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記憶の動物園 #ナマケモノ

 その昔、『野生の王国』という30分のTV番組があって、サバンナやアマゾンなどの大自然に生きる動物の生態を紹介していた。金曜日のゴールデンタイムにこのドキュメントを観ることを、至上の楽しみとする一時期がたしかにあった。

 まだまだ子どもだったから、お目当ては生態ピラミッドの頂点に位置するような捕食者であって、この頃には猛獣のエサとなるしかなさそうな草食獣たちは有象無象の脇役でしかなかった(もっと幼い頃は、豚だの牛だのなどがアイドルだったけど)。だから、木の枝にぶら下がり、間抜けヅラを晒して日がな一日じーっとしているナマケモノなど、退屈極まりない存在でしかなく、知ったこっちゃなかったはずなのである。

 しかし、子どもにだって、何もかも投げ出したくなるような時がある。朝早く起きるのが嫌だ、学校に行きたくない、宿題がひたすら煩わしい、遊びたい、いや何もしたくない、だらけたい、ごろごろしたい、ただぼーっとしていたい。

 小学校に入学したばかりのとき、親に尋ねたものだ。
「小学校が終わったら、どうなるの?」
「中学校に進むことになるよ」
「中学校の次は?」
「テストを受けて高校へ行くよ」
「じゃあ、高校の次は?」
「やっぱりテストを受けて大学へ行くよ」
 暗澹たる気分になってくる。
「じゃあ、ぼくは死ぬまでずーっと学校へ行って、勉強して、テストを受け続けるの?」
「いや、大学を出たら、お父さんのように会社に行くことになるよ」
「そうしたら、テストも、宿題もなくて、毎日のんびり遊んで暮らせるの?」
「あのな、お父さんは毎日のんびり遊んで暮らしてるわけじゃないぞ。お前たちのために、朝から晩までそれこそ汗水たらして働いているんだ。学校の方がよっぽど楽だぞ」

 生きてゆくって、大変なことなんだなあ。なんだかぼく、何もかもが面倒くさくなってきちゃった……ふう。そんなときふっと、動物への変身願望が芽生えるのであったが、これって自分だけのことなのかな。

 テストも宿題もなく、ただ当たり前に生きている野生動物が羨ましい。草なんてその辺にいくらでも生えてるから、草食獣は楽そうだけれど、捕食者に食べられるのは心底恐ろしい。だったら、猛獣の方は安泰であろうか。獅子は我が子を千尋せんじんの谷に突き落とす、と父は教えた。これを真に受けて、子は千尋の谷(何メートルか?)を這い上がることなど自分には到底無理そうだと嘆いた(そもそもサバンナに千尋の谷なんてあるのか、いや大地溝帯か)。大自然の掟はかくも厳しい。

 でも、大人になってみれば思わないでもない、本当は人間社会の方がずっと残酷ではないかい? それに野生動物に降りかかる災難のほとんどは、人間に由来するものじゃないかな。

 それはともかく、『野生の王国』で初めて観たナマケモノの生態である。毛むくじゃらの奴らは、鋭く長い鉤爪を使って枝にぶら下がったり、幹にしがみついたりして一日をじっと過ごし(日に木の葉を10グラムほどしか食べないから、活発に動けないのだ)、木から下りるのは週にたった一度排泄のためだけである。そのフンに蛾(ナマケモノガ)が卵を産み、幼虫はフンを食べて成長、変態するとナマケモノの体毛の中に住みつく。ナマケモノの長く絡まり合った毛には緑色の藻が生えていて、捕食者(空からはワシ、地上からはジャガー)から身を守る擬態に役立つし、ナマケモノと蛾双方にとって貴重な食料源にもなるのだが、この藻の繁茂に必要な肥料(窒素)は蛾がもたらすのだと言う。なんと素敵な共生関係であろうか。

 目立たず、焦らず、動かず、争わず、ほとんど食べずにただそこにいても、時は過ぎゆく。これはこれで立派な生存戦略に思えてくる。動物になるなら、やっぱりナマケモノだね。

 日が上り、しだいに影が伸びて、子午線を通過するとやがて翳り夜が来て、また朝陽が仄かに射してくるまで闇に浸る。分厚い雲が日差しを遮り、熱帯雨林にスコールが降り注ぐ。一年が十年にも思え、また十年も瞬く間に過ぎ去るかのようだ。何のために生きているのかなんて考えず、過去を振り返ることなど一切ないから、悔いもない。

 一日中ベッドで横になって過ごしながら、時折り熱帯雨林の樹上で睡るナマケモノのことを想っている。パワハラ上司も、マウントをとってくる先輩もいない。会議も、ノルマも、残業もない。なんて甘美な怠惰。

 しかしながら、どうやら人間という種は終日閉じこもって、何もしないで過ごすようにはできていないらしいのである。ぐうたらにも限界があって、自己嫌悪を感じると無為の一日を悔やむことになる。

 あのとき、上野動物園をひとりで訪れたのは、就職したくない、働きたくない、いつまでも学生でいたいなんて甘い考えを抱いていた時代もとうに過ぎて、毎朝行きたくないと思っていた会社も辞めて、全く寄るべない無職の状態だったけれど、部屋に引きこもっているのもウンザリで、閑を持て余していたからだった。

 ナマケモノの檻の前に立つと、動物になるならやはりナマケモノ一択だと思った幼き日、それは暗澹たる気分で未来を垣間見た日でもあるのだが、その記憶がまざまざと蘇ってくるのである。

 なんだかぼく、何もかもが面倒くさくなってきちゃった……。

 ところが、いくら探してもナマケモノの姿は見つからない、枝や葉叢によほど巧く隠れているのであろうか、おもしろい、俺の目を誤魔化せるものか。

 ちがった、ちゃんと説明の看板が出ていた。なになに「二、三日餌が減っていなかったので、樹上でいつもと変わりない姿でしたが、飼育員が登っていって体を揺さぶってみると反応がなく、死亡を確認しました」とな。

 檻はとっくに空っぽだったのだ。

(了)

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