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『レポマン』も軍事AIも資本主義のブタなの?


やれ効率化だの合理化だのと、とにかく答えはそれしかないってムードが加速しておりますが、効率化それ自体が暴力的だと感じることもあれば、「暴力」自体が効率化されてるところもあります。

今回からはそんなご時世の輪郭を、ぼんやり映画でも観ながらつかんでみようかと思います。

【対イラン精密爆撃にAI 米軍が実戦投入】
米軍が人工知能(AI)など新型技術の投入を始めた。
イランへの攻撃には「メイヴン・スマート・システム(MSS)」と呼ばれるソフトウエアを使用。従来は衛星写真から標的を絞り、攻撃するまで数時間に及ぶ作業を必要としていたが、MSSの導入で数分に短縮できたという。

日経新聞 2026/3/5


参考映画はコチラ

映画『レポマン』『ジェイコブス・ラダー』『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』


ITという言葉が定着して20〜30年くらい?ですかね。

仕事だけじゃなく生活全般にわたって「まー便利な世の中になったもんだね」なんて驚いちゃう事いまだ多くありますよね。

一方で、ユーザーの心身の健康を度外視するようなテック企業の商売に対しては「この技術には倫理的な歯止めをかけるべきだ」という議論も何度となくされてきたわけですが、べきだ!って声を頻繁に耳にするワリには実際に歯止めがかけられたって話を聞くことは多くない。

なんとなく「されるがまま」。

延々と続く強制スクロールに「俺このまま下へ流されていくのか」って、ちょっと怖いというか不穏を感じてる人も沢山いるのでは。
僕ももちろんそうです。




暴力も高度情報化の時代に


高度に発展したIT技術を軍事利用すべしってことで、2017年以来、米軍が開発してきたのが「メイヴン・スマート・システム(MSS)」。
2026年1月のベネズエラ急襲作戦から実戦投入され、3月のイラン攻撃にも最前線で使用されました。


例えばトマホークミサイル1発撃ち込むにしても攻撃目標を選定する作業ってのはかなり複雑で難しいわけです。
現地の気象情報や衛星写真、工作員が収集した情報などなど150以上もの異なる情報源を組み合わせ、高度な訓練を受けた分析官が手作業で12時間以上もかけて特定していたんだそう。だけど

MSSなら1分未満。

イランの最高指導者ハメネイ師を殺すという超高難度の作戦でさえ、MSSが分析に要した時間はわずか90分。
分析した情報量は2.3ペタバイトという膨大なもので、人間の分析チームであれば100日はかかる量だったと報道されています。

イスラエルもまた自国で開発した軍事AIをハマスなどへの攻撃に利用しており、システムの精度は「90%以上」とのこと。

この数字は褒められるもんなの?どうなの?
どちらにせよ10%は誤爆の可能性がある。
つまり無関係な人間を殺害してしまうってことですが、「人間がやるよりは間違いが少ない」とイスラエル軍は胸を張ります。その言葉から「人を殺している」という重さや逡巡は感じ取れません。

人を殺す時に、もう人間は必要ない。


いやいや。

殺す人間が要らないならね、殺される人間だって必要ないでしょうよ。アバターとかそれ的なのピッと消去して「はい戦争終わり」ってそれでいいじゃん、そういうワケにはいかんのかデジタル技術よ?って気がしますが、そうはいきません。

イスラエルが米国と共同開発したアロー3

やはりリアルなミサイルが発射されますし、やはり生身の人間が生きたまま身体を引き裂かれて死んでいきます。
そこはアナログのまま変わりがありません。

効率の追求っていうコンビニ感、
「便利」と「人殺し」が結びついている怖さ。

最前線でコンビニ化された暴力がふるわれる一方で、米国防長官ヘグセス氏がイラン攻撃寸前に防衛企業への数億円規模の投資を試みていたことや、イランとの攻防について米大統領トランプ氏がSNS投稿するたった15分前に、原油マーケットで920億円を超える「不自然な」取引があったことが報じられました。

強欲のタガが粉々です。

欲が凶悪すぎておよそ人間ばなれしてるというか。古来からある政治とカネのスキャンダルなんて枠を遥かに超えて、あまりにも暴力が剥き出しすぎやしませんかね。


廃墟の中の切ない青春物語


ここでアレックス・コックス監督の長編デビュー作を観てみます。

1984年の映画『レポマン』


見どころはなんといっても、主人公の、その背中に広がる廃墟です。

18歳の主人公、オットー自身はおそらく「まともでありたい」と願っているけど、彼が生きる1980年代のアメリカはそうじゃない。フィルムに映されているのは、暴力の嵐で焼け野原のようにぶっ壊された世界です。

画面右から左方向へ、薄汚い道を歩いていくオットーの背後には廃車ガラクタの山。
崩れて、割れて、傾いたゴミと落書きだらけの家。
道っぱたに座り込む男の服はボロボロで、頭を抱えながらどうやら泣いている。その横を目もくれず通り過ぎていくオットー。
後ろには転がる死体を淡々と片づける保健所の職員。

彼らを見ないように、何も見ないように、オットーはただひたすら歩いていく。でも世界を壊していく暴力と無関係に生きていくことはできません。

ひょんなことから彼は、借金滞納者の車を差し押さえる(というか強奪する)レポマンという仕事に就きます。
彼らに知らされるのが、超高額の賞金2万ドルをかけられた1964年型シボレー・マリブの存在。
トランクにはなんと謎の宇宙人が閉じ込められてます。
なんで?とか聞いちゃいけません。とにかく緑色に光るエイリアンがトランクに入ってるんです。


64年型マリブをめぐり、オットーたちレポマン × 宇宙人を追う国家機関 × 強盗スキンヘッダーズ × ライバルのレポマン“ロドリゲス兄弟“らがあっちこっちで取っ組みあう。

となれば痛快SFアウトローアクションの始まりかしら、と思いきやそんなことにはなりません

物語はどんどん切なさを増していきます。

オットーはレポマンたちの荒っぽいやり方にもうんざりだし、その仕事に将来も見出せません。女の子とも良い関係を築けない。

「神を否定する共産主義者と戦いましょう!」

家に帰れば両親が魂のぬけた顔で、テレビ伝道師の説法を一日中きいている。モニターを見つめたまま父親は、オットーの学資を全部教会に寄付してしまったと表情も変えず言います。

「お金はもうないよ」

くされ縁の顔なじみのスキンヘッダーズは小銭を盗んで腹を撃たれて息も絶え絶え。

「すべて社会が悪いんだ。社会が俺をこうしたんだ。これがオレたち田舎パンクの最後だ」

64年型マリブを運転する、放射性物質の研究者はオットーにこう訴える。

「中性子爆弾の発明者を知ってるか?それは人を殺すが建物は残す。目も皮膚も溶けてみんな死ぬ。そんな物を作ってると気が狂うよ」

夢の時代が来ると信じられてた80年代。効率化と合理化の名の下で、規制緩和と大量生産・大量消費、そして人々の欲望のタガを破壊する扇情的な広告の時代になった。

すべてに値段がつけられ、豊かなモノで溢れかえり、みんな要らないのに買わされ、みんなローンを組んで苦しみ、みんなが払った税金で国は核ミサイルを作り、弱い者いじめの軍事侵攻をする。

オットーは僕らと同じ。救いがありません。
オットーに残された希望は宇宙人だけ。
いよいよ最期に空を飛ぶ夢を見る、それだけが唯一の救いです。



奇跡か?逃避か?我慢か?


劇中にはイギー・ポップの楽曲が鮮烈に使われておりますが、この映画を観て連想するのはホアン・アトキンスことMODEL 500によるデトロイトテクノ・クラシック”No UFO's”です。

希望はないという
UFOはいないという
それならなぜ、おまえは高みを見るのか
やがておまえは飛ぶのを見るだろう
飛べ!

MODEL 500 ”No UFO's”

野田努氏による名著「ブラック・マシン・ミュージック」にはこの曲のテーマについて語るホアン・アトキンスの声が紹介されてます。

デトロイトには希望のかけらもない。ドラッグを売って生活する。生きるためには銃だって持たなくてはならない。そうする以外、ほかに手がないんだ。希望のない環境は人為的に生み落とされたものだ。自然発生的な過程なんかじゃない

「おれは曲の中にUFOを着陸させたかった」とアトキンスは別のインタヴューで語っているが、アトキンスがその曲で繰り返す”飛べ!”は、奇跡を願っているようでもある。絶望的状況の絶望を否定し、あり得ないことを実現したいという願いだ。

野田努「ブラック・マシン・ミュージック」より


「絶望的状況から脱け出しあり得ないことを実現する」、その思い自体は大事だと思う。希望はいつだって絶対に必要。

確かに、ホアン・アトキンス自身はデトロイトテクノのオリジネイターとして、ミュージシャンとしていわば「UFOに乗る」ことに成功しました。
とはいえ、そんな奇跡をつかめる人間はごくわずか。
奇跡は滅多に起こらないからこそ奇跡なんであって、「あり得ないこと」は99.9%あり得ないでしょう。

じゃあ、あり得ないことを実現できなかった人々はどうすりゃいいの?
UFOに乗れなかった人は、緑色に発光し宇宙へ向かって飛んでいく64年型マリブに乗りそびれた人たちには、一体何が残るんでしょう?


人為的に生み落とされたクソ世界だけ?

そう考えるとき、UFOは「救い」ではなく「逃避」になります。

「ブラック・マシン・ミュージック」によれば、”No UFO's”の曲のサビで繰り返されるFly飛べ!は「飛行」と「(ドラッグで)ぶっ飛ぶ」のダブルミーニングになっている、とのこと。

絶望的状況で使用されるドラッグもまた「救い」ではなく「逃避」です。


じゃあ選択肢は3つだ。


あり得ない奇跡に賭けるか。
逃避するか。
クソ世界に我慢し続けるか。



なにこの3択。なんなのこれ?
どれ選んだってなんも良くならないじゃん。
僕らのせい? 努力が足りないから? なんかのバツ?

いやいやいや。
この3択しかないのがおかしいでしょ。もっと別の道あるだろうよ。設計したヤツ誰よ。こんな状況に追い込んだヤツ、そいつ呼んでこい。
「人為的に希望のない環境」を作ったヤツがいんだろ。庭に転がってる汚ねぇコンクリで顔殴ってやんなきゃ気が済まねえ。

なんなのもう。やんなっちゃう。



『レポマン』の監督、アレックス・コックスはこう語ります。

俺たちはただの資本主義のブタでしかないからね。
カウボーイごっこをして遊んでいるブタだよ

ニヒルな英国人…。

しかし『レポマン』や、その後の映画『ウォーカー』や脚本として参加した『ラスベガスをやっつけろ』などの作品群の内容とセットで考えれば、自虐もふくめての皮肉でしょう。

欲望と効率が暴走する社会を批判しつつ、しかし同時にその社会から利益も享受しちゃってる自分。なんなの俺バカって自分にガッカリしつつも、俺が選んだわけじゃない、選ばされてるんだ、追い詰められてんだっていう静かな怒り。

平たく言うならふざけんじゃねえクソどもがってことでしょう。


さて次週は、軍事AIと効率化と人体実験ってことで書いてみようかと思います。
次回もどうぞよろしくお願いします。


<続>


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