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娘が2歳のとき、乳がんになった。そこから私の人生が変わった。

娘が2歳のとき、私の右胸に乳がんが見つかった。

その日、私は初めて自分の人生を考えた。

きっかけは、夫のひとことだった。

「友達が乳がんになったんだって。
自分で触るだけでも見つかることがあるらしいよ」

お風呂の中で触ってみた。

すると、10円玉くらいのしこりがあった。

「え・・・!?」

慌てて近所の病院で検査をしてもらった。
そして先生はあっさり言った。

「悪性腫瘍ですね。乳がんです」

「え・・・?」

こんなにあっさり言われるものなの?と思いながら

「あ、そうですか……」

そのときの私は妙に冷静だった。

止まらない涙

でもトイレに入って一人になった瞬間、涙が溢れた。
止まらなかった。

お会計を終えて駐車場に戻り、車に乗り込んだ。

その瞬間、

「そんなのやだよ。やだやだーーー」

と、大声で泣いた。

泣き疲れると、
こんな言葉が浮かんできた。

「ガンになったのが、私でよかった」

娘じゃなくてよかった。
夫じゃなくてよかった。

自分のことなら、自分次第でどうにかできるかもしれない。

ほんの少しだけ、前向きさが戻ってきた。


2歳の娘に残せるものは?

「2歳の娘が大きくなるのを見る前に
私は死ぬのかもしれない」

そう思うと、寂しくて悲しくなった。

大袈裟な私は、最悪のパターンを考えた。

もし私がすぐ死ぬとしたら。
娘に残したいものはなんだろう?

当時の私は、不動産会社に復帰して必死に働いていた。

でも
「お金」を残しても、2歳の娘は喜ばない気がした。

じゃあ、なんだろう?

娘が将来も喜ぶこと。
そして、私がしたいこと。

しばらく考えて、これだ!と思えるものが見つかった。

それは

「ママと手をつないで、ニコニコ笑顔で歩いた時間」

お金でもなく
立派な何かでもなく

ただ

ママと手をつないで
ニコニコ笑って
一緒に歩いた時間。

もし私がいなくなったとしても、
娘の記憶に残るとしたら

きっとこういう時間なんじゃないかと思った。


けれど、意外な問題があった・・


それは、
どうしたら
ニコニコ笑顔でいられるのかが
わからなかったということ。

なぜなら当時の私は
いつもイライラしていたから。

私はいつも時間に追われていて・・

娘を保育園に送り
1時間かけて通勤し
仕事をして

保育園に迎えに行き
夕飯の買い物をして
夕飯を作り

お風呂に入れて
食器を洗い
娘を寝かしつけて

そのあと持ち帰った仕事をして
睡魔に襲われて寝る。

そして朝になると
目覚まし時計に叩き起こされる。

この繰り返しだった。

ママだから
妻だから
嫁だから
仕事だから

気がつけば私は
役割に生きていた。

これって、ワガママ?


私はもともと自由奔放で
好奇心の塊のような子どもだった。

でも小さい頃から

「ワガママ言わないの!」

と言われて育った。

気づけば

「こんなことを考える私はワガママなのかも」

と、自分で自分を押さえつけるようになっていた。

だから私は

娘の幸せのために
家族の幸せのために

夫の実家で同居することを選んだ。

祖父母のいる環境は
娘にとってもいいだろう。

育児のサポートも得られるだろう。

そう思っていた。

職場復帰をして
保育園に遅くまで預けて働き

できるだけ体にいい食事を作り

嫁として
母として

「あるべき姿」を目指して
がんばっていた。

でも、あるとき気づいた。

その頑張り方が
間違っていたことに。

退院してからは・・

乳がんの摘出手術が終わり、私は職場復帰をした。

そのとき、強烈な違和感を感じた。

「ここには、もう居たくない」

お金を追う生き方は
もう終わりにしよう。

そう思った。

9年間お世話になった不動産会社を
私は退職することにした。

周りからは聞かれた。

「次は何やるの?」

でも私は答えられなかった。

とにかく
あのギラギラした世界から
距離を置きたかった。

入院していたときのこと。


窓の外に見えるのは
隣のビルの壁だった。

唯一外に出られる屋上は
エアコンの室外機が並び
音がうるさかった。

そのとき思った。

この場所が嫌だ。

窓も開けられない。
景色もない。

生きている感じがしない。

窓の外の景色を楽しみたい。
風を感じたい。

好きな家具に囲まれて暮らしたい。

緑や水辺の近くを
散歩したい。

もっと
心地いい場所で生きたい。

もっと
心地いい場所で暮らしたい。


振り返ってみると・・


あの頃の私は

いろんなことに
違和感を感じ始めていた。

仕事。
暮らし。
毎日の生活。

それまでは

「こんなものだよね」

と自分に言い聞かせていた。

でも乳がんになったことで
ごまかせなくなった。

心の奥にある
小さな違和感を。

あれから12年

もし当時の私に
手紙を書くとしたら、こう伝えたい。

そのまま探究を続けてね。
すぐに答えが見つからなくても大丈夫。
悩んでいるプロセスが
宝物になるから。

そして数年後、
私は移住することになる。

そして今は

「自分らしい人生設計」や「自分にフィットする住まい選び」

をテーマに活動をしている。
(12年前の私が聞いたら、信じてくれないかもな・・)

例:静岡県主催の移住セミナー↓


生き方に悩み、もがいた経験はムダじゃなかった


あのとき

「ママと手をつないで
ニコニコ笑顔で歩いた時間」

を残したいと思ったその想いが、
少しずつ私の生き方を変えていった。

自分の気持ちに正直になって、
人生と向き合った。

キャンサーズギフト
という言葉がある。

「がんからの贈り物」

という意味だ。

私は娘が2歳の時に乳がんになったが、

その経験のおかげで、
今は好きな場所で暮らし、
親子でニコニコと笑顔で日常を過ごしている。

これこそ、キャンサーズギフトだと思う。

熱海に移住をして、植物に囲まれた日常を送っています。

その様子を、取材してくださいました。
「和ハーブのある暮らし」著者:平川美鶴 発行:(株)エクスナレッジ



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