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施術家はカリスマじゃないとダメですか?第七話

私はドアの前で動けなくなっていた。
手に持っているペットボトルのお茶を落とさないように、神経を集中させる。
心臓の音がうるさい。
ここに居る事がバレそうで怖い。

でもなぜか動けない。
そう、このお茶を持って入るという監督からのミッションがあるから。
私は入ることも、逃げることも出来ず、
ただただ部室の前で息を殺していた。

ドアの向こうでは、キャプテンのすすり泣く声が聞こえる。

高校一年生の秋。
その年の我が校のサッカー部は、まれに見る強さを誇っていた。
もしかして全国もあり得る?
そんな淡い期待も持ってしまうようなチームだった。

マネージャーとして入った私も、気持ちが昂ぶっていた。

そんなある日、監督がトレーナーの先生を連れて来た。
公立高校にトレーナーの先生なんて聞いた事がなかった。
強豪校では試合の合間でもトレーナーの先生がケアをしてくれる。
そんな話は聞いた事があったが、生でトレーナーの先生を見るのはこの時が初めてだった。

監督と友人だというその先生は、Jリーガーのケアも担当されているそうで、それを聞いた部員たちから「おぉぉぉ。」と低い歓喜の声が漏れた。

「という訳で、オレのコネで来てくれた荒木先生だ。
言っておくが、’オレ’のコネだからな。」

オレの手柄だと自慢げな監督の横で、荒木先生が微笑む。

「どうも!飲み会で皆の監督に懇願されてやってきた荒木です。来たからには、しっかり仕事はさせてもらいます。よろしくな。」

後で聞いた話、監督と荒木先生は高校時代のサッカー部の友人らしい。
仲のいい二人を見て、卒業しても仲の良いチームメイトって素敵だな。
私たちもそうありたいな。
そんな風に思った。

その後、練習が始まると、監督がキャプテンを呼んで、荒木先生とキャプテンが部室に消えた。

監督は何も言わなかった。
でも、皆薄々気が付いていた。

キャプテンは、最近足を庇うようなプレーをすることがあった。
「何でも無い、大丈夫」
私たちにはそれしか言わなかった。
練習を休むこともなかった。

大切な試合が来週末に控えている。

キャプテンと’おしどりカップル’のマネージャーの先輩は、
「あいつは頑固だから。私が言っても聞かないの。」
困った顔でそれしか教えてくれなかった。

私たちは、キャプテンがいつ戦線離脱するか恐れていた。

’キャプテンは大丈夫だろう。’
根拠の無い思い込みで私たちは平和ボケしていた。
先週の試合の最中、突然キャプテンが足の痛みを訴え、試合を抜けた。

そんな事は初めてだった。
キャプテンの青ざめた顔を思い出す。

それでもキャプテンは翌日からの練習を休まなかった。
不穏な空気の中、現れたのがトレーナーの荒木先生だった。

トレーナーが何をしてくれるのか、当時の私は分からなかったが、とにかく救世主のように思えた。

「おーい!だれか、これを部室の荒木に持ってってくれ。」
ペットボトルのお茶を手に、監督から言われ、一番下っ端の私に白羽の矢が立った。

そして部室に向うと、ドアの向こうからキャプテンのすすり泣く声が聞こえてきたのだ。

絶対に聞いてはいけないものを聞いてしまった。
絶対にこのドアは開けてはいけない。
でも、このお茶も渡さなければならない。

普段使わない頭をフル回転させて、どうするのが正解を考えていると、ドアの向こうから荒木先生の声が聞こえてきた。

「よく頑張ったな!お前、本当にすごいよ。キャプテンだもんな、お前が皆を引っ張らないとだもんな。」

「うぅぅっ、うっ。」

「でもさ、やりたい気持ちも、負けられない気持ちも分かるけどさ、このままだったら勝てる試合も勝てないって分かってんだろ?」

「うっ…」

「ほれ、これでどうだ?」

「あっ!すげっ、動きます。いけます。」

「そうだろ。でもな、ここでいっちゃうと、お前もう動けなくなるよ。
休むことも練習だ。」

「でも。」

「だよな。休めないよな。でもな、時間は作れ。
ここの整骨院で見てやるから、ここに通って。それなら練習していいよ。ただし、練習時間は短くなる。でも、お前今まで頑張ってきたんだろ?じゃあ少しくらい大丈夫だ。任せとけ。これ、監督命令でもあるならな。出たいだろ?試合。」

「はい。」

お茶を落としそうになる。
手が震える。
すごい。
あんなに頑なに弱音を吐かないキャプテンなのに。
すごい。
トレーナーってすごい!!

感動したまま、一息ついてドアをノックする。

「失礼します。」

ドアを開けると、すすり泣いていたのはキャプテンではなく母だった。
退院したての幼い弟を抱いて、ミルクをあげる背中は震えている。
声を殺して泣いている。

私に気が付き、振り返った母の目に涙が溢れている。
無理に作った笑顔は引きつっていた。
それでもその笑顔は優しかった。
私を見つめ
「ごめんね、起こしちゃったね。」
そう、ささやく母。

私はなぜかお茶を渡さないとと焦って手元を見る。
お茶がない。
今まで待ってたのに。
でも仕方ないか。
小さな私の手では、あのお茶は重いんだ。
落としてしまうのも仕方ない。
焦りと諦めの気持ちが入り混じる。

そうだ、きっとドアの外に落としたんだ。

そう思い振り返る。

ドアの外は快晴のグラウンド。
乾燥した空気にどこまでも伸びる太陽の光。
何も邪魔する物がないかのような澄んだ空気の中を、

ピーッ

ホイッスルが鳴り響く。
どこまでも伸びるこの音が憎らしい。

分かった。分かったから止めてくれ。

それは決勝戦。
強豪校との試合。一点差まで詰め寄った私たちのチーム。
でも届かなかった。
あと一点。

試合終了のホイッスル。

もう終わり。

その現実を突きつけてくる音が響き渡り、苛立つ。

「分かってるって言ってるでしょ!!」

ピピピピピ

鳴っていたのは朝のアラーム。
自分の声で目が覚めたのは久しぶりだった。
飛び起きた途端、身体が汗だくなことに気がつく。
慌ててアラームを消す。

静かに扇風機が首を振っている。
一定のリズムで振られる首は、
やれやれと言っているようで恥ずかしい。

今までアラームよりも先に目が覚める習慣が身についていた。
早朝出勤も慣れたもの。
最近は朝が辛い。

年かな。
いや、深夜までのスマホのせいだ。

部屋中の空気がむわっとしている。

重い体を持ち上げて、着替える。
汗だくの服を脱ぐと、心なしか気持ちが変わる。

リビングに行くと既に朝食を作り終えた母がクーラーの下でコーヒーを飲んでいた。

「あらっ楓おはよう!」
今日も機嫌がいい。

「おはよう。」
努めて笑顔で返す。
すすり泣く母の背中を思い出し、複雑な気持ちになる。

鍋に水を入れてコンロにかける。
朝は白湯を飲むことにしている。
暑い日こそ、白湯に限る。

鍋に入った水を見ながら思い出す。

弟は未熟児だった。
寒くなったら会えるよと聞いていた弟は、まだ寒くなる前の落ち葉の季節にやってきた。

その日はいつも迎えにくる母が来なかった。
近所に住んでいた幼馴染のミカちゃんのお母さんが
「今日は特別にうちでパーティしましょ」と言って、ミカちゃんのお家に連れて帰ってくれた。
本当にパーティみたいに大好きなサンドイッチや唐揚げを食べて、ミカちゃんと一緒にお風呂に入った。

私、ミカちゃんの家の子になるのかな。
楽しい反面、すごくすごく不安だった。

父が迎えに来たのは夜だった。
眠い目をこすりながら、父に抱っこされて私は眠った。
良かった家に帰れる。
安心したら眠ることが出来た。

それから母はしばらく帰らず、父とおばあちゃんとの生活だった。
しばらくして母が帰ってきたが、弟が帰ってきたのはもっと後だった。

当時のことはあまり記憶がないが、弟が初めて我が家に来た時、小さくて可愛い手が印象的だった。

弟はありがたいことに、その後特に問題なく、小柄だけど順調に育った。
風邪やアレルギーのオンパレードだった弟はいつも鼻水を垂らし、目や耳を痒がった。

肌も乾燥しがちだったから、夜はベトベトにクリームを塗られていた。
ついでだろうか、私も夜はベトベトにクリームを塗られ、ヌルヌルの手で弟と相撲をして転び合って遊んでいた。

「お母さん奏太に何でも食べさせてたね。」
ふいに思い出す。

「ポテトチップとかさ、あれだけアレルギー三昧の子だったら、添加物とか気にしそうなのに。」

母は、食事に関して制限をしない人だった。
何でも欲しがるがままに食べていた記憶がある。

「ええ!楓覚えてないの!?」

コーヒーを飲み終え、朝食を用意しながら母は心底驚いたように話す。

「楓は全然食べない子だったのよ。苦労して作った離乳食は投げつける。お菓子すら拒否。あっ、でもお肉だけは食べてたわね。」

「えっ、そうだったの?」

「そうよー。でも奏太は驚くほどよく食べる子だったのよ。
目を離すと楓のごはんまで食べちゃうようなね。
あの子小さかったでしょ?
産まれた時、本当に死んじゃうんじゃないかと覚悟したわ。
生きてるだけでいい。生きてる時間はめいいっぱい楽しんで欲しい。
そう思った。
そしたらさ、大きくなるにつれ、よく食べるのよ。
食べてる顔が本当に幸せそうでね。
でね、楓ったら、奏太と一緒なら何でも食べるようになったのよ。
苦手だった野菜もご飯も食べてくれるようになった。

もちろん知識として添加物とか、何とかとか?知ってるわよお母さんだって。
ママ友からも色々教えてもらったしね。
でもなんかね、幸せそうに食べる二人を見てたらね、食べるって幸せなんだなーと思って。
この子達を幸せにしてくれる食べ物との出会いを、私が勝手に判断して、これはいいとか、これはダメとか言っちゃ駄目な気がしたのよねー。」

「まぁ、うちお母さんの手作り多かったもんね。良くやってたと思うよ。」

「そりゃあんた、便利な物はあるのよ、でもね、作るのも楽しいのよ。
良い香りがしてくると、寄ってくるのよ奏太。
やる気出るじゃない?

楓にはかわいそうなことしたと思ってるの。
食べないから何とか食べて欲しくてキツく言ってしまったことも多かったから。奏太はきっと、それじゃダメ。食べるのは幸せなのって教えに産まれてきてくれたのねー。」

「一人暮らしして、好きな物しか食べずに太ってたら怖いね。」

「大丈夫よー。花音ちゃんが栄養士さんだもの。良い子捕まえたわあの子。」

花音ちゃんは弟奏太の同棲中の彼女だ。


お白湯をゆっくり飲む。
汗をかいて乾いた身体に染み渡る。
表面は湿気で濡れていても、案外喉は乾くものだ。

奏太が生まれてから半年ほど、母は泣いてばかりだった。
あの頃の記憶が曖昧だ。
きっと、私自身辛い時期なんだろう。

ある日父に連れられて、駅前のデパートに行った。
母と弟は家に居て、父とのお出かけだった。

弟が生まれてから父と出かけることが多かった。
正直楽しくはなかった。
あまり話をしない父に、子どもながら気を使っていたのか、無邪気に甘えることは出来なかった。
父は厳しかったように思う。
特にマナーには厳しかった。
良く注意されてたっけ。

そんな父に連れられてデパートに行った。
デパートの地下には沢山の美味しそうな食事が売られていた。
私はそんなに食べたいとは思わなかったが、大人達がたくさん買っているのを見て、’皆そんなに食べるんだな’と思った記憶がある。

父はその一角にある’たい焼き屋’さんでたい焼きを買った。

帰りに公園に寄った。
デパートよりも公園の方がはるかに楽しかった。
ひとしきり遊んだ後、ベンチに座る父に呼ばれ横に座る。

「秘密な」
そう言って、たい焼きを半分私にくれた。
あんこが沢山入っている方。

汚れた手でお菓子を食べるのは初めてだった。

「お母さんに叱られちゃうね。」
そう言う私の頭を父は撫でてくれた。

帰ってから、母にもたい焼きをあげた。
母はまた泣いて喜んだ。

それから、母が元気がないときは、たい焼きをプレゼントするという習慣が出来た。

今では自分の機嫌は自分で取る!と豪語する母だけど、
たまに無口になる時がある。
そんな時はたい焼きを買ってくる。

「楓、今からお母さん、とぉーっても良いこと言うから覚えておいて!
いい?
これから長ーい人生の中で、何を食べても味気ない、何も食べる気がしない。
そんな日が来ると思うの。
そしたらね、何でもいい。
美味しいと思える物を探しなさい。
身体にいいもの、わるいもの、そんな基準じゃ無くて良い。
何でもいいの。
とにかく’美味しい!’そう思えるものはないか探しなさい。
もし見つからなかったら、すぐに帰ってきなさい。
お母さんが色々作ってあげるから。

人生悪いことも起こるわよ、あなた。
どん底かな、なんて落ち込む日も1日2日じゃない。
でもね、食べ物を美味しいと思えたら大丈夫。
いい?
覚えておいて。」

熱弁する母を見て笑ってしまう。
お出汁のきいた味噌汁と、ご飯と納豆。

私はきっと元気が無いときでも、お母さんの朝ご飯なら食べれるかも。
そう思った。

院が閉まることを私は両親に話せていない。
出来れば話さず、次を見つけて安定してから、「実は・・・。」と話をしたいと思っている。

「会社都合による離職だから、失業保険も出るし、ゆっくり次を探したら?

転職活動に焦る私を見て、そう山之上さんにも言われた。

でも、鍼灸師は技術職だ。
患者様に施術出来ない時間の分だけ、自分の技術が落ちていく気がして怖い。
息をするように施術が出来るほどの先生なら別かも知れないが、私はまだ3年目。
使わないと、きっと腕は落ちる。

それに、やはり、母に心配をかけたくない。

泣いている母の後ろ姿が蘇る。

今の母は強い。
きっと私がどのような状況にあっても、心配よりも、笑って大丈夫だと言ってくれると思う。
でもそこにも甘えたくない。

「楓はしっかり育てなきゃって、キツく言い過ぎたわよねー。
お母さんなんて、いい加減な人間なのに偉そうにねー。
こんなに良い子に育ってくれてお母さん、超ハッピーよー。
でも、頑張り過ぎて身体壊しちゃだめよ。」

歌うように話をする母。

震える背中を思い出す。
乗り越えた母は強い。
乗り越えた私たち家族は強い。

私はきっと施術家になって、誰かの悩みを解決したいのではなくて、
悩みを抱えて、自分を否定してしまっている人の心をほぐしたいと思ったのかもしれない。

痛いと言えないキャプテン。
こんな母親でごめんねと自分を責める母。

きっと私は心の中で、
「そんなことない!あなたは十分頑張ってる!
自分を認めてあげて!」

そう言いたかったんだろう。


’大丈夫’
仲間にも、恋人にも、監督にも。
大丈夫としか言わなかったキャプテンが泣いた。
きっと足が楽になった喜びからじゃない。
身体を整え、心をほぐしたから出た涙だったんだ。
そんなことを成し遂げたトレーナーの荒木先生を目の当たりにして、衝撃が走ったんだ。

キャプテンの足を治したことではなく、
心までほぐした荒木先生に感動した。
トレーナーという仕事仕事に感動した。

きっと私は、泣いている母に何も出来ない自分が嫌だったんだ。

ここが私の原点か。

何かをつかみかけているようで、つかみきれない。
自分の気持ちがまとまるようで、まとまらない。

「さぁ!食べましょう!!」

元気な母の声で我に返る。

今はまず食べよう。

この仕事は体力勝負。
大丈夫。今日もお腹は空いている。





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