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【最終回】私たちは、まだチェッカーズを聴き終わっていない

最後に残ったのは、「懐かしい」ではなかった

この連載を終えるにあたって、最後に何を書けばいいのか、ずっと考えていました。

チェッカーズのサウンドは、時代に早すぎた。

だから今聴いても色褪せない。

そのことを伝えたくて書き始めた連載でした。

11回にわたって、当時はうまく言葉にできなかった音を、今の耳でもう一度たどってきました。

ひとつずつ書いていけば、いつか「だからチェッカーズはすごかった」と、きれいに説明し終えられるようになると思っていたのかもしれません。

けれど、11回まで書いて残ったのは、説明し終えたという感覚ではありませんでした。

むしろ、もう一度聴きたい曲が増えました。

あのベースラインを、今の耳でもう一度追いたい。あのコーラスの奥に、まだ聴き取れていない声がある気がする。何度も観たライブなのに、次は誰の動きを見ようかと考えている。

40年以上聴いてきたはずなのに、まだ終わらない。

最後に残ったのは、懐かしさではなく、その事実でした。

「時代に早すぎた」の本当の意味

この連載で、私は何度も「時代に早すぎた」と書いてきました。

何度でも言います。しつこいくらい言います。

でも、最終回の今、少しだけその意味を言い直したいと思います。

早すぎたのは、音だけではなかった。

チェッカーズというバンドの在り方そのものが、当時のわかりやすい分類から、はみ出していたのではないでしょうか。

アイドルなのか、バンドなのか。

歌を聴かせるのか、演奏を聴かせるのか、ショーを見せるのか。

ロックなのか、ポップスなのか、R&Bなのか。

世間がどこか一つの棚へ収めようとしている間に、七人はもう次の音へ進んでいました。

昨日までの自分たちの成功にとどまらず、新しいリズムを取り込み、ステージの見せ方を変え、次のアルバムではまた別の顔を見せる。

それでも、難しい音楽をやっているのだと身構えさせることはなかった。新しいものを新しいまま突きつけるのではなく、歌えて、踊れて、胸に残るチェッカーズの音にして、私たちの前へ差し出してくれた。

分類する側の言葉より、七人の変化の方が速かった。

それが、「時代に早すぎた」ということの正体だったのかもしれません。

私たちの耳は、七人に育てられた

当時の私は、音楽を分析しながら聴いていたわけではありません。

イントロが鳴れば胸が高鳴り、サックスが入れば空気が変わり、ベースがうねれば身体が動いた。バラードでは息を止めるように聴き、次の瞬間には会場全体で跳ねていた。

それが何というリズムなのか、どんな音楽から来たものなのか、うまく説明する言葉は持っていませんでした。

でも、耳は先にわかっていたのだと思います。

前とは違う。

今度のチェッカーズは、また知らない場所へ連れていこうとしている。

その変化を怖いと思うより、次は何を聴かせてくれるのだろうと楽しみにしていました。

考えてみれば、私たちは七人の音を聴いていただけではありません。

七人に、聴く耳を育ててもらっていたのです。

ジャンルの名前を知らなくても、音楽は受け取れること。

見た目の華やかさと演奏の確かさは、どちらか一方ではなく、ひとつの表現になれること。

好きになった音が変わっていくとき、自分の耳も一緒に広がっていくこと。

私たちは、ただ後ろからついていったのではありません。

七人の変化に驚き、踊り、笑い、泣きながら、その音の旅を一緒に進んできたのだと思います。

1984年は、入口であって終点ではない

前回、私は「初期の七人は、入口であって全景ではない」と書きました。

最終回で、そこからもう一歩だけ先へ進みたいと思います。

入口は、1984年でいいのです。

私たちだって、最初はテレビに現れた七人から始まりました。

あの大きくて華やかな扉が、40年以上たった今も新しい人に向かって開いていることを、私はうれしく思います。

けれど、その扉の向こうには、彼ら自身が何度も更新してきた景色が続いています。

だから、どうか入口で立ち止まらないでほしい。

気になった一曲の次に、同じアルバムを最初から最後まで聴いてみてほしい。

短く切り抜かれた映像の次に、一本のライブを通して観てほしい。

最初に心を奪われた七人が、その後どこへ進んだのかまで追いかけてみてほしい。

入口は1984年でいい。

けれど、終点まで1984年でなくていい。

その先へ進んだとき、「チェッカーズって、こんなバンドだったの?」と驚く瞬間が、きっと待っています。

その驚きこそが、止まっていた時計の針を動かす最初の一目盛りになるはずです。

評価の時計は、今からでも動かせる

私は、チェッカーズを過大評価してほしいわけではありません。

伝説という言葉で飾り、何もかもが完璧だったバンドとして祭り上げたいわけでもない。

ただ、音を聴いたうえで、もう一度見てほしいのです。

「チェックの衣装を着たアイドル」という印象だけで、七人が残した音まで聴いたことにしないでほしい。

音楽の評価は、発売された当時だけで決まるものではないと思います。

何十年も経ってから、新しい聴き手が見つけることもある。時代の方が追いついたことで、ようやく聞こえてくるものもある。昔は言葉にできなかった私たちが、今の耳で聴き直し、語り直すこともできる。

誰かが一曲先へ進む。

一本のライブを最後まで観る。

そして、「私が知っていたチェッカーズと違った」と、誰かに話す。

そのたびに、チェッカーズというバンドの解像度は、少しずつ上がっていくのだと思います。

テレビが同じ映像を流し続けても、私たちまで同じ場所で時計を止める必要はありません。

評価の時計は、今からでも動かせます。

まだ、聴き終わっていない

七人で活動した時間には、終わりがあります。

けれど、七人が残した音は、そこで終わりませんでした。

同じ曲を聴いているのに、10代の頃には聴こえなかった音が、55歳の今になって急に胸へ入ってくることがあります。

あの頃は郁弥くんの声ばかり追っていた曲で、今はベースやドラムの気持ちよさに気づく。何気なく聴いていたコーラスが、七人の関係そのもののように感じられる。ライブの華やかな動きの中に、演奏を崩さない技術と信頼が見えてくる。

曲は変わっていません。

変わったのは、聴いている私です。

だから音楽は、何度でも新しくなる。

この連載は、ここで終わります。

けれど、チェッカーズの音をめぐる時間まで終わるわけではありません。

誰かが一曲先へ進むたび、その人の中の1984年が動き始める。

世間の時計を、音の力で動かし直すこと。

大げさに聞こえるかもしれません。

でも、時計の針は、最初から大きく動かなくてもいい。

ひとりの耳の中で、ほんの一目盛り動けばいい。

その一目盛りのために、私はこの12回を書いてきました。

七人が残した音は、今も次の扉を開けようとしています。

だから私たちは、まだチェッカーズを聴き終わっていない。


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高波 香理(旧クリエイター名:くすぶりえみり) よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!