窓の外の景色が動くように感じること。実際は自分が移動していることは理解していても、子ども心に不思議だった。車は進行方向も視界に入るが、電車は先頭車両でなければ側面しか見えないから異なるのかもしれない。

1980年代、父に連れられて横浜の書店へ行ったことがある。彼の仕事で使う専門書を取り寄せることができるお店が限られていたのだろう。彼がおそらく若者時代から通っている伝統ある大型書店だが、彼から思い出話を聞く時間はなかった。

帰りの電車で横浜から徐々に郊外の住宅地へ移動する。窓の外は、空や雲、道路や人々、鳥や散歩してもらっている犬など、つまり我々の日常を映画のエンドロールみたいに眺めることができる。知らないことが多く、博識な父の隣にいることは嬉しかった。

現在、用事で都心まで行くことがある。80年代の思い出とは何もかも異なる。都心は人口密度も高く建物も多い。けれども、40年経っても人々の暮らしの側面をエンドロールのように感じることはできる。電車の車窓は、小さな旅を象徴しており、物理的な移動だけでなく、読み解くことが可能なパノラマだ。

窓の外が流れる。
まるで時間のメタファーみたいに。



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三澤直己 | カラストラガラ / Trgr | フォロバ100% ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。