夕焼けは~ショートストーリー【シロクマ文芸部】
夕焼けは、昔の記憶を呼び起こす。
午後五時。
西の空が赤く染まり始め、防災無線のスピーカーから、ドヴォルザークの『家路』のメロディと、子どもたちに帰宅を促すアナウンスが流れる。
「そろそろ買い物に行かなくちゃ」
母が仕度をして近所のスーパーに出かけようとしている。
「まだ野菜とかあるんじゃないの?残っているものを使えば……」
私は声をかけたが、母は冷蔵庫を見ずに玄関に向かった。
遠き空に日は落ちて、と口ずさみながら外へ出て行く。
嫌な予感がした。
八十を過ぎた母は最近、私との二人暮らしには明らかに多すぎる食事を作ることがあるのだ。
三十分後、母はエコバッグ二つを重そうに下げて帰ってきた。
「何をそんなに買ってきたのよ」
「今日はキャベツが安かったから回鍋肉にするわ」
案の定キャベツは二玉。豚こま肉も二パック。ピーマンと玉ねぎが一袋ずつ。オイスターソースも出てきた。
「オイスターソース冷蔵庫にあったじゃない」
「足りないかもしれないから」
いや全然足りる。だって三日前に開けたばかりだ。
そして食卓に、大皿に大盛りの回鍋肉が二つ並んだ。
もう一度言うが、母は私と二人暮らしである。
「こんなにたくさん、二人で食べきれないじゃないの」
私は少し切れ気味に言う。
母は怒る私に困惑した様子だ。
「だって足りないかもしれないと思って……残ったら明日食べればいいじゃない」
明日はもう飽きて食べないくせに。
どうしてそんなに大量の食事を作るのか……
思い当たったのが、私が中学生の頃の我が家の暮らしだ。
当時は父方の祖父母、両親、兄と姉と私と弟、それに大学生のいとこも同居していたので九人家族だった。
祖父母は元気で近所に畑を持っており、直売所に卸すなど忙しくしていた。私たちきょうだいは部活だなんだと言って家の手伝いはしない。
専業主婦の母は毎日一人で九人分の食事を作っていたのだ。
いとこと兄と弟という食べ盛り男子がいたので、母はいつも「足りなかったら困るわ」とご飯を多めに炊いていたり、間食用に食パンを買いおきしたり心を配っていた。
やがて、いとこが大学を卒業して東京で就職した。
祖父母が畑をやめて施設に入り、数年後この世を去った。
それから父が病気になり他界した。
兄と姉と弟は家を出た。
私は就職したがなんとなくそのまま家に居ついて、母と二人暮らしになった。それから何年もたつ。母も二人暮らしの食事に慣れたはずなのに、こんなふうにいきなり大量に作る。
考えてみると、それは天気の良い夕焼けの日だ。
夕焼けは、昔の記憶を呼び起こす。
午後五時の夕焼けと『家路』が、九人家族時代の母の記憶を呼び起こし「みんな帰ってくるから、買い物に行ってご飯作らなきゃ。足りなくならないように」と思うのだろう。
夕焼けの日だけでなく、やがて毎日、昔と今の記憶が混濁するようになっていくのかもしれない。
日が沈み、空がだんだん夜の色になるように、私の心にもぼんやりと不安が広がっていく。
(1200字)
※このお話はフィクションです。
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#シロクマ文芸部 に参加しました。
フィクションではありますが、このような話を身近でよく聞きます。
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【今日の画像】みんなのフォトギャラリーから。
「夕焼け」で検索。
電柱や電線が見えて、町の夕焼けっぽい。
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