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ショートエッセイ:孤立と孤独の違い---ネコの観察から

チェルシーとピノは、
ヨギボーの上で、勾玉(まがたま)のようにくっついて寝ている。

左:ピノ(次女)・右:チェルシー(長女)

二匹は、特別に仲が良いというより、
ただ距離感が似ているのだと思う。
気配を共有しながら、互いの存在を邪魔しない。
それが自然にできている。

一方、三女のハリボはというと、
いつもの定位置で寝ている。

ハリボ(三女)はココがお気に入り

この構図は、だいたい毎日変わらない。
わが家の三姉妹は、
いつもこうして、微妙に違う配置を取っている。

私は、ハリボのことを少しだけ憂いている。
一年前にわが家にやってきた彼女は、
いまでも上の二匹とうまくコミュニケーションできていないように見える。

――見えるだけ、なのかもしれない。

「どうなの?ハリボ」と聞いても、
彼女は「にゃー」と答えるだけだ。
説明する気は、特にないらしい。

ここで私は、
孤立と孤独の違いについて考え始める。

孤立は、ネットワークの欠如だ。
関係性が物理的・構造的に断たれている状態。
それは、本人の意思とは関係なく生じることも多い。

一方で、孤独は気持ちの問題だ。
誰かと一緒にいても感じることがあるし、
一人でいても、必ずしも不幸とは限らない。

孤立は、自分で回避できないことがある。
しかし孤独は、ときに選び、楽しむことすらできる。

そう考えると、
ハリボは孤立しているわけではない。

彼女は同じ空間にいて、
同じ時間を共有している。
ただ、距離の取り方が違うだけだ。

ネコにとって、
コミュニケーションの最適距離は、それぞれ異なる。
くっつくことで安心するネコもいれば、
少し離れているほうが落ち着くネコもいる。

その証拠に、
ハリボは甘えたいとき、
120%の力で奥さんにすり寄る。

迷いがない。
遠慮もない。
必要なときは、一直線だ。

それは、媚びているようにも見えるが、
私はそうは思っていない。

あれは、
孤独の反作用なのだと思っている。

普段は距離を保ち、
一人でいる時間を引き受けているからこそ、
甘えるときは、全振りになる。

デザインでも、同じことが言える。

人との距離感、
情報との距離感、
システムとの距離感。

常につながっている状態が、
必ずしも快適とは限らない。

ときには、
あえて距離を取り、
孤独を引き受ける設計のほうが、
関係性を健全に保つこともある。

孤立を生まないこと。
しかし、孤独を奪わないこと。

ネコたちは、
その違いを、言葉ではなく配置で教えてくれる。

今日もハリボは、
少し離れた場所で、静かに丸くなっている。

それは、
取り残されている姿ではなく、
彼女なりに選び取った、居場所なのかもしれない。

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