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「ごはんですよ!」の恋物語



「ごはんですよ!」の恋物語 第1章

ホームセンターに出かけたついでに、隣接するスーパーに寄ってみたのです。馴染みの場所とは違う店を覗くのは面白いものです。

ぷらぷらと店内を歩いていると、乳母車を押した30代ぐらいの夫婦が目の前を横切りました。奥さんは乳母車を押して、ダンナさんが後を追うように歩いています。

ダンナさんは「『ごはんですよ!』を買わなきゃね」と奥さんに話しかけていますが、奥さんはダンナさんに振り向くこともなく、完全な無視を決め込んでいました。あきらかに主従関係ができているのです。

メガネをずらかしたキャラクターでお馴染みの『ごはんですよ!』は、桃屋の海苔の佃煮。正式な名前は『江戸むらさき ごはんですよ!』です。

ダンナさんは、なおもしつこく「『ごはんですよ!』買おうよ。ねぇ」と食い下がっています。でも、奥さんはやはり無言のまま、何も聞こえていないかのようにスタスタと歩いていきました。

「『ごはんですよ!』…買おうよ…」と、弱々しくダンナさんの声がリピートしていました。

一旦は私の視界から消えた夫婦でしたが、やがてダンナさんだけが戻ってきて、『ごはんですよ!』が並んでいる棚の前を陣取りました。

ダンナさんは、今度は、棚から別の会社の海苔佃煮を手にとって、ラベルを眺めてはまた戻しています。時折、『ごはんですよ!』の瓶も手にとって眺めています。

奥さんから、「安いものなら、ひとつだけ買ってもいいわよ」とお許しが出たのかもしれません。海苔の佃煮を選ぶ、その真摯な姿には少し胸を打たれるものがありました。

それから私はひとしきり店内を回って、さて帰ろうかとレジの方に向かいました。その途中で、さっきの棚が目に入りました。そこでは、あのダンナさんが、まだ海苔の佃煮を棚から出したり戻したりしていたのです。

あんなに『ごはんですよ!』に執着していたくせに、今は、他社の海苔の佃煮を買うことに迷っているダンナさん。

ふいに私の涙腺が緩みました。

「ここに500円玉があるから、『ごはんですよ!』を買いなよ! あげますから。もう迷わなくていいから!」…そんな言葉と共に、彼に500円玉を握らせたい衝動に駆られました。

もちろんそんなことをすれば、ダンナさんのプライドはいたく傷つくことでしょう。だから私にできることは、せいぜい彼の勇気を後押しするぐらいしかないのです。

私は棚に歩み寄ると、ダンナさんの隣に立って『ごはんですよ!』の瓶を手に取りました。

あとは小声で「やっぱり『ごはんですよ!』だよな」と、ダンナさんに聞こえる程度の独り言をつぶやいて、彼の背中を押してあげればいいのです。ふたたび、奥さんにお願いできるように。

私がその言葉を口にするのと、ダンナさんがちょうど通りがかった奥さんの買い物カゴに、手にしていた他社の海苔の佃煮瓶を放り込むのは同時でした。

まるでスローモーションのような光景でした。私の言葉を耳にして、一瞬、後悔の表情を浮かべるダンナさん。彼の視線は弱々しく宙を泳いで棚に並ぶ『ごはんですよ!』に注がれています。そして、そんな彼に目もくれないで何事もないかのようにスタスタと歩いていく奥さん。

もう、買い物カゴに入った佃煮を『ごはんですよ!』に交換することは無理です。ダンナさんは未練を背中に漂わせながら、よろよろと奥さんの後に続いていきました。

「さようなら、ダンナさん」…私が手にした『ごはんですよ!』が、そうささやいたような気がしました。

ダンナさんの心に後悔があふれています。もう彼の食卓に『ごはんですよ!』が並ぶことはありません。

少し感傷的な気分になった私は、『ごはんですよ!』を握ったままレジへと歩き出しました。心の中でそっと「オレがいるから…」と、『ごはんですよ!』に話しかけながら…。

あれから2週間。

『ごはんですよ!』は、一口食べただけで冷蔵庫に眠ったままです。


「ごはんですよ!」の恋物語 第2章

好きにならなくちゃ。『ごはんですよ!』を好きにならなくちゃ…。

冷蔵庫の中で寂しそうにじっとしている『ごはんですよ!』。私はその姿を見るたびに罪の意識を感じていました。

『ごはんですよ!』をここに連れてきたのは私です。心の隙間を垣間見た気になって、まるで寂しさに同調するかのように私はあの時、行動を起こしていました。

でも自分の家に連れてきたくせに、私はずっと『ごはんですよ!』を放っておいたままにしていたんです。綺麗ごとを言うつもりはありません。私は好きな気持ちもないくせに、カネで『ごはんですよ!』を手に入れてしまったんです。

それは男として、いや人として許されることだったのでしょうか。私は自分が汚れた人間のような気がして悲しくなりました。確かにたいていのモノはカネで買うことができます。カネで買える”愛”だってあるでしょう。でも何でもカネで買えるなんて思い上がりでしかありません。

まるでお見合い相手の釣書(プロフィール)を読み返すように、私はラベルの裏を何度もなぞりました。

青のり(ヒトエグサ)の葉の形状を活かす為に、“あさ炊き製法”を採用し、「江戸むらさき」より短い時間で仕上げた『ごはんですよ!』。トロリとした食感の中にのりの風味が活き、鰹と帆立の旨み豊かなのり佃煮。のりは主に伊勢湾周辺で収穫された国産を使用…。

でも、そんな肩書きがなんだというのでしょう。私はそんなことに惹かれたわけではありません。だったらなぜ? もし本気で『ごはんですよ!』を思う気持ちがあったなら、海苔の養殖から見学するぐらいの覚悟をもっているべきだったのかもしれません。

私は冷蔵庫から『ごはんですよ!』の瓶をそっと出しました。『ごはんですよ!』は抵抗する素振りも見せず、為すがままにテーブルの上に置かれて身動きひとつしません。

私も、『ごはんですよ!』も、無言のままでした。

私は炊飯器からホカホカのご飯をしゃもじですくって、お茶碗に盛りました。そして、『ごはんですよ!』を手にとると、蓋を…蓋を開けたのです。

ごはんの上に『ごはんですよ!』をのせました。

豆が入ったご飯を「豆ご飯」というならば、この状態は「ごはんですよごはん」と呼ぶのかもしれません。

でも、そんな状況にあっても、私は心のどこかで、昔好きだった「のりたま」のことを考えていたのです。


「ごはんですよ!」の恋物語 第3章

もし、心を自分の意志で自由に変えることができたなら、もっと楽に生きることができるでしょうか…。

私と『ごはんですよ!』の奇妙な関係は続いていました。同じ場所に居ながらも互いに無言のまま流れていく時間。でも、気づかぬほど少しづつ私と『ごはんですよ!』の関係は終わろうとしていました。

ある日のことです。『ごはんですよ!』の瓶に入れたスプーンが、カツンと音をたてて瓶の底にあたりました。

それは運命という名の歯車が軋む音だったのかもしれません。それからしばらくして、『ごはんですよ!』の瓶は空っぽになりました…。

そのときの気持ちをどう表せばいいでしょうか。悲しい?…いいえ、私は最後まで『ごはんですよ!』を好きになることはできませんでした。

正直に言ってしまえば、もう食べなくてすむと思うと、ホッとしたような気さえしていたのです。私は自分でも驚くほど冷静な気持ちでした。

もう私の家に『ごはんですよ!』の姿はありません。冷蔵庫にも、リビングのソファにも寝室にも、バスルームにも、『ごはんですよ!』の姿はないのです。

それから一週間が過ぎました。すべては『ごはんですよ!』を連れ帰る前の状態に戻りました。

でも私は帰宅して冷蔵庫を開けるとき、「もしかしたら、『ごはんですよ!』が残っているかも…」と、そんなことを思ってしまう自分に気がついたのです。

その気持ちに気づいたとき、私の足は自然とスーパーに向かっていました。『ごはんですよ!』と出会ったあの棚に…。私は自分自身の気持ちさえ理解できないままに行動していました。

総菜コーナーを抜けるとあの棚です。自分の心臓が高鳴っていくのがわかります。不意に視界が開けると、そこには幻想的な光景が広がっていました。

『ごはんですよ!』が何個も…、何個も棚に並んでいます。

私は棚の前に立ちました。一番手前の『ごはんですよ!』を手にとって眺めます。でも、違う…。

次の『ごはんですよ!』も、その次の『ごはんですよ!』も違います。私が共に暮らした『ごはんですよ!』はたったひとつだけです。

たとえ桃屋のラベルが貼ってあっても、こんな『ごはんですよ!』は『ごはんですよ!』じゃない。

『ごはんですよ!』を手にとって悩む私の姿は、あの日の”ダンナさん”の姿に重なるかのようでした。もしかしたら、あの時、”ダンナさん”も共に過ごした『ごはんですよ!』を探していたのかもしれません。

”ダンナさん”は苦悩した末に、別の海苔佃煮を選んでいました。でも、私は『ごはんですよ!』とよく似た誰かと、新しい生活を始めようという気にはなれませんでした。

『ごはんですよ!』でごはんを食べる生活はもう終わったのです。もう変わらなくちゃ。終わりは終わりなのですから。

私は無理にでも気持ちを切り替える必要があると思いました。今日は気分を切り替えて、パァッといこう!

私は隣の棚から「のりたま」を手に取ると、家に帰ってパァッとごはんに振りかけました。

-完-


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ケイメイ 最後までお読みいただきありがとうございました。チップしちゃおうかなと思ったら、迷わなくていいんです。私がそっと背中を押しますからね!

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