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読み手の感情を操る「括弧文字」の効果を試してみる

今さら「括弧文字」の話?と思うかもしれないけれど、文のあとに「(笑)」をつける「かっこわらい」は、ネットの遥か以前に生まれた面白い発明だと思う。

漢字と括弧という「文字」の組み合わせだけで、書き手の様子を表す技法。まるで脚本のト書きのような役割を、この組み合わせに忍ばせている。

インタビュー記事などでは、「かっこわらい」があるだけで、インタビューの様子が自然とイメージされる。エッセイにおいても同じだ。例えば、こんな感じ。

「子供の頃、お菓子の戸棚の中には、ゴーフルの缶が積み重なっていた。それしかなかった。ゴーフルはおやつの王様と言われるけど、王様だけが何人もいる(笑)。ゴーフルは美味しいけれど、好きというほどではないし、違うお菓子だって食べたい。戸棚を開けて、ゴーフル缶しかないと絶望感が湧きあがった(笑)」


最後に“(笑)“がつくだけで、なんとなくほっこり感がある。ネット時代になってからは、書き手の主観を表現する手法として馴染まれているけれど、たまに「かっこわらい」を使い過ぎて、微笑ましい様子どころか、文面に干渉をみせはじめて、狂ったようになっている文もある。

「子供の頃、お菓子の戸棚の中には(笑)、ゴーフルの缶が積み重なっていた(笑)。それしかなかった(笑)。ゴーフルはおやつの王様と言われるけど、王様だけが何人もいる(笑)。ゴーフルは美味しいけれど、好きというほどではないし(笑)、違うお菓子だって食べたい(笑)。戸棚を開けて、ゴーフル缶しかないと絶望感が湧きあがった(笑)」

クスリでもやっているのだろうか? かなりイライラする。そこら辺のモノでもいいから殴りたくなる。もっとも、この文が「イライラさせること」を目的としたものなら、それは十分に効果を発揮している。

会話の中で自然に生まれる「笑い」の表情は、誰もがほぼ同じイメージをもっている。だから、「かっこわらい」が成立している。

「(泣)」を使った文もあるけれど、会話の途中で泣く様子は、ひとつのイメージに集約されるものではないから、それほど見かけないし。見かけても「泣く」感覚が、自分のイメージとシンクロしないから嘘くさく感じてしまう。

だが、ここで立ち止まって考えてみる。「かっこわらい」の使い方には、まだその先にいける可能性があるのではないか。この手法は、遡れば明治時代の雑誌で使用されていたことが確認されている。そこから時が経った分だけの進化はあるのだろうか。

括弧の中の文字のバリエーションには、「笑」や「泣」、「怒」などがある。しかし、表現を漢字一文字という漢文化に閉じ込める理由はない。私たちは普段から「漢字」と「かな」を自然に使いこなしている。これを活用すれば、文字が持つポテンシャルをもっと引き出せるはずだ。

例えば、悲しくなるような言葉をさりげなく括弧の中に埋め込んでいったらどうだろう? それはサブリミナルのように読み手の心に気づかぬうちに染み込み、どんな文章であっても、悲しみで読み手の心を覆いつくすことができるのではないだろうか。そのはずだ。

そこで、その効果を試すために、先ほどの文章に悲しみを打ち込んでみよう。

「子供の頃、お菓子の戸棚の中には、ゴーフルの缶が積み重なっていた(大泣)。それしかなかった(蜂に刺された)。ゴーフルはおやつの王様と言われるけど(財布落とした)、王様だけが何人もいる(犬に噛まれた)。ゴーフルは美味しいけれど(脱臼した)、好きというほどではないし(ポチが死んだ)、違うお菓子だって食べたい(手がぶらぶらです)。戸棚を開けて、ゴーフル缶しかないと絶望感が湧きあがった(首がもげた)」

悲しくなりましたでしょうか?(時間ムダにした)


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