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売るのをやめたら、信頼が残った――「懐に入るのが苦手」なまま、営業の最前線で私がしてきたこと

「営業に向いていない」と、何度思ったか分からない。
私は、人の懐にスッと入り込むような器用さは持ち合わせていなかった。言葉で相手を説得するのも苦手。同僚たちが鮮やかなトークで契約を決めていく横で、私はいつもどう距離を詰めればいいのか分からず、立ち尽くしていた。

そんな私が生き残るために選んだ手段は、少し泥臭いものだった。 内心はハゲタカだった――。 もちろん、相手を食い物にするという意味ではない。獲物がどこで何に困っているのか、その「課題」のありかを誰よりも執拗に、血眼になって探し続けるという姿勢において、私はハゲタカのようだったのだ。誰もやりたがらない細かい数字を拾い上げ、相手が本当に喉から手が出るほど欲しがっている「価値」を探し続ける。

「営業下手」というコンプレックスがあったからこそ、私は言葉で飾るのではなく、相手の奥深くにある課題を見つける為にこの観察眼を身につけるしかなかったのだ。
PC画面越しに完結するネット業界で生きてきた人間が、どうやって泥臭い対人戦で頂点に立ったのか。それは、多くの営業担当が捨てた「面倒くささ」を愛したからだ。

営業において「面倒くさい」というのは、最大の参入障壁だ。裏を返せば、びっくりするほど誰もやらない。
誰もが面倒がる、手数料の薄いニッチな種目。手続きに時間かかることはもちろん、専門用語も難解で、お客さんの方が業界知識に詳しい場合さえあるからだ。生半可な知識で飛び込めば、即座に「素人」の烙印を押される。
私は毎日、会社に戻ってからそれらの用語を一心不乱に調べ、翌日にはあたかも最初から知っていたかのように話す努力をした。この「面倒」を積み重ねることで、私は他者が決して入り込めない信頼というインフラを築いていった。

私のテレアポは、単なるアポ取りではない。それは、相手の「お断り」の中に潜む課題の匂いを嗅ぎ分ける、格闘技のようなものだ。断られることは拒絶ではない。相手の課題を炙り出す、ヒアリングの始まりである。

そして、私の伝説的なエピソードがある。

記録的な大雪の日、他の営業担当が当然のようにアポをキャンセルする中、私はずぶ濡れになりながら坂を登った。タクシーも首を横に振るような雪道を、震えながら現場へ向かう。ゴアテックスのジャケットのおかげで上半身は守られたが、下半身は雪に浸かり下着まで冷たく濡れきっていた。体温は奪われ、指先の感覚は遠のいていく。それでも歩みを止めなかったのは、今雪で一番ピンチであろう相手が気にかかったからだ。

アポ先の事務所に辿り着き、全身ずぶ濡れの足元で立ち尽くす私を見て、社長は絶句した。「狂っているのか」と。しかし、続いて出た言葉は「もう、この会社の一部だな」という信頼の証だった。

あの夜、雪をかき分けて刻んだ足跡こそが、私のビジネスの正解だった。効率やマニュアルなんて、この雪道の前では無力だ。本当に人を動かすのは、濡れたまま駆けつけ、境界線を超えてまで「そこに在る」という属人性だけなのだと、あの夜の冷たさと温かさが教えてくれた。

ある時は、部下から腫れ物扱いされている経営者に寄り添った。
「君は僕を怖いと思うか?」と問われたとき、私はただ「社員の立場なら、たしかに怖いかもしれませんね。でも、社長が必死なのも伝わります」と笑った。相手の剥き出しの弱さを肯定したとき、私たちの間には「営業と客」を超えた共犯関係が生まれた。

かつて私が苦心して身につけた、この「懐に入りすぎない距離感」や「沈黙を武器にする技術」は、今、カウンセリングの現場でそのまま生きている。営業とは、相手の孤独を汲み取り、最適解を届けるための人間観察の実験場だったのだ。

ある日、経営者が自分の愛する文具を手に取り、そのこだわりを熱弁し始めた時、私は売るのをやめた。その使い心地と、彼がそれをどれだけ愛しているかについて語り合った。「相手が求めるものを差し出す」とは、こちらが売りたい商品リストを並べることではない。「あなたはこれが誇りなんですね」というメッセージを、態度で示すことなのだ。

提案なんて、商談の最後の5分あれば十分だ。残りの時間はすべて、彼らの武勇伝やその裏にある、今の自分に対する不安や、認められたいという純粋な孤独、あるいは、職人のドタキャン、若手の育たなさなどのぼやきから見えるビジネスの美学や、今の迷いを聴くためにあった。契約には1ミリも関係のないその話を、ただただ頷いて受け止める。彼らにとって、私は営業担当ではなく、心の中の淀みを吐き出せる唯一の器だったのだ。

私が売るのをやめたとき、最後に残ったのは、相手との間に築かれた強固な信頼だけだった。無理に距離を詰めず、相手の影の部分も含めて肯定し、適度な距離で見守る。その適度な「余白」こそが、相手が自ら答えを出すための土壌となる。

いま私がクライアントの言葉にならない痛みを受け止められるのは、あの泥臭い営業の現場で「言葉以外のもの」を読み取る訓練を積み重ねてきたからに他ならない。

効率的に距離を詰めようとするのは、もうやめよう。
もしあなたが今、人間関係に疲れ果てているなら、まずは一度黙ってみてほしい。相手が語り出すのを待ち、その影まで肯定する。その余白の中にこそ、一生切れない絆が生まれるはずだ。泥臭いままのあなたでいい。まずは私に、あなたの話を聞かせてくれないか。

…とはいえ、SNSという喧騒の中で、沈黙を通すのは難しい。私自身、黙るべきだと分かっていても、どうしても伝えたい「痛み」や「誰かの叫び」に出会うと、指が勝手に動いてしまう。

これは、格好いい発信ではない。ただの、止められない衝動だ。 綺麗事の人間関係に疲れたのなら、まずは一度、徹底的に黙ってみろ。泥臭い自分を隠すのをやめたとき、やっと本当の勝負が始まるのだから。

泥臭い自分を隠さずに、今日も私はここに書く。 綺麗事ではない、あなたの影を愛するための言葉を。

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