🌱「多様性という言葉をなくす」に賛同
最近、めっきりTVを見なくなりました。
以前は朝起きて、時計代わりにTVをつけ
お弁当作りながら、なんとなく画面を眺めたり
音を聞いていました。
視力が落ちてしまったことで
キッチンから画面がよく見えないのもあるけど
朝イチに音がザワザワしているのも
なんとなく好ましくなくなっちゃって。
朝は静かにゴソゴソ動いているカオラです。
よくぞ言ってくれた!!
今日はたまたまTVがついていました。
何か用事をしながら、ふと耳に入ってきた音声。
『多様性という言葉をなくします』
思わず手を止めて画面に目を向けました。
(あんまり見えなかったんですけどね)
コクヨさんのCM、ということはわかりました。
補足説明として、
『多様なのが当たり前の世界に・・・』
みたいな言葉が続いていました。
よくぞ言ってくれた!!
残念ながら画面が見えなかったので、
お若い女性であることくらいしか
わからなかったけれど、
その言葉がTVから流れた瞬間、
まだ寝ぼけていた私は
本当に目が覚める感覚でした。
「多様性」という言葉。
今はしょっちゅう耳にします。
でも本当の意味で理解されていないと
私は常々思っていました。
「多様性」という言葉が使われる背景。
それはほとんどの場合
「マジョリティから外れたマイノリティのことも
認めなければならない」
という意味で使われています。
例えば、
学校という場に通うのがマジョリティ。
学校に行かないのがマイノリティ。
定型発達などと言われるのがマジョリティ。
発達凸凹などと言われるのがマイノリティ。
異性を好きになるのがマジョリティ。
同性を好きになるのがマイノリティ。
生物学的性別と自己認知が同じなのがマジョリティ。
生物学的性別と自己認知が合わないのがマイノリティ。
その使い方は、あたかも
「世間には私達のようなマジョリティではなく
それ以外の人がいるんで、そこも認めなきゃね。
それを『多様性』と言うんですよ。」
…と言っているように私には聞こえていました。
「多様性」の認識の根本的なズレ
国や自治体含む集団や社会では
確かに大人数の方に合わせた施策をまず考える。
それは当たり前のことだと思います。
だって、組織として動かさなきゃいけないんだから。
最初からてんでバラバラなことを基本として
ルールを決めるなんてできません。
でも、それとは別に
はっきりさせておかなければならないのは
数の多い少ないは優劣とは違うということです。
マジョリティが上位ではない。
マイノリティが劣勢ではない。
マジョリティ側がマイノリティ側を理解するために
お題目のように「多様性」と唱えるのは
私はおかしいと思うのです。
コクヨさんのCMで言われている通り、
「多様性」というのは
そもそもいろんな形があるということ。
そのことを社会が理解することができれば
多様であるという当たり前のことを
いちいち口に出す必要もなくなります。
いろんな人がいるけど、それが何か?
あの人と自分は違うけど、だから何?
バラバラな個性が各々輝ける世界を作るためには
「多様性」という言葉を変に意識することから
止めなければならないのではないでしょうか。
以前、こちらの記事でも書きましたが
人はまんまるなわけはありません。
凸凹があって、それが個性。
凸凹があるから、乱反射して輝ける。
多様なのが当たり前で、
凸凹していることが当たり前。
そういう認識が本当の意味で広まれば
誰もが生きやすい世の中になるのだと
私は思います。
コクヨさんがTVを通して言ってくれたこと、
その影響力の方がはるかに絶大ではあるけれど、
私もnoteやXでも言い続けたいと思います。
必要な方に届きますように✨
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