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10年、キャリア迷子でした

会社を辞めてから10年、私はずっと「次の仕事」を探していました。

転職サイトを開いては閉じ、稼げそうな仕事があると聞けば手を出し、少しやってはまた別の何かへ。

FXで300万円を溶かし、中古カメラの転売、アフィリエイト、Webライター、電子書籍。

どれも「これが自分の仕事だ」と思えないまま、始めては辞めるを繰り返していました。

今なら分かるのですが、私が探していたのは、ずっと「具体」でした。
どの職種か。どの業界か。何をやれば稼げるのか。

先に見極めるべきだったのは、自分は何に向いているのか、という特性のほうでした。

順番が、逆だったんです。

それに気づくまでに10年。書いていて恥ずかしくなるような遠回りです。
それでも晒すのは、あなたに同じ回り道をしてほしくないからです。

——申し遅れました。合同会社asobiz代表の岡田楓生(かおる)と申します。(本名は薫)

東京都府中市を拠点に、貸別荘の運営とITコンサルタントをしています。

会社員時代より収入は下がりましたが、時間と仕事を選べる今の方が、幸福度は格段に上がりました。

運営・管理している貸別荘「GLテラス」

バイクの上で号泣した21歳

話は、その10年よりさらに前から始まります。

1983年生まれ。大阪府高槻市出身。

就活も駆け込みでしたくらい、人生設計とか将来の目標とか、何も考えていなかった人間です。

本も自分から読むようなタイプではありませんでした。

ただ、21歳の時にひとつだけ、自分でも驚くような経験がありました。

就活のための自己分析をしていて、「自分は何のために働くんだろう?」と自問自答した結果、 「人を笑顔にするために働きたいんだ」という結論が出ました。

自分の純粋な想いに気づいた瞬間、なぜか、が止まらなくなりました。

その時ちょうど、お弁当を配達するアルバイトをしていて、バイクに乗りながら一人で号泣。

今になって思えば、これが私の「軸」の原点だったんだと思います。

でも当時の自分は、その涙の意味を深く理解できていませんでした。

お弁当の配達をしながら号泣

人生に初めて本気で向き合った日


新卒で大手食品会社に社内SE(システムエンジニア)として入社。

私が少し変わったのは社会人になってからです。

入った会社の同期に刺激を受けて、自己啓発本を読むようになりました。

25歳の時、GMOグループ代表・熊谷正寿さんの「一冊の手帳で夢は必ずかなう」という本を読んだことが、私の行動を変えるきっかけになります。

この本を通じて、夢を叶えるためには、徹底的に自分の将来像と向き合って人生計画を立てる必要があると知りました。

それを実践するためには、まとまった時間をとって自分自身と向き合う必要があります。

しかし、正直ものすごく抵抗感がありました。

せっかくの休日に自分と向き合うなんて。

平日は会社、休日は引きこもりと、楽しいイメージのない人生になる気がして……。

「そんなことに時間を使って本当に大丈夫なのだろうか?」という不安がありました。

でも、人生にとって緊急ではないけど、ずっと頭の片隅にいる重要なテーマ

——「どんな人生を生きたいのか?」——

に真剣に向き合う必要性も感じていた私は、思い切って休日の3日間を潰して、15年後の理想像に本気で向き合うことにしました。

当時、会社は海外に工場を進出させていた時期。

「海外を飛び回りながらシステム開発の仕事ができたら、かっこいいし楽しそうだ。」

そう思った私は、海外担当のシステムエンジニアになるという夢を描きます。

まだ社内で誰もそこに向かって行動している人を聞いたことがなかったので、今から英語を勉強すれば将来自分が担当になれるかもしれない。

そう思って、苦手だった英語の勉強を始めました。

初めて受けたTOEICは200点もいかないくらい、英語は苦手でした。

夢を描くも、英語は大の苦手という現実…

仕事に夢中だった9年間


3年ほどかけてTOEICは660点に。

まだまだ全然英語が分かるレベルではなかったけれど、社内で「英語ができる人」というイメージを持ってもらえるようになりました。

念願叶って8年目で海外担当に抜擢。

夢が叶った瞬間、胸がいっぱいになりました。

マレーシアやアメリカに何度も出張し、現地の担当者と英語で会話しながらシステムを構築していく日々。

海外という未知の環境に飛び込むことで、知らなかったことを知れる。

体験したことのない世界を体験できる。

私は「知的好奇心」が旺盛で、初めての経験は最高にワクワクすることでした。

しかもそれを、自分で描いた夢の仕事で実現できている。

未体験の連続で自己成長も感じられる日々はとても充実していました。

この時期の私は、自分の内側から湧き上がる「やりたい」という気持ちに従って動けていました。

それが私にとっての「自分らしくいられる状態」であり、仕事が楽しいと感じる源泉だったんだと思います。

「仕事って楽しい」——私はこの時、身をもってそれを知りました。

出張でよく訪れたマレーシアの地方都市「マラッカ」

すべてが崩れた日


ところが9年目の終わりに、海外のプロジェクトから外されてしまいます。

原因は私の力不足でした。

海外の仕事を担当したい余り、自分の手に負えない量の仕事を無理に引き受け、社内の調整もうまくいかなかった。

エンジニアとしてのスキルにも限界を感じていた中で、プロジェクトの途中で上司から担当を外されることを告げられます。

「もう一切海外には行かせない」

マレーシアで電話越しに聞いたその言葉に、めちゃくちゃショックを受けました。

ショックだったのは、海外に行けなくなったことだけではありません。

「仕事ができないやつだと思われただろうな……」

「私に期待してくれていた全ての人たちを裏切ってしまったな……」

自信を失い、同僚と笑顔で話すことすらできなくなりました。

国内の部署に異動になった私は、生きる目的を失い、抜け殻のようになります。

海外では、未知の環境で新しいことを学び、自分で考えて動けることが楽しかった。

でも国内に戻ると、自分が望んでいないプロジェクトに配属され、自分の意志で仕事を選ぶことができない

「やりたいこと」を封じられ、自分らしくいられなくなっていました。

何とかして仕事をしなくても済むようにして定時で帰る日々。

「仕事にやる意味を見出せない」

この時の大きな学びは、「組織に所属している限り、自分の望む仕事をする権利は無いんだ」 ということでした。

とてもいい会社で、社員も良い人しかいなかった。

会社も人も大好きだった。

だからこそ、9年目で海外担当を外されるまでは、定年退職までこの会社にいることを1ミリも疑っていませんでした。

でも、抜け殻のような日々を過ごす中で、少しずつ気づき始めます。

「いい会社にいれば幸せ」なのではない。

「自分の意志に沿わない仕事では、幸せになれないんだ」

私は退職を決意しました。

出張でよく訪れたマレーシアのクアラルンプール

社会のレールから外れて


2016年に10年務めた会社を退職。

退職直後の私が最初に描いた理想は、今思えば少し恥ずかしいものでした。

「10億円貯めてFIRE(早期リタイア)する」

世界中の一流ホテルを泊まり歩き、美味しいご飯を食べ、綺麗な景色を見る。

イメージはドバイの7つ星ホテル「ブルジュ アル アラブ」
実際に近くまで行きました。

経済的に完全に自由になった生活。

それが当時の私の「理想」でした。

しかし、FIREを目指すために始めたFXで口座に入れていた300万円を全て溶かしてしまい、稼ぐ手段を失います

FXを続けるには、他に生活費を稼ぐ手段が必要でした。

「どうしよう……」

途方に暮れながらも、ある問いが頭から離れませんでした。

「自分には、会社に頼らずに稼げる『強み』が何もないのではないか?」

資金を溶かした時、その現実に直面しました。

稼ぐためには、小手先のテクニックではなく、自分の本質的な「強み」を社会に提供し、喜んでもらう必要があります。

しかし、当時の私には「自分の強み(武器)」が何なのか、全く分かっていませんでした。

そこで私は、目先のお金を追うのをやめ、「自分の才能(原石)を見つけ出すこと」に舵を切りました。

そんな時、羅針盤になったのが経済アナリストの藤原直哉先生です。

先生の「これからは地方の時代だ」という言葉を聞いて、私はピンときます。

かつて「海外の時代が来る」と思って英語を勉強し、海外担当になれた成功体験がある。

今度は地方を先取りしよう。

そう考えた私は、日本の各地域で活躍している活動家「ローカルヒーロー」に会いに行く旅を始めます。

自分から見て素晴らしいと思える生き方・働き方をしている人たちに直接話を聞いたり、ボランティアをさせてもらったり、時には一緒に生活をさせてもらいながら、人生に触れる旅。

稲刈りやカフェのオープン、選挙活動のお手伝いをしたり、地域の清掃、ゲストハウスを一緒に造ったり…

稲刈り(はぜかけ)のお手伝いをした時の写真
島根県浜田市で選挙のお手伝いをした時の写真(2017年)
ビルを壊してゲストハウスづくりをした時の写真(岐阜県高山市Tomarotto Hostel
旅先で出会った友人の生き方を体験、長野県小谷村にあるゲストハウス「梢の雪

どれも新鮮で楽しい体験でした。 しかし、一つ気づいたことがあります。

海外に行くのも地方で暮らすのも、最初は未知の体験ができてとても楽しかった。

でも「こんな感じか」と分かってからは、新鮮さがなくなって楽しいとは思えなくなっていた。

私は、海外に行くこと、地方に住むこと自体が楽しい人間ではなかった。

常にまだ知らない新しいことを学び、実験し続けることが楽しい人間だったんです。

両極端での挫折と、高速バスでの気づき


地域を巡る旅の中で、一つ、大きな気づきがありました。

「『熱意』だけでは、仕事にならない」

岐阜県でゲストハウスを造るボランティアをした帰り、高速バスに揺られながら、私は痛感していました。

21歳の時、「人を笑顔にするために働きたい」とバイクの上で号泣した純粋な想いは、ずっと持っていました。

でも、「人に喜んでもらいたい」という気持ちだけでは、確かな「強み(提供できる価値)」が伴わなければ、所詮ボランティア止まりでした。

いよいよ貯金も尽きかけた私は、稼ぐ手段を探した末に見つけた「中古カメラの転売業」を始めます。

よく扱っていたNikonのアナログカメラ

2018年1月に開業してからは、必死にカメラ転売に打ち込む日々。

何とか利益を出せるようにはなりましたが、それはあくまで「お金を稼ぐためだけの仕事」。

面倒なこと、後ろめたいこと、我慢することの連続で、心からやりたい仕事ではありませんでした。

「お金を稼ぐこと」だけを優先すると心が死んでいく。
でも、「やりたいこと」だけを追いかけても生活が成り立たない。

これが、私が直面した大きな壁でした。

やりたいことではお金が稼げない…

asobiz設立と、終わらない実験の日々


「遊んでいるような感覚で夢中で働きながら、しっかりビジネスとしても成立させる」

理想論かもしれませんが、私はそんな働き方を諦めきれませんでした。

——そんな願いを込めて、2018年10月に合同会社asobiz(遊び+ビジネス)を設立します。

そこからの私は、時間と場所に縛られず、自分の責任で自由に働けることを条件に、生き残るためのあらゆる仕事に泥臭く挑戦しました。

カメラ転売、美容ブログのアフィリエイト、AI系のWebライター、プログラム開発、電子書籍の発行などなど。

生活費を稼ぐと同時に、自分に何ができるのか、どんな才能があるのかを探る「実験」の日々でした。

当時運営していた美容ブログ
Webライター時代に書いた記事

人生2回目のどん底

2020年6月、仕事が少し軌道に乗り、経済的に余裕ができたタイミングで東京と長野県佐久市との2拠点生活を始めました。

2拠点生活を始めた時のFacebook投稿

きっかけはコロナ禍でした。

2020年4月、緊急事態宣言。

「食料が手に入らなくなるかもしれない」という不安と、「地域で誰かの役に立ちたい」という気持ちが同時に湧き上がってきました。

お金にならなくてもいい。とにかく自分が地域に貢献できることをやってみよう。

そう決めて、以前、地域で出会ったコワーキングスペースのオーナーの紹介でシェアハウスに住みながら、長野県の佐久地域で活動を始めました。

当時住んでいたシェアハウス柏屋旅館
私の二拠点生活を「スッキリ」でも特集していただきました

野菜作り、荒地を田んぼに再生する活動、コワーキングスペースでのイベント開催。

コワーキングスペースでイベントを開催した時の写真
みんなで畑を管理するうちやまコミュニティ農園

地域の生活を伝えるSNS投稿、人の魅力を伝えるインタビュー動画をYoutubeにアップする活動なども行いました。

佐久の魅力が詰まった活動39BAR

しかし、素人の私が行ってきたクオリティの低い活動の数々に地域の方々から、徐々に不信感を持たれるようになっていきました。

「あの人は何がしたいのか分からない」

熱意だけで突っ走り、結果的に地域の方々のペースを乱したり、迷惑をかけてしまったりしていたことに気づいていませんでした。

そしてある日、地域の友人から、こう言われます。

「もうウチの地域に来ない方がいいよ」

——人生2回目のどん底でした。

1回目の会社での挫折は、仕事のやり方を否定されただけで、翌日には同僚に「海外担当、外されちゃいました〜」と話せるくらいでした。(強がりですが…)

でも今回は違った。

人格そのものを否定されたような経験でした。

自分に自信を失い、何もやる気が起きない日々が2年ほど続きました。

「また失敗した。ちゃんと自分の得意なことを継続しないと誰の役にも立てないんだ」

自己理解との出会い


どん底から2年。

少しずつ前を向けるようになった頃、一つの気づきがありました。

それは、地域での失敗から学んだことでした。

「自分がやりたいことを次から次にやっても、結局、誰の役にも立てなかった」

動画編集は苦手だった。インタビューのノウハウもなかった。

「やりたい」という気持ちだけで突っ込んでいった結果、かえって地域の人を困らせてしまった。

「自分の武器」を磨き続けていかなきゃダメだ。

自分に才能があって、強みとして磨き続けていきたいことって何だろう?

その問いに向き合うために、八木仁平さんが考案した、自分自身を深く見つめ直し、強みを見つけるための自己理解プログラムを受講しました。

自分が得意なことを続けていかないと、人の役に立てる強みは身につかない

——その学びが、背中を押してくれました。

100日間、自分と向き合い徹底的に自己分析をします。

すると、幸せに生きるための材料(価値観・才能・興味)をたくさん見つけることができました。

私の最大の才能(自然とできること)は、「新しいことを学ぶこと」「行動計画を立てること」そして「すぐに実行すること」。

そのプロセス自体を楽しめることだったんです。

そして自己理解プログラム受講後、その才能の原石をライスワークに活かす仕事が少しずつ生まれ始めました。

自己理解プログラムの修了証書

「才能」が一生モノの「強み」に変わった瞬間

しかし、才能(原石)を見つけただけでは、まだ仕事の武器にはなりません。

ここで私の人生を大きく変えたのが、ギャラップ社が提唱する 「強み = 才能 × 投資(スキル・知識)」 という方程式でした。

息をするように自然とできる「才能」に、日々の学習や経験といった「投資(時間)」を掛け合わせることで、初めて社会で通用する圧倒的な「強み」になる。

私は、自分の「新しく学び、すぐ実行する才能」に、システムエンジニア時代から10年間培ってきた「ITスキル・知識」という投資を掛け合わせました。

その結果、私の才能は「新しいITスキルを積極的に学び、すぐ実践に移す」という明確な「強み」へと変わり、仕事の成果が一気に広がり始めたのです。

記事を書いている2026年4月現在、私はその強み(武器)を活かし、2026年に入ってからのわずか3か月間だけでも、以下のような幅広い仕事のご依頼をいただいています。

  • ホームページ制作

  • ネットショップ制作

  • ドメイン取得代行

  • ITアドバイザー

  • Instagram、メタ広告運用代行

  • 貸別荘の予約管理業務

制作したAdevisのホームページ
運用を任せていただいているInstagram

一見バラバラに見えるかもしれませんが、これらはすべて「新しいITスキルを学び、実践する」という私の一つの「強み」から派生したものです。

そして2026年7月1日には、リリース5日でUdemyのベストセラー講師となることができました。

ベストセラーを獲得した講座

さらに個人的なライフワークとして、「Obsidian」と「Cursor(AI)」というITツールを用いた「自己理解システムの構築」という実験に日々没頭しています。

「新しいことを学ぶ」という才能をフルに活かして、日々新しい学びに挑戦できる仕事の仕方を工夫する。

そんな、毎日がワクワクするような働き方を手に入れることができました。

——私が10年かけてたどり着いた、この「才能を強みに育てる方法」は、最後に一枚のロードマップとしてまとめています。気になる方は、読み進めながら最後までお付き合いください。

「才能」は仮説でいい。「強み」を育てる実験を楽しもう


「自分も強みを見つけたい。でも、自分に才能なんてあるんだろうか」——過去の私のように、そう思い詰めているなら、伝えたいことがあります。

「自分の才能」なんて、最初は仮説でいいんです。

「これが得意かもしれない」と仮説を立て、行動を掛け合わせてみる。違ったら、また別の仮説を試す。この「仮説 → 行動 → 振り返り」を回すこと自体が、あなたの武器を研ぎ澄ます実験になります。

そうして小さな成果が出始めると、自然と自信がつき、「自分らしい生き方」は後からついてきます。

これからお伝えするのは、私が10年間の失敗と実験の末にようやくたどり着いた、強みを磨いて人生を豊かにするための「現在の最適解」です。

ただ、その手順の前に、ひとつだけ。

私は自己理解プログラムで価値観・才能・興味を言語化し、「本当にやりたいこと」を見つけました。とても素晴らしいプログラムです。でも、"言葉にしただけ"では、人生は驚くほど変わりませんでした。

いま私は自己理解プログラムの修了生60名ほどのコミュニティを運営していますが、仲間や他の修了生の方々を見ていても痛感します。自己理解は「一度やって終わり」ではない、ということ。

見つけた才能も、日々の行動の中で使い、磨き続けなければ、いつのまにか輪郭がぼやけていく。かつての私自身が、まさにそうでした。

——つまり本当に必要だったのは、「才能を"見つける"方法」だけではなく、それを毎日、無理なく"使い続けられる"環境と仕組みだったんです。

この気づきから生まれたのが、次の「自分の『才能(原石)』を一生モノの『強み(武器)』に育てる3つのステップ」です。

① 自分の「才能(原石)」を発見する
過去の経験を棚卸しし、努力しなくても息をするように自然とできるあなたの才能(原石)を見つけ出します。

② 才能を日々使い、磨き続ける「環境」をObsidianでつくる
見つけた才能・価値観・興味を、バラバラのまま眠らせず、Obsidianというメモアプリの中で「リンク」でつなぎ合わせていきます。

日々の学びや行動と自分の才能を結びつけ、思考を客観視できる「第2の脳」として使い続ける。

これが、才能を"磨き続けられる状態"をつくる要になります。

「Obsidian」で思考を繋いで頭の中を客観視し、自己理解を深め続ける環境を作ります
Obsidianは自分の「第2の脳」とも呼ばれるメモアプリ

③ 行動を継続して「才能(原石)」を「強み(武器)」に育てる
見つけた才能に、日々の学びや経験という「投資」を掛け合わせ続ける。

無理なく行動を続けられる仕組みを持つことで、才能(原石)は一生モノの「強み(武器)」へと昇華していきます。

この3ステップで、あなたの才能(原石)は社会で通用する強固な「強み(武器)」になり、自信を持って自分らしい人生を歩めるようになります。

最後まで読んでくださったあなたへ

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

もし私のプロフィールを読んで、「自分の才能を活かして成果を出したい」「自分に自信を持って生きていきたい」と少しでも感じていただけたなら。

まずは、その具体的な道筋を知ることから始めてみませんか?

私自身が10年間の失敗と実験を繰り返しながらたどり着いた、才能を確かな強みへと育て上げる手順を一枚のロードマップにまとめました。

受け取りを希望される方に、メールでお送りしています。

【無料プレゼント】「強み」を磨いて人生を豊かにする3STEPロードマップ

ロードマップを受け取っていただいた方には、私自身が今も続けている「強み」の探求記録を、定期的なお手紙としてお届けします。

一緒に「強み」を磨いて人生を豊かにしていきましょう♪


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