新しい命に名前を【八〇〇文字の短編小説 #26】
東京駅のホームで、呼人は不安を感じていた。これからしばらく、一人の生活を送る。だが、心のざわつきの種は孤独になることではなかった。
新幹線のガラス越しに東子と向き合う。自分の席を見つけ、水色のコートを脱いだばかりの東子の小さなあごがオレンジ色のタートルネックに埋もれている。呼人が声を出さずに「体を冷やさないように」と口を動かすと、東子は照れくさそうにうなずいた。
あと数分で新幹線が出発する。西へ二時間足らず、東子は故郷に帰る。やわらかく膨らんだ腹部には命が宿っている。里帰り出産を選んだのは東子自身だ。妊娠がわかってほどなく、「今度はちゃんと産みたいから」と言ってきた。
新幹線の改札を抜けたところにある待合室で隣り合わせに座った二人はあまりしゃべらなかった。結婚して五年目を迎えたばかりの夫婦は、同じ理由で臆病になっていた。
二年前の春、呼人は仕事中に電話でその事実を告げられ、人目もはばからずに泣いてしまった。悪い予感はあった。産婦人科から帰ってきた東子がある晩、「エコー写真を見て、お医者さんが、赤ちゃんが大きくなっていないって」と心配そうに言ってきた。
男の子だったらどんな名前にしよう、女の子だったらこんな名前がいいな、と話していた二人は最悪の事態に出合った。午前休をとって産婦人科に行っていた東子は携帯電話越しに「やっぱり自然流産だって」と静かに告げてきた。「一泊の入院で手術をすることになったわ」と続ける声を聞きながら、呼人は声をあげて泣いた。
ガラス越しに東子を見守る呼人の頭には、ずっとある存在が居座っている。手術後、診察室に一人呼ばれた呼人は、医者から「一応報告します」と小さな瓶を見せられた。生まれてきてほしかった命の慎ましいかたまりを、呼人は忘れるべきではないと思った。
発車ベルが鳴り、新幹線が出発する。東子を見送る呼人は、今度こそ新しい命に名前をつけられますように、と強く願った。
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