雲行きが怪しい。安藤すら厳しい表情になっていることに気付き、伝令の青年もようやく慌て出した。
「あ、あの、そ、それが・・・」
「どうした!」
「い、いえ、その、四半時(三十分)ほど前にお出掛けになられました」

「しまった!」と、友盛が腰を浮かせて叫んだ。
「おい、使者に出ようとしている者も待て! 松本、島田、いるだけ率いて御座之間に向かえ。責任は私が取る。全員この場から帯刀して行け! 急げ!!!」
「はっ」

 そう言えば、友盛は刀を傍らに置いている。本来ならこれは重大な規律違反である。要人警護や城の警備に当たる者は例外的に両刀を携えて城内に入ることを許されているが、任務中以外は、それぞれの詰め間(控え室)の刀掛けに置いておかねばならない。詰め間に入ったらまず刀を刀掛けに。これは躾け事項として徹底されていた。

 それはともかく、友盛も時龍に並んで刀掛けに走った。別の刀を欲したのではない。彼は、彼の戦闘力を最大限発揮できる愛用の赤樫の杖を手に取った。

 そして友盛と時龍、その場にいた一番組と二番組の番士三十名ほどを率いて土圭之間を駆け出た。
「間に合ってくれ!」
「今日上様の警護に当たっている三番組の遠藤殿は馬庭念流の遣い手だ。易々とはやられないでしょう」
「だといいがな」

 土圭之間を南に出て桔梗之間を突っ切り、中庭を巡って黒書院の横へ。その先に長い御成廊下がある。将軍の親衛隊・書院番の番士が二名ずつ、廊下の両端を固めていた。
「何者か。この先は御座所である。止まれ!」
「どけ! 新番一番組組頭・松本友盛だ! 将軍世嗣・徳川家宣公火急のご用件にて、まかり通る!」

 友盛は勢いそのままに突進。得物の杖で一人を突き倒し、ひるんだもう一人には体当たりをかました。
「無茶するなぁ。怪我でもさせたら大変ですよ。書院番は名門揃いなんだから」と呆れつつ、時龍も駆け抜けざま、逆側の二人を峰打ちで倒した。

 表の土圭之間から中奥手前の御座之間まで、直線にすればたかの知れた距離だが、間に多くの部屋と入り組んだ構造の廊下があるため、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりせねばならない。
 ようやくと言った感じで友盛と時龍が御座之間の前に至ったとき、障子戸で閉め切られた室内から大音声が聞こえてきた。

「徳川家宣を僭称する不義の子・新見左近。其方儀、甲府藩主・松平綱重の嫡子に成りすまし、藩主の地位を掠め取ったばかりか、天下の将軍職をも奪わんとの企て、古今に類のない大罪。天地人ともに許さざるところ也。よって、上意により、ここに成敗する!」

 次の瞬間、ビシャッと血しぶきが飛び、友盛と時龍の目の前の障子を真っ赤に染めた。二人は一瞬動作を止め、息を飲んだ。
 友盛は自らを励まし、勢いよく障子戸を開ける。そこで、驚いて振り返った主君・家宣と目が合った。
「上様!」
「友盛!」
 同時に家宣の最後の盾として奮戦していた武士が、喉元から大量の血を流しながら崩れ落ちる。時龍が反射的に抱きかかえた。
「遠藤さん、しっかりしろ!」
「し、島田か。よ、よかった。上様を、上様を・・・」

 友盛は家宣を背後にかばいつつ、室内を見回した。畳の上、そこここに血を流した武士が倒れ、御座之間は再び修羅場と化していた。白鉢巻きに白襷の敵勢は十四、五名。そして、目の前に新見典膳。血塗られた三日月ような大刀を片手に仁王立ち。友盛と時龍が入って来なければ、家宣の首筋目掛けて最後の斬撃を放っていたであろう。

「また貴様か。とことん邪魔な奴だ!」
「その台詞、そっくり返すぞ」

 典膳が仲間に向って吠える。
「みんな、雑魚はいい。家宣だ、家宣の首だけを狙え!」
 敵が再度秩序立って攻勢に移る。友盛も声を張って味方を励ます。
「それ! 上様を囲んでお守りせよ。すでに数では逆転している。落ち着いて一人一人討ち取れ!」
「おう!」

 部屋中で斬り合いが激化。瀕死の遠藤を廊下に寝かせた時龍も参戦。
「刃が通らない。鎖帷子だ。みんな、敵の首か脚を狙え!」
「承知」
「三番組は一旦退いて上様の周囲を固めつつ、負傷者の手当てを」
「はっ」

 一番組二番組の番士たちは友盛・時龍の指揮で、敵勢を出来るだけ家宣から引き離し、部屋の中央に囲い込むように攻撃した。しかし、その都度、典膳の豪快な剣技によって囲みの輪が破られ、また囲み直すということの繰り返しであった。

 それでも多勢に無勢。同時に一人ずつ倒れても、戦力ダウンの割合は敵の方が大きい。敵は残り八人になったとことろで、一瞬、ぎゅっと典膳の周囲に集結した。

「みんな、最後だ。一丸となって突っ込むぞ!」と典膳。
「おう!!!」
 皆、どこか楽し気で、悲壮感など微塵もない。中の一人が落ち着いた声で言った。
「武士として、これほどよき死に場所があろうか。新見さん、礼を言います」

 彼の名は、竹之内甚助という。元川越藩士で、典膳と共に隠し金山探索のため甲斐に潜入した内の一人である。彼は客分の二人を除けば、潜入部隊の中で典膳の次に優れた剣技を持っていた。しかし、事前に足を骨折し、間部の首を狙った釜無川の作戦には参加できなかった。

 その後、独力で江戸に帰還。他の生き残り同様、微禄ながら正規の藩士に取り立てられた。それからは即戦力の町方同心として川越城下で務めに励む日々。ところが、柳沢家の甲府への転封話が出始めた頃、突如喀血して倒れた。労咳(肺結核)であった。江戸時代、この病を治療する術はなく、休養と栄養に気を配り多少の延命を図るのがせいぜい。

 すると彼は、惜し気もなく家督を従弟に譲り、自らは出家すると言い残して姿を消してしまった。当時、川越城下はすでに甲府への移動準備に忙しなく、しかも彼のこれまでの真面目な勤務ぶりから同情する声も多かったので、親族も藩庁も深く追求せずに済ませた。
 そして三ヶ月ほど前、どこで聞きつけたか、彼は典膳たちの隠れ家・根津の寮を訪ねてきたのである。

 その竹之内を先頭に敵が団子状態になって突っ込んで来た。

 まず、時龍が立ちはだかる。彼はその性格通り真っ直ぐ正眼に構えた。そこに竹之内渾身の打ち込み。時龍はそれを受け流し、綺麗に胴を払う。時龍もすでに三十代半ばを過ぎている。その剣は円熟の域に達し、元々あった速さに加え威力も倍加。鎖帷子の上からでも十分敵を行動不能に出来た。
 竹之内は、労咳の喀血か、肋骨が折れたか、いずれにせよ大量の血を吐いてその場に膝を付いた。しかし、そのまま時龍の刀を脇に抱えて離さず、さらに自分の刀を投げ捨て、伸ばした片手で隣の番士の胸倉をも掴んで動きを封じた。
 すると、敵の他の生き残りも竹之内に倣い、身を犠牲にして番士たちの動きを封じにかかった。

 竹之内が血を吐きながら叫ぶ。
「新見さん、行ってくれ! 首を、大納言の首を!」

 典膳が巨体に似合わぬ素早い動きで人混みを縫って前に出る。視界が開け、家宣の姿を確認。さらに前へと思った刹那、目の前に赤樫の杖が突き出された。
 典膳は反射的にそれを弾いたが、前方に突進する力に刀を振る力が作用し、微妙にバランスを崩した。友盛はそこを逃さない。弾かれた杖を上手に回転させると、柄の方を典膳の左首筋に叩き込んだ。
 典膳、堪らず片膝を付く。友盛が思わず問う。
「貴様ら、なぜここまで?」
「分からぬか。侍だからさ」

 するとそこに家宣の周囲を固めていた三番組の負傷者たちが殺到してきた。目の前の大将首を命懸けで獲りに行くのも侍なら、身を挺してでも主君を守ろうとするのもまた侍なのだ。しかしこの場合、それは却って不味かった。一瞬、家宣の周囲ががら空きになったのである。

 友盛の渾身の強打を受け、鎖骨が折れたか、左手の自由が利かない。典膳は右手一本で得意の水平斬撃を放ち、番士たちをなぎ倒した。そして、そのまま、友盛を引きずるように膝行し、次いで立ち上がろうとした。しかし、典膳が再度水平斬撃の態勢に入ることを友盛は許さなかった。

 友盛は前しか見ていない典膳の胸倉を掴んで引き倒すと、杖を手から離して脇差を抜いた。その刃を典膳の腹に突き立て、典膳以上に大柄な彼の全体重をかけてぐっと押し込む。刃は鎖帷子をも突き通し、典膳の体内に深く、深く入って行った。

「典膳、お前は馬鹿だ」
「ふっ、分かっているさ」
 典膳はそう言って畳の上に大の字になると、動きを止めた。

 終わったと思ったが、そうではなかった。友盛が目線を上げて家宣の無事を確認をしようとしたところ、息絶えたはずの典膳が口を開いたのだ。

「乙星、どうやらここまでだ。すまんな」

 すると、今まで気にする余裕もなかった上段之間の御簾の後ろからも声が聞こえた。女の声だ。姿は影だけ。しかし、シルエットだけでも美しいその人は、透き通るような声で静かに言った。
「旦那、十分です。十分楽しませてもらいました」
「そうか。お前にそう言ってもらえれば本望だ。後は・・・」

 典膳は今度こそ本当に絶命する寸前、どこに隠し持っていたか、家宣目掛けて棒手裏剣のような小刀を投げた。とっさのことで誰も動けなかった。
 いや、一人だけが反応した。しかし、己が体で防ぐのが精一杯。典膳の投げた小刀は、壁のように立ちはだかったその男の左胸に突き立ったのである。

次章(最終章)に続く