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増え続けるものは、やがて崩れる

〜 自然界に存在しない「無限成長」という幻想 〜


森の木は、空まで伸びない。

どれだけ太陽を求めても、
どれだけ養分を吸い上げても、
木には「適正な高さ」がある。
それを超えようとすれば、自らの重さで折れる。

自然は、限界を知っている。
自然は、「足りている」という感覚を持っている。

では、人間はどうだろう。


自然界に「無限」は存在しない

草原に草食動物が増えすぎると、草が消える。
草が消えると、草食動物が死ぬ。
草食動物が減ると、草が戻る。
草が戻ると、草食動物がまた増える。

これを「不安定」と呼ぶ人がいるかもしれない。
しかし、これは完璧な安定だ。

増えすぎたものを、自然は必ず調整する。
膨らみすぎた風船は、必ず破裂する。
それが、宇宙の法則だ。

自然界に「永遠に成長し続けるもの」は存在しない。
春が来れば夏が来て、夏が来れば秋が来る。
満月は必ず欠け始める。 満潮は必ず引いていく。

「もっと、もっと」という方向に、自然は動かない。
「ちょうどいい」という場所へ、常に戻ろうとする。


人間だけが「無限成長」を信じた

経済は成長し続けなければならない。 企業は拡大し続けなければならない。 個人は昨年より今年、今年より来年、豊かにならなければならない。

いつから、そうなったのだろう。

木が空まで伸びようとするように、
人間社会は「限界」という概念を拒絶した。
テクノロジーで、資本で、欲望で、その限界を押し広げ続けた。

しかし、自然の法則は変わらない。
増え続けるものは、やがて崩れる。
それは経済も、環境も、人の心も同じだ。

「もっと便利に」と言いながら、人はより忙しくなった。
「もっと豊かに」と言いながら、人はより貧しい心になった。
「もっと繋がろう」と言いながら、人はより孤独になった。

成長の果てに何があったのか。 今一度、静かに問いたい。


食物連鎖という、壊してはならない設計図

一匹の狼が森に入ると、川の流れが変わる。

これは比喩ではない。
実際にアメリカのイエローストーン国立公園で起きたことだ。

絶滅していた狼を再導入したとき、鹿の行動が変わった。
鹿が川辺の草を食べなくなり、草が茂り、木が育ち、川岸が安定し、
川の流れそのものが変化した。

一種の動物の存在が、川を変えた。

これが食物連鎖の精巧さだ。
すべてはつながっている。
どこか一点を壊せば、遠く離れた場所が揺れる。

しかし人間は、この設計図を読もうとしなかった。
頂点捕食者を絶滅させ、外来種を持ち込み、農薬で土壌の菌を殺した。
便利さのために、何百万年かけて構築されたバランスを、
数十年で崩し続けた。

失われた種は、戻らない。 絶滅は、取り消せない。

それでも、その手は止まらなかった。


「地球温暖化」と言いながら、森を燃やす

これほど矛盾した生き物が、他にいるだろうか。

温暖化を止めなければと、世界中の人間が叫ぶ。
条約を結び、目標を掲げ、スローガンを唱える。

その同じ日に、アマゾンの森が燃えている。
開発のために、農地のために、利益のために。

二酸化炭素を吸収するはずの森を、二酸化炭素を出しながら燃やす。

言葉と行動が、これほど乖離している生き物を、
自然界の他のどこにも見つけることはできない。

鳥は、自分が産んだ卵を踏み潰さない。
熊は、自分が住む森を焼かない。
魚は、自分が泳ぐ川を汚さない。

わかっているのに、やめられない。
知っているのに、続けてしまう。

これは悪意ではないのかもしれない。
しかしそれが、より深刻なことだと私は思う。

悪意があれば、気づけば止まれる。
しかし「仕組みとして続いてしまうこと」は、
個人の善意では止まらない。


「足るを知る」という、摂理の知恵

老子はこう言った。 「足るを知る者は富む」と。

これは精神論ではない。 自然の法則の話だ。

狼は腹が満ちれば狩りをやめる。
木は適正な高さに達すれば伸びるのをやめる。
川は器に合った量だけ流れる。

「足りている」と感じられること。
「これ以上は要らない」と立ち止まれること。

それは、知性ではなく本能の話だ。
人間はその本能を、いつの間にか「恥」にしてしまった。

現状に満足することを「向上心がない」と呼んだ。
立ち止まることを「怠惰」と呼んだ。
手放すことを「負け」と呼んだ。

しかし満月が欠けることを、誰も「負け」とは呼ばない。
冬の木が葉を落とすことを、誰も「怠惰」とは呼ばない。

それは次の満月への、次の春への、静かな準備だからだ。


あなたが今、疲れているとしたら。

もしかしたら、増え続けることを求められすぎているのかもしれない。
もしかしたら、「足りている」と感じることを許されていないのかもしれない。

森の木が空まで伸びないように。
満潮が必ず引いていくように。

立ち止まることは、終わりではない。
それは、次の循環の始まりだ。

増え続けるものは、やがて崩れる。
でも、ちょうどいい場所で止まれるものは、何度でも戻ってくる。


次回:「群れには、役割がある」——
支配と服従ではなく、共生という関係性の本来


僕たちは不自然極まりない社会の中で生きている。
身体も心もおかしくなるのは
ある種当然なのかもしれない・・・
だって不自然なんだから・・・

その不自然な社会の中で
上手に立ち回っていきたいよね・・・

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