ギリシャ2週間<最後のサプライズ! アルテミス遺跡>
アテネ空港近くで急遽一泊する
2週間のギリシャ旅行の最後にマルタ島の旅を追加してさらに地中海をエンジョイできたと喜んでいたら、なんと最後のアテネでサプライズが待っていた。
アテネからマルタ島に飛び、マルタ島の3泊4日の旅を追加した後、マルタ>アテネ>アメリカと戻ることにしていた。ところがこのアテネでの乗り継ぎがなんと20時間ぐらいになってしまっていた。つまり、マルタからアテネに夕方到着したが、アテネからアメリカのアトランタへのフライトは翌日昼過ぎだったのだ。うっかり旅の最後の細部を見落としていた。
アテネ空港でスナックを食べながら、さあどうしようかと決めかねて、急遽WhatsAppでコロンビア在住の夫とアメリカ在住の娘との3者緊急会談をすることにした。ホテルに泊まれと主張する夫、それで娘がチャカチャカと近郊のホテルを検索する。ここは家族のサポートに感謝。結局アテネ空港からは少し離れているけど海辺のホテルに一泊することになった。
比較的安価ですぐに予約できたのが、Dolce by Wyndam Athens Attica Rivieraと長ったらしい名前だけどアメリカのホテルチェーンのホテルで、5つ星らしい、安いけど。空港からタクシーで15分ぐらいの場所にある。日は落ち既に暗くなっているし、周辺には人家もなくなってきて真っ暗で不安になったけど、到着してみると、今回の旅の中で一番大きく立派なホテルだ。お部屋からは素敵なギリシャの海(エーゲ海かなあ)が見える、はず。翌朝のお楽しみ。
さらになんと、すぐ近くに女神アルテミスの遺跡があるという。これは最後の遺跡巡りに是非とも追加したいと、オープンの時間を確認した。朝8:30から開いている。Googleマップでルートを確認すると車で3分とある。

歩くとなると時間がかかるけど、車だとあさイチでホテルの朝食を済ませてからでも余裕で行ける。翌朝のUberを予約してベッドに入った。なんと便利な世の中になったものだとテクノロジーの進化に改めて感謝して。
早朝の海辺を散歩する
遠足に行く子供みたいに朝早く目覚めてしまった。窓から外を覗くと、海だ。左の彼方からの朝焼けが目に入る。



さっそく外に出て、岸辺を散歩しないではいられない。

周りに建物は何もない。このホテルだけが岸辺に聳え建つ。朝ランの男性が一人走り去った以外誰もいない。この空気、この景色を独り占め。

朝食はエーゲ海を眺める最上階のレストラン。朝日が昇る海を眺めながらのカプチーノは最高だ。


ブラウロンのアルテミスの聖域
間違って「アルテミス神殿の遺跡」と検索するとトルコのエフェソス遺跡が出てくる。ほかにもアルテミス神殿はギリシャ各地にたくさんあるようで混乱する。ここブラウロンの遺跡は小規模。だけど、それがなかなか楽しませてくれる。
ここはアルテミスの聖域といわれる神殿や柱廊などの遺跡で、アテネと空港を含めた地域である半島南部のアッティカ地方のブラウロンという所にある。空港からは東の方向。ここのアルテミスはアルテミス・ブラウロニアと呼ばれていて、アテネのアクロポリスにもその聖域があるらしいけど、自分はアクロポリスではそこをすっかり見落としていた。

神殿は礎石が残っているだけ。柱廊は一部残っていて、ギリシャ遺跡らしい風景を見せてくれている。周りは緑多い田舎。一番乗りで誰もいない。



女神アルテミスについて詳しくないので、遺跡の英語による説明看板を頼りにして少し理解を深めることにした。その内容を一部翻訳してみた。
アルテミスの神殿
この聖域で最も重要な建物であるドーリア式のアルテミス神殿は、聖域の南西部の高台に建設され、他の建物より高くそびえたっていた。おそらく前6世紀ごろに既にあった古代の神殿跡に建てられたものと考えられている。前480年にペルシア人によって破壊された。 神殿の東の広場には、いけにえの動物と特別な儀式のための祭壇があった。神殿の南西には、紀元前5世紀半ばに作られたらしい、石で平坦にされたテラスがあった。これはおそらく奉納物を置いたり、参拝者の滞在を目的としたものと考えられている。
祭儀につかわれる女神像
女神像は神殿のケルラ(壁に囲われた部屋)に設置されていた。4体の女神像の一部が前5世紀と前4世紀のものと確認されている。
(中略)
女性たちはこの祭儀のために特別に作られた衣服で女神像を飾った。
祭儀
アルテミスは、自然、生命、豊穣を司る女神で、ブラウロンのアルテミス・ブラウロニアは主に結婚、女性、家族生活、出産、育児の守護者とみなされていた。女神のこのような特質が、この聖域で行われたイニシエーション儀式、アルクテイアに関連している。この祭儀の間、参加するのはアテネの名家の娘たちで、彼女達はアルクトイ(熊)と呼ばれ、結婚と母親になる準備をするためにこの聖域に滞在した。
(中略)
この女神を讃えるブラウロニアという大祭が4年ごとに開催されていた。祭りでは、参拝者のパレードが、僭主ペイシストラトスと息子達によって建てられたアテネのアクロポリスのアルテミス・ブラウロニアの聖域からスタートして、このブラウロンの聖域に到着する。この正式なブラウロニア祭の他にも小規模のローカルのお祭りが毎年行われていた。
Googleマップによるとアクロポリスからブラウロンまで35.4km、徒歩8時間で、歩くには結構な距離、と現代人は思ってしまう。現代の道路ではないもっと近い道があったのかもだけど。いずれにしろ、この聖域が古代アテナイ人、特に上流階級の女子にとって重要な役割を果たしていたようだ。
このお祭りはアルクテイアの祭儀の終盤であり、少女達が裸または服を着て、花輪、ロープ、たいまつを持ち、祭壇の周りでさまざまな儀式(パレード、踊り、ランニングなど)に参加した。
このお祝いには、女神への生贄や奉納、女神像の飾り付け、叙事詩の語り、おそらく運動競技など、他の儀式も含まれていた。
こう見てみると、結構楽しそうな大規模の祭儀が行われていたようだけど、費用もかかりそうだからか、上流階級の女子しか参加できなかったのか。上述のペイシストラトスはこのブラウロン出身らしく、彼の活躍時代にこの聖域も最盛期だったようで、彼の支援で成り立っていたのかもしれない。
それにしても古代ギリシャ人は4年ごとの大祭が好きだね。古代ギリシアの四大競技祭典が古代オリンピック、デルフィのピューティア大祭、コリントのイストミア大祭、ネメアのネメア大祭。それに加えてここアッティカのブラウロニア大祭。ほかにもちょっと裕福な地方を探せばいくつも出てきそう。古代ギリシャ人(上流階級)は宗教・文化活動・運動にと忙しかった。
京大の講師の方が書かれた「ブラウロンのアルクテイア再考」という論文を読むと、アルクテイアについてより理解が深まって興味深い。この祭儀での奉納品の目録があって、それらには奉納者の名前も書かれていて、すべて女性の名前だという。結婚前の少女がこの儀礼に参加するときに母親が奉納、その少女が結婚・妊娠して無事出産できたら衣服を奉納、今度はその娘が結婚前になるとこの祭儀に参加させて奉納と、一人の女性が一生のうち何度もアルテミス・ブラウロニアにお世話になるのだ。
この遺跡に行く入り口には考古学博物館があって、青銅器時代の初めからローマ時代までの出土品が展示されているが。展示品の写真は一部こちらのサイトで見られる。自分ではほとんど写真撮影していないが、このコレーだけは気に入って撮った。

コレーとは古代ギリシャ語で若い娘を意味するという。コレー像はお墓に建てる墓標としたり、神への奉納品にしたりした。ブラウロンのコレー像は前6世紀前半のものと推定されている。粘土製。下半身は残っていないが、像は直立した姿勢で左手を出し、手を握って穴を作り、そこに物体が固定されていたと考えられている。
前700年ごろからペルシア戦争中の前500年ごろまでをアルカイック期といい、古代ギリシャの政治経済・外交・文化が発展した時期。戦争も多々あり。叙事詩で有名なホメロスも前8世紀ごろに活躍した。このコレーはちょうどそのアルカイック期のものだ。アルカイック美術の特徴としてよく言われるのが「アルカイック・スマイル」という口角の上がった微笑の表情だけど、このコレーの唇はまっすぐで笑みを浮かべていない。この博物館でこれが一番気になった。大きな瞳はマンガのようでもあり、でもキリリとした表情で強さを感じる若い女性像だ。
遺跡を堪能してさあ戻る時間。帰路はどうする?周辺は緑の広野。歩いて戻って飛行機の時間に間に合うようにホテルのチェックアウトできる自信なし。博物館にはインターネット接続ないのでUber呼べないし、タクシー呼ぶにもギリシャ語できないし。博物館の人にタクシーを呼んでもらった。

ホテルに戻ると、玄関にさっきと同じ(?)猫が。同じな訳はないけどソックリ。アルテミスのパワーの恩恵を受けて、テレポーテーション猫が見れるようになったか。。。

ギリシャの旅で古代遺跡の面白さに目覚めた。何千年という時間をタイムトラベルして、人々が実際に生活していた場所に現在の自分を置く、当時の人々が使っていた生活の品々が目前に手の触れるばかりの所にある。荘厳な、巨大な建造物の跡にそれを共有した人々の思い・喜び・悲しみが伝わる。土地は、石はそれらを記憶している。
さらに、ギリシャの古代遺跡で面白いのは、昔歴史で習った場所や人物の名前があちこちで見られて昔を思い出してまた勉強したくなるし、それにもまして地中海やエーゲ海はもうずっと昔から理由もなく行きたかった場所だったから。また行くよ。
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