ショートエッセイ:ちょうどいい、と、物足りないのあいだで
「あれ?コストコのハイローラーって、こんなに薄味だったっけ?」
先日、コストコに行った。
正確には、行こうとした。
入店待ちの渋滞を前にして、
その日はあっさりとあきらめた。
それでもどうしてもハイローラーをあきらめきれず、
後日、ストックマートでようやく念願の一品を手に入れた。
久しぶりのハイローラー。
楽しみにしていたはずなのに、
ひと口食べて、ふと首をかしげた。
「……こんなに薄味だったっけ?」
頭の中に、いくつかの可能性が浮かぶ。
味覚障害?
老化?
体調の問題?
しばらく考えて、
一つの答えに行き着いた。
ウチの奥さんの手料理が、
あまりにもおいしすぎるのだ。
これは自慢でも、誇張でもない。
少なくとも、私の舌には完璧に合っている。
長年かけて、きれいにチューニングされてしまった。
中でも、私が特に好きなのが、
奥さんの作るサンドイッチだ。
理由は明確だ。
「パンチのきいた味付けと、大胆さ」。
ハムやパストラミは、
一枚ではなく、こんもりと。
チーズはナチュラルとチェダーの二種盛り。
レタスは、KFCのチキンフィレサンドばりに何層も重ねる。
マヨネーズは、
ベストフーズの瓶入りを、遠慮なくたっぷり。
そして、決定打はマスタードだ。
ハインツのマスタードと、粒マスタードのダブル使い。
このサンドイッチを、
いつも釣りに行く朝に作ってくれる。
湖上で食べる朝メシ。
静かな水面。
眠りきらない体に、
一気にスイッチを入れてくれる味。
思えば、
コストコのハイローラーに感じた違和感の正体は、
これだった。
味が落ちたわけではない。
私の評価軸が、
すっかり書き換えられてしまっていただけだ。
慣れとは、恐ろしい。
それは、価値を積み上げる一方で、
別のものを相対的に見えなくしてしまう。
基準が上がったのか、
目が曇ったのか。
その境界は、案外あいまいだ。
デザインでも、同じことが起こる。
使い慣れたUI。
長く付き合ったプロダクト。
毎日触れているシステム。
最初は「ちょうどよかった」はずのものが、
いつの間にか「物足りない」に変わる。
あるいは逆に、
本当は不親切になっているのに、
慣れによって見過ごしてしまう。
ユーザーの評価は、
常にデザインそのものではなく、
「慣れた基準」との比較で行われている。
だからこそ、
デザインは定期的に、
“初めて触る舌”で
味見し直さなければならない。
パンチが足りないのか。
それとも、
こちらが刺激に慣れすぎただけなのか。
その区別を誤ると、
改善のつもりが、
ただの自己満足になる。
そして私は、
きっとまた同じお願いをする。
「明日、釣りだから、
サンドイッチお願い。
マスタード、多めで」
