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アンダルシアの夜【二〇〇〇文字の短編小説 #4】

あの日の夜、テレビの中の近藤真彦が繰り返し悔しそうな顔をした。「アンダルシアに憧れて」と歌い出しからすぐ、歌詞を忘れたからだ。マッチがカメラに背を向け「すいません」と言うと、演奏が止んだ。頭を沈ませ、腰をかがめてひざに手をやった。

いつもより遅い時間にテレビを観ることができたのは、父と母が祖父のことで慌ただしかったおかげだ。夕食に出前でとった五目あんかけラーメンを食べ終わったあと、普段ならもう布団に入っている時間に、わたしは四つ歳上の兄と一緒に歌謡番組に見入っていた。二人の娘がいる母親になったいま、わたしも同じように父の死の間際にいたら、子どもの面倒どころではないことくらいよくわかる。あのとき、父と母は祖父の死を迎える準備を心ならずも進めていたのだと思う。かすかに聞こえた父の「ネクタイ」とか「写真」とかいう言葉は、そういうことだったのだろう

わたしはまだ小学一年生で、初めての運動会を終えたばかりだった。女子リレーの選手として一等賞をとったことが誇らしかった。あの日、給食を食べているときに、先生に手招きされた。

「お父さんとお母さんが、病院のおじいちゃんのところに行くって」

学校を早引けしたことも、それからのことも、何もかも妙な気分だった。わけがわからない時間を過ごし、興奮していたのかもしれない。いつもなら布団で寝息をしている時刻になっても眠れなかった。兄と二人で居間でテレビを見ていた。父も母も、何も言わなかった。

歌い出しにつまずいたこともあって、マッチの歌は強く印象に残った。歌詞の意味はほとんどわからなかったけれど、ならず者たちが撃ち殺されてしまう歌で、主人公は女性をどこかに待たせていた。たぶん、「アンダルシア」という名前だと思った。

その歌をもう一度聴いたのは大学に入学した直後のことだ。友人と入った喫茶店で耳にした。わたしは、マッチじゃない人が歌っている、と不思議に感じながら、ベッドで横たわる祖父の右腕に刺さっていた点滴を思い出していた。

あの日、病院に行くのは少しうれしかった。前日に母に切られた前髪があまりに真一文字で恥ずかしかったからだ。いとこからもらった茶色のスカートもあまり気に入っていなかった。それでも、早退するというわたしにクラス中の視線が集まったときは悪い気はしなかった。普段は仕事に行っているはずの父と昼下がりに会えるのもうれしかった。

病院に行く途中、父はずっと黙ったままハンドルを握っていた。なぜか父は缶入りのサイダーを二本買ってくれていていた。口のなかで炭酸がはじけ、同じようにわたしの心は浮き立っていた。事の重大さなどわかるわけもなく、日常的ではない時間に感情が高ぶっていた。ごくごくと飲んだサイダーは心なしか生ぬるかった。

病室に着くと、祖父は弱々しい笑顔を浮かべた。それから、父を含む息子たちの声にうなずき、しばらくして眠ってしまった。病室にはお医者さんと看護師さんが大勢いたと思う。わたしは母とともに部屋を出て、廊下のベンチで暇を持て余していた。わたしと同じ年ごろの女の子が茶色い髪の毛の人形を持って、目の前をゆっくりと通り過ぎた。わたしは、あの人形がほしい、と思った。

病室から出てきた父は「大丈夫そうだ」と言ったけれど、次の日が来る直前に祖父は亡くなった。父は親の死に目に会えなかった。「おじいちゃんは天国に行ったよ」と母に言われたとき、私はマッチの「アンダルシアに憧れて」の場面を思い返していた。「アンダルシア」という言葉が、ずっと耳に引っかかっていた。

まだ小さかったこともあって、祖父との思い出は薄い。わたしが葉っぱで右手の人差し指を切ったとき、「こうすると治りが早いぞ」と言って煙草の葉っぱを塗りつけてくれた場面はよく覚えている。帽子のことを「シャッポ」と呼んでいた。方言か何か、くすぐったい響きがした。「シャッポ」が帽子を意味するフランス語だと知ったのは、大学二年生のときだ。フランス文学を専攻している彼氏が教えてくれた。

何度か「昌利くんに会いたいなあ」とつぶやいていた祖父の寂しそうな顔も忘れられない。誰の話だかわからず、だからこそ気になった。中学生になったとき、父が「昌利くん」について明かしてくれた。祖父の弟で、小さなころに両親とともに移民としてアルゼンチンに渡ったのだという。帽子職人として働き始めたばかり祖父は、一人だけ日本に残った。結局、祖父は弟に二度と会うことはなかった。

実を言うと、歌がすぐに途切れたあの日の夜からずいぶんの間、わたしは眠るのが怖かった。「アンダルシア」という聞き慣れない響きが、呪いの言葉のように頭のなかをぐるぐるとめぐった。目をつむると、暗闇が体中に染み込んで、自分が消えてしまいそうな気がした。あるいは、薔薇みたいに真っ赤な血が空を染めるような恐ろしさを感じた。

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