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「白い人・黄色い人」遠藤周作

著者の最初期の作品であり、「白い人」は芥川賞受賞作品です。

著者はクリスチャンであり、彼の作品のテーマはキリスト教精神と日本人のメンタリティとの比較がメインとなっています。
特に今回の2作品ではそれが明確に表出されているようです。山本健吉氏の解説によるとそれは「あまりに図式的」とまで述べられています。
確かにそうかもしれませんが、読者には分かりやすいし、このテーマに馴染みのない当時のことを考えれば、悪くないと感じました。

後者の「黄色い人」とはつまり、唯一神としての神を持たない日本人のことです。
作品の舞台は戦中の兵庫県南部(仁川)で、肺結核を患い、東京から療養のため帰省している千葉というクリスチャンの医学生が主人公です。
彼は、出征している友人の佐伯の許嫁である糸子と関係を持ち、キリスト教の教義を裏切ってしまいます。

詳細は割愛しますが、作品後半で千葉に洗礼を施したデュラン(元司祭)もまた豪雨災害で家族を失って面倒をみることになったキミコと関係を持ち、他の神父を官憲に売るという裏切り行為をおこないます。

この裏切り行為に悩み苦しむデュランは、愛人キミコから
「あんたは教会を捨てはったんでしょう。ならどうしていつまでもその事ばかり気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまのほうがどれほどいいか、わからへん」
と叱責され、目が覚めます。

ここでふと気づいたのですが、大災害に遭っても日本人はいつまでも泣き喚いたりしないように思います。
ひょっとすると、人目のないところで泣き喚いているのかもしれませんが、それでもいつまでもそのままでいるわけではなく、やがては大災害という運命を乗り越えようとします。

海外では惨事のあと、被害者が泣き叫び、不幸を訴えるシーンをよく見ます。それは神から見捨てられたと感じるせいなのかもしれません。
日本人にはよってすがる神という根本的な存在がいないため、何かに裏切られたという被害意識はないのかもしれません。
あるとしたら、仏教的諦観だと思います。誰のせいでもないわけだから、泣くことに意味を感じない。だから、泣き喚かないのかもしれません。
どうなんでしょう?

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ところで、著者の作品ではよく神やその教義に反する主人公が多いように思います。
背教行為にどう対峙するのかということが作品のモチーフになっているからなのでしょうか?

2024122

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