本を読むように自分の人生を生きてきた。
今まで自分で自分のことを決めてこなかった人間の話。
本のページをめくると、次の場面に話が進むように、流されるように進んできた、自分の話。
物心ついたときから「決めること」が苦手だった気がする。出来たばかりの東京ディズニーシーで、好きなおみやげを買っていいと言われて途方に暮れてしまった子どもの頃の自分。
「子どもは欲しいものがたくさんあって、プレゼントをもらえると喜ぶ。」そんな固定概念を持っている人が多いと思うし、自分も最近まで忘れかけていたけれど、自分はそんな子どもだった。誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント。それらを当たり前にもらえた子ども時代は、普通に恵まれていたと思うけれど、非常に苦手なイベントだった。
そんな自分が、今子どもに教える仕事をしている。「自己決定が大事。キャリア形成を子どものうちから考えていこう。」最近の風潮だから、そう教えているけれど、そう言っている人間の実態がこれなのは皮肉な話だ。
本の登場人物が傷ついても関係ない
学校の成績は良かった。テストでいい点をとると、親が喜んでくれる。友達がすごいねって言ってくれる。だから、もっと頑張ろうと思った。第一、学校で褒められるかどうかの指標が、
「勉強ができること」「スポーツができること」「友達がたくさんいること」
この3つに主に絞られる。求められることがあって、自分はこの中の勉強しかできなかったから、この流れに無意識に乗っていた。それが楽だったからだ。自分の子どもがわりと勉強ができることに気づいた親は、中学受験を進めてきた。遅くまで塾通いをした。
友達に「頭よくてすごいね。」と言われることはますます増えた。その言葉に、何となく「自分たちとは違うから。」を感じ始めたのはその頃だっただろうか。それに恥ずかしさを感じ始めたのも。
受かったら、今の友達と決定的に違う「私立に行った子」になってしまうのではないか。友達とも離れてしまう。受験やめたいって言ったら、親は何て言うんだろう?そんなことをぐるぐる考えていたときに、当時の先生が気づいてくれた(それも現在の進路選択に少しは関わっていると思う)。話を聞いてくれて嬉しかった。私の家は学校からすごく近くて、校庭から自分の家を見ながらそんな話をした。
「おなつは頭がいいって言われるのが嫌なんだ。」
何がどうなってそうなったのかは覚えていないが、先生はみんなにそう言った。自分では言えなかった言葉だった。今の自分の本心だった。そして後で友達に言われた言葉。
「頭悪いよりいい方がいいじゃん。意味がわかんない。」
今ならそこでたとえ言語化できなくても、もっと話せと思うし、その言葉は普通に考えればもっともだと思う。でも、そこで折れてしまった。本心が受け入れられなかった。それだけを感じて、たぶんその頃に、自分をまるで本の登場人物のように、どこか上の目線から神様のように客観視する自分が生まれた。だって本の登場人物がいくら傷ついても、悲しくても、読んでいる自分が傷つくことはないんだから。
結局自分は言われた通り中学受験をし、そして落ちた。試験当日に熱を出した。たぶんいろいろと限界だったんだと思う。
ずっと「いい子」を演じている
中学でも、成績を塾通いによってキープしていた自分はほぼ機械的に県内上位高校に進路希望を出し、毎日勉強を続けて合格した。一瞬、やっていた部活の強豪校が近くにあって(自分は全く部活推薦をもらえるレベルではなかったが)行ってみたいなと思ったこともあったが、その事を親に少しでも口に出すことすらなかった。
困ったのは大学受験の時だった。選択肢が増えすぎた挙句、やりたいこともなかった。どうしよう。私立に行ったら家計が苦しくなるだろうな。一人暮らししても、仕送りもないだろうし。うっすらそんなことを考えたり、奨学金について調べたりしていた。実際は、娘に中学受験を進められるくらいだから、苦しくはなるだろうけれど私立も通えないレベルではないくらいだったと思う。
自分はそこそこ頑張れば行ける地元の国立大学に進学し、親には「あんたは家計を思いやってくれたね。」と褒められた。教員免許を取ったのは、本当は教員免許の授業は出席が必須なものが多く、そうでないと自分がドロップアウトしそうだったから。そして流されるままに教員になり、現在に至っている。
公務員で将来も安定していて、後は結婚すればいうことなし。そんな面白くないけれど、外面は100点満点の本の登場人物。それが自分。大丈夫。登場人物がいくら内心で苦しんでいても、悩んでいても、現実問題関係がないんだから。
noteが私の背中を押してくれた
そうやって、何となく息苦しい日々を過ごしていた自分は、ある友達とコロナをきっかけに自分とたくさん向き合ってみることにした。さんざん自分と本当に向き合ってこなかった人間に、自分の声は聞こえなかった。けれど何かを変えたいなと思っていて、その頃にnoteを始めた。
いろんな考えや人生を、いろんな人が発信している。私はそれらを本を読むように読み進めているうちに、100点満点の人生も、正解の選択肢も、自分が作り上げた幻想で、本当はそんなものはないのではないかと思い始めた。何で、そんな事を考えられるようになったのか。声は聞こえなくても自分と向き合ってみて、少しずつ自分が変わってきたからかもしれない。ありがとうnote。ありがとうクリエイターの皆さん。
こうして、息を吸うのが少し楽になった。本当は、私がこのことを子どもたちに教えないといけなかったんだなあと、そのことに気づいた。じゃあもっとこれから頑張ろうと思い始めたときに、子どもの頃の自分が言った。
「自分も書いてみたいんですけど。」
私は、本の登場人物になりたい
「noteの言葉たちに、クリエイターの皆さんにとても救われたから、自分も何か書くことで読んだ人がちょっと元気になったり、役に立つような言葉を生み出してみたいんです。」
その子はそう言った。自分は、あの頃自分に向き合ってくれた先生のように、校庭の丸太平均台に座って話を聞いた。その子は、自分は、昔から本が大好きで、自作の小説も書いていた。でも、自分にとってライターや作家など「書くことをしている人」は別の選ばれた人の本の話で、自分にできるはずもなく、進路選択に上がったことすらなかったのだ。
「もうアラサーなのに、今更?しかもこの状況でやるの?」
「それで公務員を捨てるの?」
「駄目だったらどうするの?」
「無職で、お金もなくて、結婚もできなくて、一生貧乏だよ?」
それらの言葉を飲み込んでも、自分はやっと出てきた自分の小さな思いを、大事にしてみたいと思った。自分は、初めて自分自身のことを決めた。本の読者じゃなくて、登場人物になりたいと思った。だから、今は少しずつその準備をしている。たぶん、たとえそれで失敗しても、不正解ではないと思うから。
いいなと思ったら応援しよう!
読んでいただき、ありがとうございました。おなつの記事一覧はhttps://note.com/kaonatu/n/nfee4335744e2から飛べます!これからもよろしくお願いします!!