【整】 丁寧な暮らしの「化けの皮」
観風です。
最近、本屋さんの棚やネットの世界を覗くと、
「丁寧な暮らし」という言葉が溢れていますね。
朝は小鳥のさえずりで目覚め、
お気に入りの作家さんの器に、
彩り豊かな朝食を盛り、
背筋を伸ばして一日を始める……。
そんな、まるで映画のワンシーンのような暮らしに
憧れを抱くのは悪いことではないと思います。
実は私も、
この「観風庵」とかいう屋号を掲げている手前、
「丁寧な暮らしの体現者」でありたいという、
ちょっとした見栄を持っていました(笑)
理想の仮面が剥がれる瞬間
ところが、です。
朝、意気揚々と
「いつものように白湯を飲んで、瞑想をして……」
なんて決めていても、
ふと気づけば、立ったまま台所で、
昨夜の残りのパンをかじっている自分。
「お気に入りの器」を出すどころか、
洗い物が面倒で、
手に取ったのはキッチンペーパー。
硬くなったパンを乗せてレンチンしてます。
そんな時、私の「丁寧な暮らし」の化けの皮は、
いとも簡単に、ペリペリと剥がれ落ちていきます😢
どちらの私も、私
「またやってしまった」
「私は丁寧な暮らしには程遠い人間だなぁ」
そうやって自分にガッカリして
仕方ないよ、これが現実
と納得することもよくありました。
でも、今はこう思うのです。
もちろん、
自然体で丁寧な暮らしができるなら、
それに越したことはありません。
お気に入りの道具に囲まれて、
心穏やかに過ごす時間は、
きっと素敵な「養生」にもなるでしょう。
けれど、同じくらい大切なのは、
「ちゃんとしている自分」も「ずぼらな自分」も、
どちらも自分であると許容すること。
背筋が伸びている時も、猫背で丸まっている時も、
どちらも等身大の私なのです。
剥がれた後の「素顔」が、一番心地いい
「丁寧」というのは、
形式を守ることではなくて、
自分自身に「丁寧」に向き合うことなのかも。
「今日は頑張れないな」という自分の声に
「いいよぉ〜」と耳を傾ける(吉本風に)。
それこそが、
実は本当の「丁寧な暮らし」かもしれません。
たまには「化けの皮」を脱ぎ捨てて、
ボサボサの頭で、格好悪い姿で風に当たってみる。
すると、今まで見えなかった
日常の小さなおかしみや、
新しい味わいを感じられるような気がします。
なんだか、今日も
私の「ズボラ自慢」になってしまいましたが(笑)。
その「格好悪さ」を、
「人間らしくていいじゃな〜い」
と笑い合えるパートナーがいたら最高ですね。
観風 拝
