孤独の罠と、忠実な供としての「表現」
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

孤独はどんな音がしますか? オフェリー・ガイヤールの『バッハ「無伴奏チェロ組曲第1番」プレリュード』は、私のイメージする孤独の静謐と似ています。また、三好達治の「雪」のように、それぞれが別々の孤独を抱くように、思えます。
音楽は言語を用いずにイメージを共有出来ますし、詩は考え抜かれた抽象度の高い言葉を共有することで、それぞれの思考の補助線になります。
差別は無知から生まれます。愛の反対は憎しみではなくて無関心だという言葉が私は好きです。人の悪意はどこから来るのでしょうか? いろんな理由があるはずですが、私は孤独との関わり方により、悪意へ至ると信じています。
具体的には、孤独との関わりがうまくいかないときに、自分か自分以外に「矢印」が向く人々が現れると想定できます。自分を傷つけることも、自分以外を傷つけることも、望ましくありません。悪意については、片田珠美医師の『拡大自殺 大量殺人・自爆テロ・無理心中 (角川選書)』を、例に挙げます。
孤独につける薬はないのでしょうか? 私はあると考えます。それは誰かと話すことでもいいですし、物事を表現することでもいいと思います。
「表現」は考えるほど、大きな概念です。私たちは一生を通じ、プライベート、学業に専念する時期、勤務する時間、あるいは眠ってみる夢も表現の一つにカウントするのであれば、脳を休めている時でさえ、表現する可能性があります。言い換えると、仮に歳を重ねてベッドから起き上がれず、介護が必要になった日も、私達のそばに「表現」は残るはずです。『西遊記』の三蔵法師と、弟子の孫悟空・猪八戒・沙悟浄を、私は連想しました。
私達は、それぞれが別々の孤独を抱きます。三好達治の『雪』のように。おそらく最後まで残る「表現」を手に、私たちは孤独に対峙し、理解し、そしてそれを自分の内に包括し、愉快に共生出来るようになります。たった一度の人生なのに、誰もがそれぞれ孤独を抱えることの深淵から、私はユーモアと謙虚さと共感する姿勢を、引き出しています。
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