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『限界国家』について

楡周平『限界国家』が文庫本として発売されたので読んでみた。初出は23年6月なので、約2年前のことになる。当時、あまり話題になった記憶がないのだが、内容としてはまったく古くなっておらず、むしろ日本を取り巻く状況としては2年前よりも悪化しているように思われる。

日本の20年後、30年後の姿についての調査を依頼されたコンサルティング会社のメンバーが、少子高齢化、AIの進化による職業寿命の短命化、地方の過疎化、優秀な若者の海外流出等、明るい材料がまるで見当たらない状況の中で、未来の日本の慄然となるような姿を明らかにしていく様子が小説仕立てで描かれている。

正直なところ、小説としての出来はイマイチである。著者の抱く危機感を世の人に知らしめるために、無理やり小説の形式に押し込んだような感じは否めない。読者としても、小説を楽しむというよりも、著者からのメッセージを受けとめるつもりで読んだ方が良いだろう。

人口の減少、若者の都市部への集中、地方の過疎化については既に明らかな現象である。地方に出張すると、県庁所在地の繁華街であっても、平日の昼間でさえ閑散としているのを目にする。シャッター商店街は当たり前。中心部からクルマで少し郊外に行けば、もはや誰も歩いていない。同じことが、いずれ日本全土で起きてしまうであろうことは、人口動態統計を見れば明らかである。

人口1億人を割り込むと、内需依存の経済は成り立たなくなると言われているが、2040年から50年の間に、日本の人口は1億人を割り込み、9,700万人台に、さらにその10年後、60年には8,600万人台になるという。

少子高齢化、生涯未婚者の増加の背景には、長らく続く景気の停滞は無関係ではない。過去の歴史を回顧しても、人口が増える時期というのは、生産性が上がり、人々が将来に対する期待が持てるようになる時期と重なる。「失われた30年」と言われて久しく、既に40年目に突入している昨今の状況を考えれば、今の若い人たちが先行きに希望を持てず、結婚したり、子どもを持ちたいと思わないのも仕方がない気がする。

若年者の人口が既に少ないのに、彼らが今さら急に頑張って子づくりに励んだところで、すぐにどうにかなるものではない。結果が明らかになるには、20年、30年くらいの時間差が必要となる。言い換えれば、もう随分と前から、日本の先行きに関する未来予測はかなりの精度でできていたはずである。人口動態統計は嘘をつかないからである。

政財界の権力を持ち既得権益を持つ人たちは揃って高齢者である。自分たちの現役期間中のことには関心はあっても、死んだ後のことなど興味はない。短期間で転勤を繰り返す中央官庁の役人は、出世に響くような余計なことはしない。権限や情報を持つ人たちが揃って無関心・無責任を決め込んで、厄介な問題を先送りし続けた結果が今の日本の姿である。

財界の「大物」と、スタートアップ企業経営者の若者との対話が、本書のクライマックスである。自分たちが怠慢を決め込んでいた「ツケ」を当たり前のように若者に押しつけようとする老人と、日本という国そのものにもはや見切りをつけてしまっている若者とでは、まるで会話がかみ合わないのも当然である。

人口が減少して、人手不足が進み、経済が立ち行かないのであれば、移民をもっと積極的に受け入れれば良いという意見はもっともである。だが、そうなると、日本の伝統文化が廃れるとか、治安が悪くなるとかいう反対意見が出る。どんな政策もメリットがあればデメリットもある。良いことずくめのウルトラCみたいな手法などあるわけない。何を優先して、何を割り切るのか、何を諦めるのか。そういう本音レベルの議論をもっとやった方が良い。

移民を受け入れるにあたって障害となるのは言葉の問題である。日本語という特殊な言語にこだわる限り、移民だって簡単には来てくれない。日本が豊かな時代ならばともかく、これからますます縮んでいくのだ。伝統文化にこだわる以前に、日本語を棄てるところまで行かなくとも、英語を準公用語にするくらいの覚悟は必要であろう。

日本経済が縮んで内需では食えなくなるというが、ヨーロッパ諸国や韓国は既にそういう闘いを長年にわたり続けてきた「先輩」である。今までの日本は恵まれ過ぎていたとも言える。内向きな発想を棄てて、世界のマーケットで勝負する覚悟さえ持てば、伸びしろは十分にある。その点においても、日本語にこだわらず、英語を使いこなせるようになるべきであろう。長いものには巻かれるしかないのだ。

人口が減ること自体は、悪いことばかりではない。AIが進化して、今まで人手でやっていたことが機械に代替されるようになれば、働き手の不足は今よりは解消されるはずである。新しい時代の働き方に対応できずに失業して、路頭に迷う人間、福祉の世話になるしかない人間は少ない方が良いとも言える。

むしろ問題なのは、世代間の人口のアンバランス、つまり若年者に比べて、老人たちが多すぎることである。2025年、いわゆる団塊の世代が全員「後期高齢者」になった。この後、「団塊ジュニア(1971~74年生まれ)」の高齢化も控えているため、高齢者(65歳以上)比率がピークアウトするのは、まだまだ先の話である。推計では、2060年まではずっと高止まり(約35%)状態が続き、その後、ようやく低下トレンドに入るという。2060年というのは、まだこれから35年も先の話である。僕などは、もう死んでいるだろう。

だが、その後は、だんだんと世代間の人口のアンバランスは解消されていき、若年者の負担も軽減されていく。もっとも、その頃の日本は今よりも貧しくなっているとすれば、年金や医療費を負担する財源は今よりも乏しくなっている可能性はある。

「人命は地球よりも重い」なんて言葉もあるが、そういう情緒的な話ではなく、もっとシビアな現実を見据えた議論が必要であろう。

高齢者が多いのだから、医療費の使い方、医療のあり方については、節度を持って運用した方が良い。寿命と健康寿命のギャップは大きく、男性で9年、女性で12年も他人の介護が必要な期間が発生する。ヨーロッパには日本みたいに寝た切り老人はいないという。高齢者に無駄な延命治療は施さないし、手術などもしないという。医療とは社会のインフラ、公共財みたいなものであり、税金で運用する以上、使い方に関しては節度があって然るべきである。無駄な延命は年金財政にも影響する。

日本は、自らの意志で世界トップの長寿国のポジションから降りる覚悟を決めるべきであろう。

前にもどこかに書いたことだが、後期高齢者は健康保険の適用外にしても良いと思う。電化製品だって古いものは修繕してくれない。修繕するよりも買い替えを勧められる。人間だって同じである。それでも長生きしたいと思うのならば、それは単なるワガママだから、自費でどうぞということである。

こんな意見を口にしようものならば、老人たちを敵に回し、医師会や製薬業界を敵に回し、選挙に落ちるどころか、政権がひっくり返ることになるから、政治家は頭の片隅で思っていたとしても、絶対に発言することはない。

でも、本当に国を憂うのであれば、老人たちが自ら進んで、こういう提言をすべきなのである。自分たちはもう十分に長生きしたし、日本が豊かだった時代を生きて、良い暮らしもさせてもらったから、あとは若い人が将来に希望が持てる国にしてもらいたいと。

生まれる国や土地を選ぶことはできないが、住む国や場所を選ぶことはできる。本書に登場する若い世代の人たちみたいに、オワコンと化した日本にはもはや見切りをつけて、世界を相手にビジネスを展開しようとする姿勢は正しい。こういう人たちばかりであれば、日本という国は没落したとしても、日本人は世界のどこかで存在感を発揮するに違いない。

逆に国家というものは、無為無策にボーッとしていると、いつか国民に棄てられるかもしれない。移民どころか、ドメスティックな日本人だって、特に優秀な人たちはもっと住みやすい国に移り住んでしまって、国全体がシャッター商店街になる可能性は十分ある。そうなった時に、取り残された老人たちの年金を誰が負担してくれるのだろうか。日本の伝統文化なんかにこだわっている場合ではない。移民だろうが何だろうが、来る者は拒まずのスタンスで大歓迎するしかないではないか。

今の日本は、それくらいに追い込まれているということである。


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