偏差値73の進学校を抜け出して、通信制のゼロ高に特待生で入学した
初めまして。
ゼロ高等学院2年生の曽田柑です。2ヶ月前は都立西高校の生徒でした。
ふと文章を書きたくなったので、ここ数年の話をつらつらと書いてみます。
進学校での生活に嫌気が差したのはいつからだっけ。

中学の頃勉強にハマって、気づいたら首席になってて、面白い人が多そうだったから西高に入学した。
高校1年生の初めは皆と同じ、優等生だった気がする。

提出物をキチンと出して、定期考査に精を尽くして。
高校1年生の夏が一つの起点だった。
アメリカ西海岸で働く叔父さんの家に7日滞在した。叔父さんは当時エンジニアを目指していた僕をApple ParkやGoogle、Adobeの本社に連れて行ってくれた。

カリフォルニアが大好きになった。温かいカルチャーも、風通しの良すぎる職場も、気候も。
絶対に2年後、もう一度ここに立つ。スタンフォード大学の中庭で誓った。
2023年8月25日、時差で1日早い誕生日を迎えた日の昼下がりだった。
日本に帰ってからは、とにかく行動を起こしたくてがむしゃらに手を伸ばし続けた気がする。
Appleのアプリコンテストで入賞したり

合成生物学を研究してる団体のデザイナーになったり

東大の研究プログラム参加してみたり

その他 スタンフォード大学の教育プログラム、未踏ジュニア、GCIなどイベントや長期プログラムに数えきれないほど参加した。
学校の外に飛び出す活動は死ぬほど楽しかった。西高の外に一歩出ただけでこんなに面白い世界が広がっているとは思わなかった。
毎日新しい応募エッセイ書いて、常に新しい人に会っていた。
自分の限界なんか知らなかった。いくらでも詰め込めると思っていた。
Googleカレンダーはパンパン。テスト2日前に課外活動の提出物で夜中の2時まで作業する。Todoリストに「昼休み」と「授業中」というタブができた。
そもそも学校も作業のために休みがちになった。

ただでさえ少ない友達と全く遊ばなくなり、大好きな陸上部を休みがちになり、学校の勉強も疎かになった。
自分の時間を削って活動することが充実だと思い込んでいた。
2024年の7月ごろから今まで無双していた公募に急に落ち始めるようになる。留学プログラムに3連続で落ちて、未踏とiGEMの知り合いが勧めてくれたCA Tech Loungeに落ちて、サイエンスキャッスルの奨学金に落ちた。
課外活動に全振りしたことで西高の成績は急降下し、睡眠不足で部活もうまくいかなくなり、孫正義育英財団やiGEMの人と自分を比べて強い劣等感を感じ、付き合っていた彼女に振られた。

2024年8月、唐突に鬱になる。
ちょうどアメリカ滞在から1年後の辺りだった。
もうとっくに自分が課外活動を楽しんでいないことは気づいていた。
勉強も部活も人間関係も何も上手くいかなくなって、それでも惰性で毎日夜遅くまで作業して。朦朧とした頭で学校に行きながら日々やらなければいけないタスクに追われる。
課外活動は絶対に辞めてはいけなかった
これを手放したら自分の1年間を全否定することになるから。
自分に止めを刺したのは9月、西高の修学旅行だった。
修学旅行の2日目にはStanford e-Japan、3日目にはiGEMのPresentation Videoの作成締め切りが迫っていたため、もちろんMacBookを持参。
清水寺を見ながら夜21時から24時の自由時間(?)の作業計画を立て、バスの移動中はレポート用に英語の講義を受けていた。
3日目の夜、宿舎の部屋の隅っこ、僕は死んだ顔でPresentation Videoの編集作業をしていた。オンラインでメンバーに動画提出の催促をしながら何とか作業を終わらせ、iGEMのフォームにアップロードを済ませた。
欠伸をして、ふと自分の腕時計に目を遣ると夜の12時を回っていた。
そろそろ寝よう、虚ろな顔で数時間ぶりにMacから顔を上げる。
部屋の皆はまだ起きていた

みんなは布団に寝転がって、体を寄せ合って、和気藹々と西高の修学旅行の夜を楽しんでいる。
ああ、
自分はこの3日間、目の前にある修学旅行を楽しむことを忘れていたんだな。
今まで何やっていたんだろう
急に虚しいような、悲しいような、怒りのような、よくわからない感情が湧いた。
ふと課外活動に奔走してきた1年間を思い出す
これまでの活動に意味はあったのかな
なんで目の前の友達を蔑ろにしてしまったのかな
いや、
もうどうでもいいや。
限界だった僕を救ったのは「エッセンシャル思考」という一冊の本だった。
より少なく、しかしより良く。
不必要な物を手放すことで本当に大切なことに集中できる。
当時課外活動に忙殺されていた自分にエッセンシャル思考の教えは強く響いた。
そこから全て手放し始めた。
抱えていた課外活動を全て辞め、塾を辞め、パンパンだったリュックもすっからかんにした。
するとどうなったか。
今までの苦しみが嘘みたいに毎日が充実していった。
学校の授業は今までになく楽しくなって成績が上昇し、陸上もフォーム探求に没頭して部でトップのタイムを出し、人の目を見て自然に笑えるようになった。

そんな充実感がずっと続けば良かったが、11月頃からまた悩み始める。
「自分は西高に居て良いのだろうか?」
課外活動を辞めたことで学校に深く関わるようになった。
学校外で経験を積んできた目で、落ち着いて西高を見てみると不思議なことに気づく
なんで皆日本の大学受験だけを目指しているの?
なんでそんなに東大に行きたいの?
なんで授業を全く聞かずにずっと鉄緑会のテキストを解いているの?
なんで常に定期考査、小テストに追われているの?
なんでこんなに競争させられているの?
なんで賢い頭を持っているのに「将来は会社員になってゆっくり暮らしたい」なんて言うの?
学校の外に出れば面白い研究をしている高校生や、今まで会うことのなかった変な大人に会えるのに。学校の中に留まってしまうと目の前のテスト勉強、受験勉強しか考えられなくなる。人生の選択肢の視野が狭まる。
これって物凄く恐ろしいことじゃないかな
幼少期に誰もが持っていた探究心の芽は、日本の画一的な義務教育を受けるうちに、そして典型的な人生のレールをなぞっていくうちに、いつの間にか消え去っている。
何となく小学校を出て中学に入り、勉強というゲームの得意不得意で高校、大学が決まっていく。
"やりがい"を大義名分にぶら下げる会社に、これが自分のやりたいことだと言い聞かせて所属し、気づいたら日本のシステムの一部になっている。
人生を支えているのは、お金という形而上の、定量化された概念。その幾らかをNetflixなどのサブスクに投下して、消費的な娯楽で自身の可処分時間を埋め合わせていく。

朝7時の都営新宿線では全く同じ顔をしたサラリーマンが満員電車に押し込まれ、怖い程の無表情で、スマホで時間を潰す。
溜息と舌打ちが入り混じる車内で押し潰されそうになる。
典型的な日本人。
あまりにも未来が見えすぎてしまっている。
西高を出て、名門大学に入って、就職をしたらきっと自分も、
気づいた時にはこの満員電車を構成する一欠片になっているのかもしれない。
決まっている未来に向かって、安定した収入が確約された道に沿って、淡々と努力する。
どんなに個性的と言われても、遠目で見たら何も変わらないホモジニアスな成人の一人として社会を構成する。
そして何の疑問も持たないまま老いて、いつか葬儀屋の肥やしになる。
それって人間としてどうなんだろう

ChatGPTが共通テストで9割越えの点数を叩き出して、人間のエンジニアに依頼したら200万円かかるウェブサイトをv0が数十秒で生成できるようになったこの現代。誰かが成功した方法をなぞる生き方をしていたら何れ人間の価値は無くなる。
だって事実上無制限のメモリを持つコンピュータが深層学習を無限に行うことができる時代なんだよ。
演繹的な分野で人間がAGIに勝てるわけもないし。
そんな時代がこれから確実に来る。
だから、もっと人間らしい生き方がしたい。
学校にも、社会にも縛られずに自分が今やりたいことに本気で没頭したい。
安定した生活を送りたくない。
ジェットコースターのような破茶滅茶な人生を送りたい。
冒険家のような生き方がしたい。
優秀な日本人育成学校の西高で貴重な高校3年間を過ごしてしまったら間違いなく死ぬ時に後悔する。
自分の人生の舵を握らないといけない。
2024年12月はこのままではいけないという焦燥感に常に苛まれていた。
学校になんとなく通っていることが唐突にものすごく怖くなった。
みんなが一様に日本の大学を受験するために知識を詰め込み、自分のやりたいことよりも先に「もっと勉強しないと」という言葉が出てくる。「皆と一緒」という生ぬるいお湯に浸かって、先生に、塾に言われた通りに受験勉強をしている。こんな環境でイノベーティブな見解や革新的なアイデアが出てくるはずもない。
これが都立西高校?自由な校風、先進的な人間を生み出すためのトップレベルの高校ではなかったのか?
怖い。誰かが過去に発見した成功法の上を辿るだけ、社会が決めたレールに乗るだけの人生は。
マニュアルが存在する行動はいずれ全てAGIに移り変わるだろう。
そうなったらきっと、日本の義務教育(マニュアルを与えられる教育、皆と同じこと=安心だった)環境で育った人は途方に暮れる。自分がコンピュータで代替できる人間だったということに。
この日本の教育では人間の価値をいずれ失わせてしまう。そうじゃない。まだ見ぬものを探す、未踏の地に踏み込んでいく、それこそ人間のするべきことだろう。丸暗記なんかする必要はない。どこかに記録するか、AIに学習させればいいだけ。
2024年12月19日、突如として転機が訪れる。
全く興味を持てなくなった西高の授業中のことだった。
昼時の日が差し込む窓際の席、僕は頬杖をついて考え事に耽っていた。
これからどうやって生きていこう
隣の席をふと見ると、教師を一瞥もせずに鉄緑会のテキストを黙々と解き続ける生徒。
僕はまた強い焦りを感じて、学校支給のiPadを開き、学校を抜け出す方法を調べ始める。
Googleをスクロール、ゼロ高等学院という通信制高校が目に留まる。
前から名前は聞いていたが、詳しくは知らなかったので調べてみた。

知識の詰め込みではなく行動を重視する、HIUの参加など起業が身近に存在する環境。
代表の堀江さんと内藤さんが教育畑出身ではないこと。
そしてゼロ高創設の理念。
全てが自分の思想にあまりにフィットしている
行きたい、何としてでもこの環境に飛び込みたい。
が、年100万円以上の学費を、ひとり親の我が家で払えるわけもない。
その時、特待生募集のニュースを見つける。

「特待生」は、将来の目標を明確に持って本校へ入学する学生に対して人材の育成に寄与することを目的としております。
学業、起業、スポーツ、芸能、アート、技術などの分野において特に優秀な生徒に対して授業料の一部等を免除し、生徒の活動を奨励する制度です。
その分野において、入学後も本学で3年間継続できること優秀な成績を収めている、又はこれに準ずる実績である品行方正な学生であることなどが求められます。
募集枠:3名
期間:3年間(1年ごとに審査を行います)
活動報告:プレゼンテーションを年4回実施
授業料の免除。この文字に目が釘付けになった。
行ける。この瞬間僕は確信する。
自分が特待生としてゼロ高に入学している未来が鮮明に浮かび上がった。
ホームページには特待生の条件として「1年次入学のみ」との旨が記載されていたが無視。
自分が今抱えている想いを支離滅裂に書き殴って、ゼロ高公式LINEを友達追加して、そのまま送信した。
2024年12月19日の昼時。
たしか地理の授業中だった。

翌日返信が来て、代表の内藤さんと1月7日に面接をすることが決まった。
クリスマスを含めて冬休みはひたすらに面接の準備に集中した。
自分の想いを伝えるためのプレゼンを作り込んだ。
こんなに一つのプレゼンの準備を行ったのは初めてかもしれない。
プレゼンの作成は一筋縄には行かなかった。
自分の実績をPRする66ページにも及ぶスライドを作成していた。
が、面接の直前に社会起業家の喜多恒介さんにアドバイスを頂いて実績重視からポテンシャル重視の内容に一から作り始めた。
面接の前日、夕方6時の決断だった。
冬休みに何十時間もかけて作ったスライドは全て捨てることになったが、2時間で作ったこちらの方が自分の本心を伝えられる良いプレゼンになっていることを確信した。
1月7日、新宿の小田急ホテルセンチュリーサザンタワー、朝10時に集合という約束だった。
8時に新宿駅に着き、近くのカフェ・ベローチェ南新宿店に向かう。
奇遇にも遠くに鉄緑会2号館が見えた。
レジで最安価のコーヒーを購入し、それを片手にプレゼンの最終確認をする。
今日はただの面接ではない
人生の舵を自分で握る、その第一歩を踏み出す
興奮で手脚が震えていることを感じた
当時の日記に詳しく綴っている。
2025/01/07
4:20に起きてプレゼンスライドの続き。昨日作成したスライドを見返す。自信過剰なプレゼンの内容に少し恥ずかしさを覚えつつ、いやこれでいいんだと自分を鼓舞する。
家で集中できないことはわかっていたので、GUの真っ黒ジャンパーを着て7:00に家を出た。8:30ごろに新宿のサザンタワー近くのカフェにつき、直前準備。
プレゼンの完成度も高まっていった。何を言えば自分の魅力が最大限伝わるかということも段々とわかってきた。冬休みの間に準備してきた本心と乖離している実績重視のものとは違い、これならいくらでも語れる。過去のくだらない実績ではなく自分の未来のポテンシャルについてだから。
一回声に出して発表練習をして、少しプレゼンを見返す。
二回目の練習をする気にはなれなかった。なんでだろう。多分この熱を持ったまま発表したかったからかな。何回も練習するとテンプレートになる気がした。それと面接直前にうまくいかない経験をしたくなかった。
この後の面接のことを考えて、自分の人生がかかっているワクワク(西高を飛び出せる)と、どうなるかわからない不安、そして内藤さんにプレゼンする興奮が入り混じって、とにかく緊張して手がずっと震えていた。
そんなこんなで9:30になりサザンテラス、20階のラウンジに向かった。なぜかラウンジは閉鎖されていた。しばらく近くのソファに座って待っていたら内藤さんっぽい人がいた。
声をかけて、ラウンジ使えないからということで移動。
いいカフェがなかなか見つからず気まずい雰囲気の中、歩いてなんとか新宿駅のDean & DELUCAに到着。
場所が決まっていないことには驚いたが、なんかカジュアル面接みたいで面白くなってきた。
内藤さんは優しい顔をしているが実際に対面するとなかなか威圧感があった。大人の、ちゃんとビジネスを経験してきた人の様子。ビジネスピッチも数多く見てきているだろう。
今までのような子供騙しのプレゼンでは絶対に通じないということを確信した。
「特待生で面接した人は今までいるんですか?」
と聞いたら、
『いや?うーん、一人いたけど落ちたかな。』と。
背筋が凍った。
受ければ受かる特待生だと思っていたがそんな甘くない。良く考えれば自分に対して100万円以上の投資をしてしまうのだから当たり前か。これ書いていて思ったけど未踏ジュニアより金額的には上だもんな、簡単なわけがない。
面接の流れも決まっていないようで、自己PRをしたいと申請したらどうぞと言ってくれた。内藤さんの横に座って、パソコンの画面をセットする。
そしてプレゼンが始まった。最初は緊張していたがだんだん話していて楽しくなってきた。想像以上に自分は話せている。今までの練習とは違って隣にいる人に伝えるライブ感もあった。時々内藤さんから質問もあって答えながら進めていく。内藤さんは頷きながら聞いてくれていた。
これは行ける!プレゼン中に確信した。
終わった後に内藤さんが一言。
『特待生でいいよ。』
一安心
自分の経験に強い興味を持ってくれて、冬休み中に作ったプレゼンのスライドを見せたり、今までの活動で談笑したり。
いや、それ以上に日本の教育の話で盛り上がった。ゼロ高校が目指している学校像、これからゼロ高がどうなっていくべきなのか、日本の教育はどうなるのか。などなど
『ゼロ高校は新設されたばかりで制度が整っていない。生徒を曽田のように自主的に動ける状態にもっていっていきたい。そのためにプレゼンの課題を用意しようと思っているけど、どう思う?』
「西高もそうだけれど、課題があるとやらされ感が出て学びにならない。」
『いや、それは俺たちもわかっている。だけど人は課題がないとやってくれないということを6年ゼロ高を続けてわかった。』とか。へー面白い
これからのゼロ高は、内藤さんなど代表がトップダウン型で支持するものではなく、中で盛り上がっていくものにしたい。それはもはや学校を超越して、文化、エコシステムなのかもしれないなーみたいな話とか。
髪を真っ白に染めた本当の理由も自然に言えて嬉しかった。西高では陸上の三津家さんに憧れたと嘘の理由をとっさに言ってしまったから。
本当は髪を染めることで普通じゃない人になりたかった、まず環境を変えて、そこから自分の成長を追いつかせたい。
気づいたら昼の12時を回っていた。
『昼飯食いに行こう。午後の予定は?』
「この面接失敗したら全く手をつけていない西高の冬休み課題。特待生になったら何もありません。」
『よし、食べに行こう』
昼ごはんは新宿駅のティムホーワンという中華料理屋で食べた。
内藤さんと話すのは本当に楽しかった。大人とこんなに意気投合したのは初めてかもしれない。
色々話した
・社会の歯車と安定した生活を目指す西高生はどう思うか
これから歯車の環境は縮小していく。それで幸せならいいけど。
そっちで楽しくないと思ったのが俺らなわけで。
でもそれを他の人に押し付けると思想家のような立場なのかもしれない。
・鉄緑会で東大に合格する生徒に欠けているものは何か
社会に出た時に、失敗体験がないから失敗を隠してしまい弱い。
自分は課外活動で大失敗、悩んだ時にエッセンシャル思考で立ち直った経験があるから強いのかもしれない
・西高の推薦入試
作文の形式が学校の入学選抜方法として非常に面白い。
(追記: 東北大学が2050年までに総合型選抜に全面移行するという嬉しい話を最近聞きました)
・希望の国のエクソダスという小説の話
全国の中学生がボイコットを起こして日本の教育を変える話。
・日本の未来
これから縮小していく。円も弱いし、窓の外に見えるShake Shackは一食2000~3000円。この値段だと中にいるのはほとんど外国人観光客。こんな感じで日本人はどんどん弱まっていくだろう。これからの日本像。
教育について話していく中で、ゼロ高でやるべきことが決まってきた。
・起業する
こちらで学費は払う。ただそれを返してくれるだけの成長をしてほしい。この一年で稼げるだけ稼いで、それでゼロ高に貢献してほしい。
トビタテもゼロ高でいくのが時期的に難しければ、自分で稼いで留学すればいい。
・後輩に背中を見せる
曽田の言ってくれた通り、成長は人から強制されるトップダウンではなく、誰か尊敬する人に出会うことが起こる。(人的資本の話)
だから曽田にはその尊敬の対象になってほしい。
昼食代を払おうとした時に今度3倍にして返してと言われたことが嬉しかった。
高校生のうちにそれぐらい稼げるようになろう。
『今日はありがとう』
「楽しかったです」
新宿駅前で握手をして解散した。


そんなこんなで諸々が決まった後、1月19日にようやく同居している父親に転校の旨を伝えた。
両親は僕が西高に入学すると同時に離婚している。理由は父親の浮気。
だから父親とはあまり心を通わせる気にもなれず、自分の活動もほとんど話さずに2年間暮らしていた。
ただ父親のことが嫌いなわけではなく、自分が彼の思想を強く受け継いでいることはよく理解している。彼の思想にも深く同意できる。
2年間男手一つで養って、何してるのかよくわからない息子を放任してくれたことにも本当に感謝している。
論理的な思想で共感しているが、感情的に受け入れられないところがあるというのが正しいかもしれない。
そんな父に転校の旨を話したが、連絡するのが遅すぎたということ、そして少し保守気味な父には名前がカタカナの通信制高校に転校することを受け入れられず家を追い出された。
今は神奈川の母親のもとで暮らしている。


今回はここまでにします。
ゼロ高での経験もまた整理しようと思っています。
もしあなたの身近に、学校生活に息苦しさを感じてる高校生がいたらシェアしていただけると幸いです。
LINEも貼っておきます。
何でも気軽に送ってください

X(Twitter)でも活動を発信しています。
人生を賭けて教育を改革する。
70年後に後悔せずに死ぬために頑張っています。
曽田 柑
追記
noteを書いたら想像以上の反響がありました。
似た思いを持つ日本中の学生100人以上から連絡が届いたのです。

今まで勉強では成功してきた、吐くほど努力してきた。
でも、ふと我に返ってこのままで良いのかと違和感を覚える。
そんな学生のために、イベントを開催します。しました!
参加者からも自身でのイベントの開催に踏み出す方が現れるなど嬉しい報告を数多くいただきました〜
記事を書いてから1年が経って
2026年3月22日
1年ぶりに読み返してみました。
今の自分には、この文章は書けない。レールと自由な生き方という過激な二項対立、何者かになりたい焦燥感、論理を捻じ曲げた過剰な自己賛美、ビジネス書と浅いノウハウへの傾倒。ある種、進学校という猛烈な仮想敵がいたから書けたのでしょう。(今はむしろ日本の教育の良い面を沢山知っています)
この1年で、沢山の方にお会いし、人並みに読書と内省を行い、一方的に批判することがなくなりました。一方的な批判は、概して想像力の欠如による浅薄さの露呈だと気づいたから。
1年間がむしゃらに走り抜けました。この記事が多くの方に読まれたことから始まり、未経験から無謀に200人規模のイベント開催に挑み、悩む高校生の僅かな支えになり、お金には全く困らない程度にビジネスもうまく進み一人暮らしをしています。
通信制高校もレポート課題をハッキングしながら無事?卒業し、明確な所属がなくなりました。ある意味で、時間と金銭的余裕ができた今、ようやく新しいスタートラインに立ったのかもしれません。
挑戦したいプロジェクトは無限にあるので、毎日葛藤しながら、もがき続けようと思います。
今後も応援していただけると幸いです。
