がん患者あるある もやっとすることばから心を守るための考察 その1
病を得てみて思い知ることがある。
それは、ことばというものは、ホントに難しいなってこと。
ことばは、それを発する人と受け取る人の間にあるものだけど、同じことばでも、そこにある関係性と発する人と受け取る人の心情によって、全く、意味が違ってくる。
「実は乳がんになりまして」と告白した時、返ってくることばにはいろんなものがあった。
もちろん、多くの場合、心から驚いて心配してくれる。
でも、こんなことばもあったのよ。
「でも、〇〇さんもそうだったけど今は元気だよ」
「あなたならだいじょうぶ、すぐ元気になるよ」
「私は死ねないなぁ」
「私の周り、多いんですよね~」
悪気はないのよ。そうなのよ。わかってるんだよなぁ。
でも、ちょっともやっとする。
どうやらこういう小さなもやっとは、病人あるあるらしい。
実は、Threadsで見かけた話になるのだけれど、こんな話題もあった。
私と同じ乳がんになった人が、そんなに親しくはないママ友に「実は乳がんになって」と打ち明けたら、塩対応だったという。ちょっともやっとしたっていうつぶやきだったのだけど、それにはこんなコメントがたくさんついていた。
そっか。どう返したらいいかわからないっていう感情もあるのか。
私は、何がもやる原因なのか、ずっと考えてた。
ある時これは、ベクトルが何を向いているかの違いかもしれないと思うようになった。
共通しているのは、目の前に病人が出現した時、本当にその人のことを考えてことばが出るのではなく、一瞬にして意識が自分に向いたことばが出たときにもやる、ということではないだろうか。
「でも、〇〇さんもそうだったけど今は元気だよ」
これは、ベクトルが〇〇さんの方を向いている。
そして、私と、その人の今を比較している。その人がどんな乳がんで、どんなステージで、どのくらい治療したかもわからないのに比較されてもな。
「あなたならだいじょうぶ、すぐ元気になるよ」
これは、励まそうとしてくれてるのはわかる。
わかるんだけど、何を根拠に?って話で、ベクトルが自分の期待や励ましに向いている。励まさなきゃ!って感じ。
「私は死ねないなぁ」
これは、解説するまでもない。
私はこれを言われたとき、「ああこの人は私が死ぬと仮定して、そのうえで自分は死ねないと言ってるんだな」と判断し、話す気が失せた。
「私の周り、多いんですよね~」
これは、自分の周りの人たちのことを思い出して、そこに私も放り込まれたっていうパターン。患者ご一同様、の取り扱いだった。
Threasでの「どう返したらいいか困る」「なんていえば正解なのか教えて」というのも、これも「私はどう返すべきか」と、自分にベクトルが向いたコメントなんだよね。困るというのも「そんな打ち明け話された自分」にベクトルが向いているんじゃないだろうか。
こういう分析をするのは、病人なんだから気を遣ってもらって当然と主張したいからではないのです。
でも、「あ、この人のベクトルは、今ご自分に向いておられるんだな~」と思えば、私たちも傷つかなくて済むし、もやっとしなくて済むなって思うんだよね。
いわゆる、自衛だと思うんだ。
でもひとつだけ・・・
もし、なんて言えばいいのか困っちゃうと思う時は、そのまま「なんて言っていいかわからないけど、無理しないでね」「ゆっくり休んでね」と、 ”相手のいま現在” にベクトルを合わせた労りのことばを選んでもらうといいのかな、と思ったりします。
この、相手のいま現在にベクトルを向ける ということについては、もう少し考察を深めたいところです。
<経緯>
2025年1月 左胸のしこりに気づく
2025年2月10日 乳がん告知~検査
2025年4月7日 部分切除手術 ルミナールB
2025年5月8日~ 放射線治療開始(20回)
2025年5月27日 オンコタイプの結果、スコア30
2025年6月17日 抗がん剤開始(4回)
2025年9月3日 タモキシフェン(10年)+リュープリン(2年)開始
2025年11月 肋骨の痛みで検査(痛み止め服薬)
2025年12月 骨シンチ検査 集積有り
放射線の影響によるむくみ・蜂窩織炎
2026年2月 肋骨骨折判明
