【S6|外伝】音が言葉になる時——なぜ人は言語化するのか
言葉になる前に、私たちはもう受け取っている。
①「んーふんー」
②「おんおん」
なんのことかわかるだろうか?
息子がまだコトバを身に付けていない、2歳ごろ。
ある音をマネして言ったコトバだ。
①は、ドアのチャイム音「ピーンポーン」。
②は、犬の鳴き声「ワンワン」。
どっちが正しいのだろうか。
音をそのまま聴き取って再現した息子のほうが正しい。
というより、圧倒的にピュアだ。
息子のこの純粋な言語化は、残念ながら一過性のものだった。
コトバを操れるようになるにつれ、次第に薄れていった。
「言語化」が流行りだ。
「言語化することはすばらしい」
「できる人はかっこいい」
近年、そんな価値観が広く共有されている。
たしかに、言語化は分かりやすい。
誰に対しても、公平に伝わる。
しかし、言語化することで失われるものもある。
それは、感覚だ。
コミュニケーションの中に存在する「間」を、
言葉で完全に置き換えることはできない。
「間」に含まれている重要な伝達事項は、
言語ではなく、感覚で受け取られているからだ。
息子が、聴こえるがままに表現していたこと。
それは、
そもそも人間に備わっている「受容」なのかもしれない。
歳を重ねるにつれ、
私たちは多くのことを獲得する。
同時に、
どんどんスポイルされていくものもある。
そのひとつが、
言葉になる前の感覚なのではないだろうか。
言葉にする前に、身体が受け取っているものがある。
デザインは、その受容を壊さずに形にする技術だ。
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チップで応援してもらえると嬉しいです。
その直感こそ、次の表現を生むエビデンスです。
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