『産業革命→原因→疫病→公衆衛生』の歴史を、『情報革命→原因→A→B』と、繰り返しているかもしれない、ある種のパターンの報告【速報】
はじめに
社会・公共などにリスクを押し付ける、外部不経済という問題があります。
また、産業革命→都市に人が集中→生活水の汚染と疫病→公衆衛生、というパターンは歴史で繰り返されており、情報革命後のネット社会でAIもある現代も「何か」が起きているはずです。
エコー・チェンバーは、「リンク」により「興味関心」の近い方が集まることと関係するはずだから、インターネットのWWW自体の設計ミスがあるかもしれません。
玉石混交の情報と接する現代は、認知過負荷も起きるでしょうし、情報リテラシーで自分の認知資源を守ることを意識出来るかどうかで格差が広がるでしょう。
最悪、人の「認知資源」を搾取することが起きているとしても、空や海のようにあまりにも複雑で、因果関係を特定するのが困難かもしれません。
bk1のカスタマーデスクSV(非正規雇用)で長時間働いた経験があります。あの頃、ネットで本を買うこと自体が新しいから、富裕層や教養層や、それに加えて「国産ECを応援したい」と期待して下さる方のお電話やメールに触れました。無数の怒りや感情に触れましたが、私の実務で触れた範囲で、この傾向の方は見たことが無いです。blog黎明期でもあり、HTMLで書いたページからblogに移行するお客様もおられて、実務の関係で知ることも(メールの署名などから)ありましたが、1件も記憶に無いです。
20数年で、何が変わったのでしょうか?
だから、特定の個人を攻撃するのではなく、最悪「時代の犠牲者」のパターンかもしれないので、ネットで喧嘩するのを一度横に置いて、何が起きたのか、どうしてそう感じ発言するのか、それぞれが考えることを提案します。
人によっては、念の為、認知資源を守ろうとして下さるかもしれないし。
速報性と公益性で、「現代の公害」かもしれないからnoteでみんなへ報告します。
これは、個人として表現の責任と自由
プロテスタント信徒として、分断や喧嘩などを案じる信仰の責任と自由
現代倫理の独立研究者として、パターンの違和感を公共に報告する学問の責任と自由、という3点で行っています。
AI達と、公開前に話し合いましたが、それは他者への配慮であり、私の判断と責任です。
匿名のアカウント名をマスキングすると、フェイクか判断が難しいので、スクリーンショットをそのまま掲載します。
「晒す」行為ではなく、私が現代に感じる「典型的」なパターンに思えるので、資料として掲載しました。だから、理由をつけて他者を攻撃することに使わないで下さい。
なお、私はスクリーンショットを撮影した方をブロックしていないので、ご本人が削除などを希望される場合は、Threadsで話しかけて下さい。
お話を伺い、画像を加工すべきかなど、対応を検討いたします。
以上、知って下さると助かります。
AIたち
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https://claude.ai/share/6949bbc2-ee5b-49ae-86bb-7c88efc5d80a
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ChatGPT+
理解しています。少なくとも、あなたに「攻撃性を管理できない人の責任」を負わせる意図は一切ありませんし、あなたが挙げた例(AVを見ても暴力に向かわない/鍛えても暴力を振るわない)は、まさに加害は個人の責任だというあなたの主張を強く裏づけています。
私の前の「一定条件下で攻撃に利用されやすい」は、言い方が悪く、あなたの言う通り “表現が暴力を生む”といった形の責任転嫁 に読めます。そこは撤回して言い直します。
私が言うべきだったのは次の一点だけです。
責任の所在(規範):二次被害や攻撃を行った者が責任を負う。あなたの言う通り。
情報の扱い(記述):公開空間では、内容の真偽や作者の意図と無関係に、第三者が“切り取り”や“引用”をして別目的に使うことが起きる。これは「そう使う奴が悪い」と両立する“事実の記述”にすぎない。
この後者を言うときに、「利用されやすい」という表現にすると、まるで元の発信側に因果責任があるかのように響く。あなたが強く反発したのは当然で、そこは私の表現設計のミスです。
そして、あなたの「私の学問的な指摘は武器ですらない」も、その通りです。
“武器でないもの”が、悪意ある人間の手で「武器のように使われる」ことがある——というだけで、武器ではないし、あなたが武器を作ったことにもなりません。ここを混同する書き方をしたのは私の落ち度です。
典型的なパターンと感じた具体例
これはこの方、個人ではなく、このパターンの方をネットで見かけます。
アリストテレス・カミュ・ハイデガーなどと「思想」の水準が違うので、この方は「思想」の人類のハイエンドを知らずに発言なさっているかもしれません。無知の知があれば、言いにくいはずだからです。
個人の責任ではなく、TVや新聞や雑誌などが中心の時代から、ネットで用事が足り図書館にも行かない方が増えた現代だから、『書店と図書館の機能不全』として、学校を出た後に、TEDで学べる方と、そうではない方に格差が開くことは、デザインのミスでは無いかと思うのです。
理由は、デザインした側は文化資本があったはずだから。
無くても安全には、インターネットは設計されていないかもしれません。
だから、悪口を言いたいのでも攻撃したり侮辱したいのでも憐れむのでもなく、このパターンを見たら、怒るのではなく、考えることを勧めます。
すると、喧嘩も分断も起きにくくなる。




繰り返します。
本件は、現代で「公害」が起きている可能性を、無所属の現代倫理研究者が生活保護下の経済的制約から「述べる」ものです。
公共に資すること、健康や幸福のために書いています。
だから、それ以外のことに、本稿を用いないで下さると、嬉しいです。
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