年齢の呪縛:コラム② 跳び箱『あ、飛べた』という瞬間
私は、弟が生まれるまでは大切に育てられた。走ると「あぶない」、ソファに立つと「あぶない」
結果、小学校に上がる頃には、体育の通知表は1か2ばかりだった。
跳び箱の授業も、助走が遅いし、跳び箱の直前で一時停止するので、当然飛べない。
それで、担任の先生から放課後練習するように言われた。
体育館に3段の跳び箱を置いて練習する。担任の先生はいない。付き添ってくれたのは、クラス委員の2人。
2人は、塾があるのでソワソワしていた。
私は、相当、人の顔色を観察して分析する子だったので、泣きそうになりながらも、「早く飛ばなきゃ、早く終わらせないと」と何度も助走と跳び箱の途中に座るを繰り返していた。
何十回目かに、なんと飛べた。
ものすごく、嬉しかった。飛べたのも、2人を解放してあげれたのも。
練習の最初は、頭の中は「飛べない、どうしよう」だった。
行ったり来たりするうちに、2人からアドバイスをもらい、考えずに、素直にアドバイスに従った。
私なりに、出来るだけ早く走る。跳び箱に手をついて、足を広げて飛び上がる。
飛べた時には、頭の中には、「飛べない」はなく、飛んだあと、「あ、飛べた」が広がった。

こんなことがあるから、極度の運動音痴の私でも運動を嫌いにならずにいられるのだと思う。
そして、大人になってから思う。
あの小学生の私が「飛べない」と思っていたところから、
2人のクラス委員のアドバイスを素直に受け入れ、私が飛べないとこの人達は帰れないと思って体を動かし、飛んだこと。
年齢も、思い込みも、
もしかしたら
跳び箱の前で止まってた時間と一緒かもしれない。
それであれば、あの時のように、ちょっとやってみてもいいかもしれないと思った。
京都にてCha✨
