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50歳、独身。私が捨てたものと、拾ってきたもの【創作大賞2026 エッセイ部門】

私はずっと、かっこいい女になりたかったのだと思う。

でもその「かっこよさ」が、若い頃の私にはまったくわかっていなかった。

仕事ができて、誰にも頼らず、恋愛で振り回されず、弱音を吐かない女。

昔の私は、そんな女がかっこいいのだと思っていた。

だから長い間、強いふりをして生きてきた。

本当は傷ついているのに「大丈夫」と言い、限界なのに「まだいける」と思い込んだ。

50歳になった。
離婚してからの独身生活も、気づけばずいぶん長くなった。
仕事でも恋愛でも、人間関係でも、まあまあいろいろあった。

ここには書ききれないことも、まだたくさんある。

私はこの世に生まれた時、余命半年の宣告を受けた。
両親のおかげで、今こうして元気に生きている。

だからといって、「生まれた意味」や「私の存在価値」を深く考えてきたわけではない。

考えたところで、目の前の苦しさが消えるわけでもない。
状況が急に変わるわけでもない。

そもそも、生きるのに必死で、そんなことを考える余裕もなかった。

私はわりと損得勘定で物事を考えるところがある。
自分にとってプラスにならないことを、深く悩み続けるのは苦手だ。

それなら、ワクワクすることを妄想している方が、よっぽど心が喜ぶ。

深刻な顔をして人生の意味を探すより、今日をどう面白くするか。
私はたぶん、そんなふうに生き延びてきたのだと思う。

人に胸を張って話せることばかりではない。
むしろ、笑ってごまかしたい話の方が多い。

それでも今の私は、自分の人生をそこまで嫌いではない。

戻れるとしても、やり直したいとはあまり思わない。
後悔も、ほとんどない。

ただ、あの時の自分に
「ようやってたな」
「もう少し、自分を大事にしてもよかったんちゃう?」
と声をかけたくなる場面は山ほどある。

失敗したから、人を見る目が育った。
傷ついたから、自分を雑に扱ってはいけないと知った。
壊れかけたから、頑張ることだけが正解ではないとわかった。

私は、いろんなものを失くしてきたのだと思っていた。

若さ。
結婚生活。
安定。
誰かに守られているような安心感。
普通の幸せと呼ばれるもの。

でも40歳を超えたあたりから、少し違う気がしてきた。

失くしたのではなく、合わなくなったものを捨ててきたのかもしれない。

我慢すれば愛されるという思い込み。
ちゃんとしていれば報われるという期待。
普通の人生から外れたら終わりだという怖さ。

そういうものを捨てながら、私は別のものを拾ってきた。

ひとりでいる自由。
転んでも戻ってくるしぶとさ。
失敗を笑い話に変える図太さ。
そして、自分の人生を人のせいにしない覚悟。

これは、立派な成功談ではない。
キラキラした人生の話でもない。

ただ、何度も失敗して、何度も落ち込んで、それでも立ち上がってきた女の話である。

失敗した女の話ではなく、失敗を人生の見方に変えた女の話。

それを書いてみる。

私が捨ててきたもの

私は、我慢していることに気づけない女だった。

頑張っているつもりも、無理をしているつもりもない。
ただ、目の前のことを「ちゃんとしなきゃ」と思っていただけだった。

弱い自分を見せたらダメ。
人に迷惑をかけたらダメ。
嫌でも、その場はうまくやらなきゃダメ。
大人なんだから、これくらい我慢しなきゃダメ。

そうやって私は、小さな我慢を積み上げていた。

行きたくもない飲み会に行く。
聞きたくもない愚痴を、黙って聞く。
嫌な人間関係でも、波風を立てないよう合わせる。
職場では、お局からの嫌がらせにも耐える。

ひとつひとつは、たいしたことじゃないと思っていた。

でも、たいしたことじゃないものほど、積もるとけっこう重い。

気づいたら、心と体にひずみが出ていた。
自律神経失調症になり、精神科にも通った。

それでも当時の私は、無理をしていたとは、なかなか思えなかった。

今ならわかる。
私は強かったのではない。
自分の限界に鈍かっただけだ。

離婚も、私にとって大きな分岐点だった。

稼いだお金を、自分の両親を助けるために使えない。
相手の家族からは「稼ぎ頭」と言われる。
元夫には、どこか人を支配するようなモラハラ気質があった。

結婚しているのに、私は自由ではなかった。

あの頃の私は、たぶんずっと息苦しかった。
でも、その息苦しさに名前をつける余裕もなかった。

「ちゃんとしなきゃ」
「弱い自分を見せたらダメ」
「これくらい我慢しなきゃ」

そう思うたびに、私は少しずつ自分の声を聞かなくなっていたのだと思う。

離婚を決めたとき、私は初めて「もう合わせなくていい」と思えたのかもしれない。

私は、人に合わせすぎることを捨てた。
嫌な人間関係を我慢することも捨てた。

捨ててみたら、思っていたより世界は静かだった。

ひとりの時間が怖くなくなった。
誰かと一緒にいないと不安、という感覚も少しずつ薄れていった。

もちろん、私は寂しがり屋でもある。
ひとりが平気になったからといって、誰もいらないわけではない。

でも、誰かといるために自分を殺すくらいなら、ひとりでいる方がずっと楽だった。

私にとって、自由でいることは、最大の癒しだったのだ。

愛されるより、自分を失わないこと

SNSを見ていると、「追うな、追わせろ」「愛される女はこうする」みたいな言葉が流れてくる。

若い頃の私なら、たぶん真剣にメモまでしていた。

でも50歳になった今なら、少しわかる。

それも一理ある。
けれど、そこだけじゃない。

追うとか、追わせるとか。
その前に、自分の心は本当にそこにあるのか。

恋愛でいちばん怖いのは、相手に振り回されることではない。
振り回されているうちに、自分の本音がわからなくなることだ。

若い頃の私は、恋愛になると相手の機嫌ばかり見ていた。

本当は嫌なのに、嫌だと言えない。
本当はイライラしているのに、微塵も出さずに笑っている。

今思えば、まさに女優である。
しかも、誰からも賞をもらえないタイプの女優だ。

相手に合わせすぎる。
尽くしすぎる。
自分を後回しにする。

それが、恋愛における私の悪い癖だった。

初めて付き合った人は、DVをする人だった。

別れたいと言ったあとから、暴力が始まった。
顔中があざだらけになったこともある。
包丁を出されたこともある。

今なら、すぐに逃げなさいと言える。
でも当時の私は、そう簡単には逃げられなかった。

私が我慢すればいい。
私が怒らせなければいい。
私がうまくやれば、きっと大丈夫。

そんなふうに思っていた。

でも、大丈夫なわけがなかった。

忘れもしない、2月14日。

車から降りた私は、引きずられた。
怖かった。
悔しかった。
でも、そのとき私は逃げた。

逃げて、終わらせた。

なぜ逃げられたのか。
今でも思い出す言葉がある。

母に言われたのだ。

「あんたが強くならないと変わらん」

その言葉が、私を動かした。

誰かが助けてくれるのを待っているだけでは、変わらない。
相手が変わってくれることを願っているだけでは、終わらない。
私が、私を助けにいかなければいけなかった。

あのとき私は、たぶん初めて恋愛の中で自分を選んだのだと思う。

けれど、そこからすぐに健全な恋愛ができるようになったわけではない。

むしろ私は、男性に対して冷めた目を向けるようになった。

どうせ男なんて、下心しかない。
だったらワンナイトで十分。

そんなふうに思って、朝まで飲み、そのまま仕事へ行くこともあった。

悪いことをしている?
ビッチ?

そんなのどうでもよかった。
私の人生だし。

誰かに大事にされたかったのかもしれない。
でも、誰かに大事にされる前に、自分で自分を雑に扱っていたのだと思う。

彼氏ができても、続かなかった。

普通の幸せを求めていたはずなのに、普通がつまらなかった。
安心よりも、刺激を選んでいたのかもしれない。

今ならわかる。

恋愛で私が求めていたのは、愛ではなく、寂しさや怒りや悔しさを埋めることだったのかもしれない。

でも、恋愛は万能薬ではない。

相手に選ばれても、自分を嫌いなままなら苦しい。
誰かに愛されても、自分を雑に扱っていたら満たされない。
尽くしても、我慢しても、相手が変わるとは限らない。

恋愛は、相手をどう動かすかではなかった。
相手にどう選ばれるかでもなかった。

私が私を、どう扱っているか。

そこが全部出る場所だった。

愛されることより、自分を失わないことの方が大事だった。

仕事は、私を救って、私を壊しかけた

私は、仕事にずいぶん助けられてきた。

恋愛でうまくいかなくても、結婚生活がうまくいかなくても、人間関係で傷ついても、仕事だけは私を裏切らなかった。

出勤すれば、やることがある。
任される仕事がある。
必要としてくれる人がいる。

私にとって仕事は、生きがいだった。
そして、自信をくれる場所だった。

20代の頃、職場にどうしても苦手な同僚がいた。

仕事をしない。
できない。
そして、すぐ人のせいにする。

当時の私はまだ血の気が多く、毎日のように文句を言っていた。

ところが、ある日から自分がミスをするようになった。

あれ。
これ、もしかして文句ばっかり言ってるから、神様が「気をつけなさい」と言っているのでは。

何かが自分に返ってきている気がした。

人のことばかり見ていると、自分の足元がおろそかになる。
人のミスに腹を立てていると、自分のミスが多くなる。

それに気づいてから、文句を言うのが少し怖くなった。

結局、人のことを気にして文句を言えているうちは、脳みそに余裕があるのだと思う。

だから私は、文句を言う時間があるなら動こうと思うようになった。

プライベートで嫌なことがあると、私は仕事をパンパンに詰め込んだ。
今思えば、あれは自分なりの逃げ方だったのかもしれない。

でも仕事に没頭していると、不思議と文句や愚痴を言わなくなった。

人は、暇なときほど文句を言う。

営業事務として働いてきた時間は、気づけば24年になっていた。

30代後半、私は地元を離れた。
そこから、東へ西へと拠点を移りながら働く日々が始まった。
1年ごとに住む場所が変わり、事務トラブルが起きれば、私は各地へ飛んでいった。

今思えば、営業事務というより、事務界の流れ者だったのかもしれない。

新しい事業所の立ち上げ、人材育成、売上アップ、残業削減。
会社からの評価や役職としてのステップアップ。

目指していたものは、ひとつずつ形になっていった。

お局に嫌なことをされた悔しさも、私を動かした。
絶対に追い越してやると思い、実際に追い越した。

仕事は、私に自信をくれた。
でも同時に、少しずつ自分の限界にも近づいていた。

慣れない土地、慣れない人間関係、数字の責任。
通常業務を回しながら、人も育てる。

弱音なんて吐けなかった。

部下たちがいる。
私が倒れるわけにはいかない。

そう思っていた。

気づけば激やせしていた。
たぶん、メンタルもかなり崩れていたと思う。

朝、起きられない日もあった。
それでも、遅刻してでも会社に行った。

行けば、やることがある。
待っている人がいる。

だから行った。

土日は泥のように寝た。
起きたら焼き鳥を買って、お酒を飲みながら『ナニワ金融道』を全部見る。

キラキラしたキャリアウーマンとは程遠い。
焼き鳥と酒とナニワ金融道で、なんとか生き延びていた女である。

でも、そんな私にも、仕事を通して大きく学んだことがある。

それは、人は同じ教え方では育たない、ということだ。

新卒の子を2人教えたことがある。
同じ年齢、同じ時期に入社、同じ説明。

それなのに、同じようには理解しない。

最初の私は、それがわからなかった。

なんでわからないの。
さっき説明したよね。

そう思っていた。

でも、違った。

理解力も、受け取り方も、不安の出方も、人によって全部違う。

そのことに気づいたとき、私は自分の無力さと傲慢さを知った。

教えるというのは、ただ説明することではない。
相手に届くところまで、自分の言葉を変えることだった。

それから私は、「なんでわからないの」と思うのをやめた。

そっか。
知らないだけなんだ。

知らないなら、一から伝えればいい。
わかるまで、言い方を変えればいい。

そして、育てるうえで一番大事なのは、自信をなくさせないことだと思うようになった。

だから私はよく言っていた。

大丈夫。
ミスしたって命は取られん。
何かあったら、私が助ける。

雑な励ましにも聞こえる。
でも、私は本気でそう思っていた。

仕事は、私を救ってくれた。
仕事は、私に自信をくれた。
でも同時に、私の限界も教えてくれた。

働くことは、ただ生活費を稼ぐことではなかった。

誰かの役に立つこと。
誰かを育てること。
自分の限界を知ること。

私は仕事を通して、誰かを育てているつもりで、いちばん育てられていたのは自分自身だったのだと思う。

落ちるところまで落ちたら、あとは戻るだけ

私は、自分がどん底にいることに、すぐ気づけるタイプではない。

何かが起きても、最初はだいたいこう思う。

「ああ、また試練がやってきたな」

人生に何度も殴られていると、変な耐性がつく。
平気なわけではない。
傷つくし、腹も立つし、泣きたくなる日もある。

でも心のどこかで、私はいつも思っていた。

このまま終わる自分じゃない。

どん底と聞かれて、ひとつ選ぶなら、結婚して一年後から離婚するまでの時期だと思う。

あの頃は、今振り返っても地獄だった。

息をしているだけで苦しい。
家にいても休まらない。
誰かに話しても、結局最後は自分で決めるしかない。

離婚したいと思っても、すぐにできたわけではない。
話はなかなか進まず、気づけば四年が過ぎていた。

そんなとき、妊娠がわかった。

呆然とした。

母に相談した。
私は、ひとりで育てる覚悟があると言った。

本当に大丈夫なのかと聞かれた。

大丈夫かどうかなんて、正直わからなかった。
でも、元夫と一緒に育てる未来だけは、どうしても考えられなかった。

気がおかしくなると思った。

だから私は、ひとりで育てると決めた。

お腹は待ってくれない。
時間は止まってくれない。
この子と私のために、早く離婚を進めなければいけない。

精神的には、もう限界だった。

それでも、動くしかなかった。

それまであれほど進まなかった離婚の話が、そのときはあっさり承諾された。

やっと進んだ。
そう思った。

けれど、喜んだのもつかの間だった。

その子は、私のもとから旅立っていった。

人生で一番泣いた日だったと思う。

私は普段、人前で涙を見せる方ではない。
つらいときでも、どこかで「もしかして、これ辛いやつか?」と遅れて気づくような人間だ。

でも、あの日は違った。

それでも私は、何もなかったように会社へ行った。
いつも通りに働こうとした。

でも仕事中、涙がこぼれてきた。

さすがに、あれはつらかった。

今でも思う。

あの子は、私をあの苦しい状況から救いに来てくれたのかもしれない。

ありがとう。

そう思っている。

そしてあの日は、私が仕事に生きると決めた日でもあった。

皮肉なことに、あの離婚は私を少し無敵にした。

失うものがあると思っているうちは怖かった。
でも、一度ちゃんと失ってみると、案外人は生きていける。

結婚生活の終わりは、自分を取り戻す始まりだったのかもしれない。

どん底にいるとき、私はすぐに前向きにはなれない。

だから私は、落ちるときは落ちる。

落ちるところまで落ちる。

中途半端に前を向こうとすると、余計にしんどい。
まだ痛いのに、もう平気なふりをする方が苦しい。

そうやって一度底まで行くと、不思議なことに、ある日ふっと思う。

そろそろ戻るか。

私の場合、その戻り方のひとつが仕事だった。

どん底にいるときほど、私は仕事をした。
考えすぎる時間を減らすために、目の前のことに集中した。

仕事が解決してくれるわけではない。
心の傷が、仕事で消えるわけでもない。

でも、今日やることがある。
行く場所がある。
誰かに必要とされる。

それだけで、私は少しだけ現実に戻れた。

立ち上がるというのは、急に強くなることではないと思う。

朝起きる。
顔を洗う。
仕事に行く。
ご飯を食べる。
眠る。

そんな当たり前のことを、ひとつずつ戻していくことなのだと思う。

そしてもうひとつ、私が大事にしていることがある。

最後は、自分がどうありたいかを考えること。

もちろん、アドバイスに救われることもある。
でも最後は、自分に聞くしかない。

私はどうしたいのか。
私はどうありたいのか。
この先、どんな自分でいたいのか。

答えがすぐに出なくても、自分に聞くことだけはやめない。

どん底は、人生の終点ではない。
ただ、自分がどう生きたいのかを、嫌でも考えさせられる場所なのだと思う。

私が拾ってきたもの

私は、失ったものばかり数えて生きてきた時期がある。

結婚生活。
若さ。
普通の幸せ。
誰かに選ばれている安心感。
仕事でしか保てなかった自信。

でも今になって思う。

失った場所で、私はちゃんと拾っていた。

恋愛で傷ついたから、人を見る目を拾った。
離婚したから、自由を拾った。
仕事で限界を知ったから、人に教える難しさを拾った。

そして何より、全てを笑いに変える力を拾った。

つらかったことも、悔しかったことも、情けなかったことも、時間がたてば少しずつネタになる。

もちろん、その渦中にいるときは笑えない。
笑えるわけがない。

でも時間がたつと、不思議と少し距離ができる。

あのときの私は、よくやっていたな。
あのときの私は、まあまあ面白い女だったな。

そんなふうに、過去の自分を少しだけ笑えるようになる。

笑えるようになったからといって、傷がなかったことになるわけではない。
許したわけでも、忘れたわけでもない。

ただ、その出来事に人生ごと支配されなくなる。

それが、私にとっての「笑いに変える」ということなのだと思う。

昔の私は、幸せをとてもわかりやすい形で考えていた。

彼氏がいること。
誰かに愛されていること。
仕事で評価されること。
肩書きがあること。

そういうものがあれば、自分は幸せなのだと思っていた。

でも、それだけで幸せになれるわけではないことも、私は知った。

今の私が幸せだと思うものは、もっと地味だ。

心と体が健康であること。
ごはんをおいしく食べられること。
友達と話して笑えること。
マイペースに、やりたいことをやれること。
ひとりの時間を楽しめること。

誰かに気を使わず、好きなものを食べて、好きなタイミングで休める。

それを寂しいとは思わない。
むしろ、めちゃくちゃ楽しんでいる。

人生は、悪いことばかりではない。

しんどいこともある。
理不尽なこともある。

「はいはい、また試練ですね」と思う日もある。
「もしかして、これ辛いやつか?」と、少し遅れて気づくこともある。

でも、悪いことだけで終わるわけではない。

傷つかなければ、見えなかった人の痛みがある。
失敗しなければ、育たなかった人を見る目がある。
ひとりにならなければ、知れなかった自由がある。

だから私は、自分の遠回りをそこまで嫌いではない。

50歳だから遅い。
独身だから不利。
今さら始めても意味がない。

そんな言葉を、自分に言い聞かせる必要はない。

やりたいと思ったなら、そこが始まりでいい。

私は、失っただけではなかった。
そのたびに、何かを拾ってきた。

持っていないものより、拾ってきたものを数えて生きていきたい。

その方が、私の人生はずっと面白くなる。

50歳、独身。まだ途中でいい

50歳になった。

若い頃の私は、50歳という年齢を、もっと完成されたものだと思っていた。

落ち着いていて、迷いがなくて、人生の答えをいくつも持っている。
そんな大人になっていると思っていた。

でも実際の私は、まだ迷う。
まだ間違える。
たまにやらかす。
そして、まだ「もしかして、これ辛いやつか?」と遅れて気づく。

思っていた50歳とは、ずいぶん違う。

でも悪くない。

50歳、独身。

人によっては少し寂しそうに聞こえるのかもしれない。

でも私は、自分をかわいそうだとは思っていない。

酸いも甘いも、まあまあ経験してきた。
恋愛で転び、仕事で走り、結婚で迷い、離婚で腹をくくり、人間関係で疲れ、また立ち上がってきた。

その結果、今ここにいる。

50歳、独身。
ちょっと笑える。
でも、まだまだこれからだ。

若い頃の私は、かっこいい女になりたかった。

仕事ができる女。
男に振り回されない女。
弱音を吐かない女。
人から認められる女。
自信に満ちていて、何があってもブレない女。

そんな女に憧れていた。

けれど、実際に生きてみると、そんなにきれいにはいかなかった。

男に振り回されたこともある。
人に合わせすぎたこともある。
弱音を飲み込みすぎて、体にひずみが出たこともある。
仕事で結果を出しても、心が追いつかないこともあった。

全然、かっこよくなかった。
いや、むしろかなり泥くさかった。

でも今の私は思う。

かっこいい女とは、完璧な女のことではない。

自分を持っている人。
他人の意見に振り回されすぎない人。
男に人生を預けない人。
失敗も、傷も、遠回りも、ひっくるめて楽しめる人。

そして、誰かの正解ではなく、自分がしっくりくるものを選べる人。

そういう人が、今の私にはかっこよく見える。

他人は、いろいろ言う。

こうした方がいい。
それはやめた方がいい。
普通はこう。
その年齢ならこう。
独身ならこう。
女ならこう。

参考になる言葉も、救われる言葉もある。

でも最後は、自分で選ぶしかない。
所詮、他人は他人だ。
ときどきびっくりするくらい無責任でもある。

だから私は、自分の生きたいように生きた方がいいと思っている。

その方が楽しいし、自分の人生をちゃんと自分のものにできる。

悩むことは悪いことではない。

悩んで解決することなら、とことん悩めばいい。
でも、悩んでも解決しないこともある。

相手の気持ち。
過去の出来事。
他人の評価。
もう戻らない時間。

そういうものに、いつまでも自分の大事な時間を差し出す必要はない。

数日悩んで、答えが出ないなら、私はもう心の中で手を振ることにしている。

はい、バイバーイ。

もちろん、そんなに簡単に切り替えられない日もある。

でも、それでもいい。
完璧に切り替えられなくても、少しずつでいい。
自分の心を、他人の言葉や過去の出来事に明け渡し続けないこと。
それが大事なのだと思う。

この人生で、私はいろいろ捨ててきた。

人に合わせすぎること。
嫌な人間関係を我慢すること。
愛されるために自分を失うこと。
仕事ができる自分にだけ価値を置くこと。
ちゃんとしなきゃ、弱い自分を見せたらダメ、という思い込み。

捨てるときは怖かった。
でも捨ててみたら、思っていたより身軽になった。

そしてそのぶん、自由や人を見る目、自分の時間を楽しむ力、全部を笑いに変えていく力を拾ってきた。

50歳になっても、人生は完成していない。

まだやりたいことはたくさんある。
仕事もしたい。
挑戦もしたい。
書くことも続けたい。
誰かの力にもなりたい。

自由は、人生卒業まで続行である。

誰かに笑われてもいい。
今さらと言われてもいい。
年齢を理由に止まる気は、今のところない。

だって、まだ途中なのだ。

50歳だから遅いわけではない。
独身だから足りないわけでもない。
失敗したから終わりでもない。

やりたいと思ったなら、そこが始まりでいい。

私はずっと、かっこいい女になりたかったのだと思う。

若い頃に思い描いていたような、完璧で、強くて、隙のない女にはなれなかった。

でも今の私は、少し違う形で、そこに近づいている気がする。

まだ完成していない。
まだ迷う。
まだたまにやらかす。

でも、まあまあ面白い女にはなった。

それで十分じゃないかと思う。

50年も生きてきた女は、そう簡単には倒れない。

恋も、仕事も、人生も。
なんでもこいだ。

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