#160 男は「追いたい女性」と「安心する女性」をどう使い分けているのか(前編)
この分類、実は女性のタイプの話じゃない。今日はその勘違いから解いていく。
結論。使い分けているのは女性ではなく、自分の欠乏感
多くの男性は、女性を「追いたいタイプ」と「安心するタイプ」に無意識で分けている。
ただしこれは、女性の性格や魅力の違いで決まっているわけじゃない。
多くの場合、男性自身がそのとき何を欠乏させているかによって、同じ相手でも見え方が変わる。
つまりこの分類は、女性の側の属性というより、男性の心理状態を映す鏡に近い。
視点1:「追いたい」の正体は「必要とされていない実感」
多くの男性が「追いたい」と感じるとき、その根っこにあるのは、自分がまだ相手に必要とされていないという感覚。
まだ手に入っていない、まだ選ばれていない。この欠けている実感が、追う行動そのものを生み出している。
だから「追いたい」という感情は、相手の魅力の総量ではなく、自分の中の欠乏の大きさに比例して強くなる。
面白いのは、同じ相手であっても、必要とされている実感が薄れた瞬間に、また「追いたい」対象に戻ることがあるという点。
たとえば、安定していた関係の中で、相手が急に忙しくなり連絡が減ったとき。多くの男性はこのタイミングで、急に強い「追いたい」感情を思い出す。
これは相手が魅力的になったからではなく、必要とされている実感が一時的に揺らいだから起きている。
だからこそ、追われている自覚がある人ほど気をつけたいのはここ。追わせ続けることは長期的な戦略にはならない。欠乏感が満たされた瞬間、多くの男性の中でその感情そのものが役目を終えてしまうから。
視点2:「安心する女性」を選ぶことへの、密かな後ろめたさ
多くの男性は、安心できる相手を選ぶことに、どこかで小さな引け目を感じている。
理由は、「安心=情熱がない」という思い込みが根強くあるから。
刺激的な恋愛こそが本物で、穏やかな関係は妥協の産物だという、どこかで刷り込まれたイメージ。
だから、安心する相手と一緒にいることに満足していても、「本当にこれでいいのか」という疑問が時々顔を出す。
これは相手への不満ではなく、自分の中にある「情熱神話」との折り合いの問題であることが多い。
皮肉なのは、この疑問を持ちながら過ごす日々の中でこそ、多くの男性は実際には最も安定した幸福を感じているという点。後ろめたさと満足度は、同時に存在できてしまう。
たとえば、友人から刺激的な恋愛話を聞かされたとき。多くの男性は一瞬「自分は物足りない選択をしたのでは」とよぎる。でも実際に自分の生活を振り返ると、不満はどこにも見当たらない。この矛盾こそが、安心を選んだ男性特有の内面の揺れ。
視点3:二つが入れ替わる瞬間
「追いたい」と「安心する」は、固定されたラベルではなく、状況によって入れ替わる。
一番わかりやすいのが、安心していた相手が急に自立し始めたとき。
仕事で成果を出し始めた、新しい友人関係が増えた、一人の時間を楽しめるようになった。こうした変化を目にした瞬間、多くの男性の中で、安心の対象が急に追いたい対象へと引き戻される。
これは相手が変わったからというより、「いつでも手に入る」という前提が崩れたことで、欠乏感が再び生まれたから。
逆のパターンもある。追いかけていた相手が、ようやく振り向いてくれた瞬間。多くの男性の中で、追いたい感情は急速に薄れ、安心の感情に置き換わっていく。
この入れ替わりの速さには個人差がある。欠乏感がすぐに満たされて安心に切り替わる人もいれば、手に入れたあとも「本当にこれでいいのか」と追う感覚を引きずる人もいる。この違いは、相手の魅力ではなく、その人自身が欠乏をどう処理する癖を持っているかによるところが大きい。
ここまでの話に共通すること
3つの視点に共通するのは、追いたいか安心するかは、女性側の魅力の差ではなく、男性自身の欠乏状態が生み出す一時的な感情の色合いだということ。
だから、同じ相手が状況次第で両方の顔を持つことは、決して珍しいことではない。
自分が今どちらとして見られているかを気にするより、相手がどんな欠乏を抱えているかに目を向けたほうが、実はずっと本質に近づける。
実はこの続きがあります。
続きでは ・「安心する女性」が突然「追いたい女性」に変わる、具体的なきっかけ ・両方の役割を無意識に使い分けている女性がやっていること ・追うことに疲れた男性が、最終的に選ぶ相手のタイプ を詳しく解説します。
#161 男は「追いたい女性」と「安心する女性」をどう使い分けているのか(後編) をご覧ください。
