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息子の、私の、卒業式

息子の現地校での小学校生活が終わった。Y1の途中から編入し、約5年半通った小学校。本人はそこまでの思い入れはないようなことを言うけれど、5年半も過ごしたんだから、きっと、いや、絶対、彼の心にずっと残る記憶や思い出はあるはず、と私は勝手に信じている。

現地校には日本の学校のような卒業式はない。カトリックスクールである息子の学校では、卒業式的イベントとしてLeavers Mass (卒業生のためのミサ)なるものはあるけれど、その日、地域のスポーツアワードの表彰式に呼ばれた息子は、そのミサにも出席できなかった。Y6の保護者主催のLeavers Discoも少し前にあったけれど、翌日早朝からサッカーの海外遠征を控えていたこともあり、みんなより早くに退散した。卒業記念イベントにことごとくちゃんと出席できなかったこともあり、息子が本当に小学校を卒業するという実感を持てずにいた、私が。

学校最終日、全校児童が参加する、教会でのミサがあった。こちらは卒業生のためのミサではなく、学期末に必ず行われるミサ。教会は地域にも開かれている場所なので、学校の児童だけでなく、地域の信徒さんも参加している。私は信徒ではないけれど、最後のミサくらいはせっかくだから参加しようと思い、学校から教会へと向かう子どもたちの後ろをついていき、ミサに参加した。一番後ろの隅に席を取った私の両隣には、小学校とは無関係そうな信徒さんが座っていた。

礼拝が始まり、賛美歌を歌うために全員が立ち上がった。そのとき、前方に見覚えのある後頭部が見えた。息子の頭だった。図らずも、私の席から息子の後ろ姿が見えた。その背中は周りの子よりも大きかった。この1年でグンと背が伸びた彼の後ろ姿には、もはや幼少期の可愛さやあどけなさは残っておらず、しっかりと青年への道を歩み始めていることがわかった。

そんなことを考えていたら、賛美歌が始まった。歌の盛り上がりに合わせて、自分の中にも何かが高まっていくのを感じた。サビに入ったときに、その何かが溢れ、同時に涙も溢れてきた。なんで自分が今、泣いているのかわからない。けれど気持ちが高ぶって、溢れて、止まらない。その賛美歌は、息子も娘も一時期よく歌っていたものだった。そのメロディが好きで、私もよく一緒に歌っていた。けれど、ここ数年は2人とも家ではあまり歌わなくなり、その歌もすっかり耳にしなくなっていた。けれど、思いがけず久しぶりにその歌を耳にしたことで、子どもたちと過ごした現地校での日々がいろいろとフラッシュバックしたのだ。

私たちが渡英したのはコロナ禍真っ最中の2020年12月。ほとんど誰もいない羽田空港を飛び立ち、ほとんど誰もいないヒースロー空港に降り立った。年が明けて学校の手続きを終えても、ロックダウン中のため登校はできず、オンライン授業。けれど、渡英したばかりでもちろんまだ英語はまったくできないうちの子たちは、オンライン授業についていけないので、学校から借りた本やYouTubeでフォニックスのビデオを観るだけの毎日。

3月にようやく学校が再開されることになった。注文した制服も届き、編入前に学校の門の前と、近所のアーモンドの木の下で記念写真を撮った。アーモンドの花は桜の花と似ているので、日本の入学式のような雰囲気が出たことに、私は大いに満足していた。

初めて登校した日の2人の緊張した表情は、今でも覚えている。こわばった顔をしていたけれど、事務所の入口で別れるとき、2人ともまったく私を振り返ることはなかった。でも、お互いの手は固く握りあっていた。学年が違うから、すぐに別々の廊下を歩いただろうけれど、きっとぎりぎりまで手をつないでいたんじゃないだろうか。

息子のクラスにも娘のクラスにも、数人の日本人の児童がいたこともあり、二人ともその子たちを介して少しずつ学校生活に慣れていった。周りには日本のアニメやゲームが好きという子が多く、日本に、日本人に好意的な印象を持ってようだくれていた。「アニメやゲームが日本文化だと思われるのってなんだかな~」なんてひねくれたことを考えていた過去の自分をぶん殴りたい。だって、アニメやゲームを通して日本を好きになってくれている子がこんなにもたくさんいるなんて思わなかったし、我が子がその恩恵を受けるとも思っていなかったから。今なら自信を持って言いたい「アニメ、ゲーム、漫画は日本が誇る文化である」と。

もちろん、こどもたちなりに学校生活の中で葛藤や辛いこともあったと思う。先輩日本人の子が助けてくれるとはいえ、それ以外はすべて英語の環境。しんどくなかったはずがない。けれど、「学校に行きたくない」ということもなく、毎日元気に通ってくれていた。まったく期待していなかった学校給食が思いのほかおいしかったということもあり、こどもたちは毎日のスクールランチを楽しみにしていた。毎日帰ってきておやつを食べながら「今日はフィッシュアンドチップスだった」「今日はマッカンチーズだった」と嬉しそうな報告を聞くのが楽しみだった。

渡英前にほんの少しだけ心配していた、人種差別的な扱いを受けたことはなかったようだ。それには、ロンドンという超多文化共生の街で、公立だけれどもカトリックスクールということもあって、イギリス人ではない児童のほうが多いという環境だったことが影響していると思う。「みんな違う」が当たり前の環境であれば、差別は生まれないのかもしれない。

半年も経った頃には、こどもたちはすっかり学校になじみ、英語も普通に話すようになり、姉弟間は英語での会話が増えていった。彼らの適応能力はすごいな、と我が子ながら感心した。いつの間にか、学校にいる日本人の中でも古株の立ち位置となり、最初は先輩日本人の友だちに助けられていたうちのこどもたちが、いつの間にか新しく来た日本人の子を助ける側になっていた。そういう役回りだったこともあり、先生たちから絶大の信頼(特に娘が)を得るようになっていった。どの先生も口をそろえて「○○(娘)と△△(息子)は本当に賢くて、頼りになる!」と言ってくれていた(本当のところ、息子はその信頼されている立場を利用して、ちょっとずるいことをしているのでは…という部分もないではなかったけれど)。

「子どもたちが学校生活を頑張っているんだから、親である私も少しは頑張らねば」と思い、私はPTA活動や学校行事に進んで参加するように心がけた。私自身の英語力はといえば、まったくできないわけではない、けれど問題なく意思疎通できるわけではない、というレベル。会話についていけないことなんていつもだったけれど、それでもいいからとにかく”関わる”ことを意識した。その小さな努力(?)のおかげもあって、こどもたちだけでなく、私もいつの間にか学校の先生、スタッフから信頼を獲得し、なにかと用事を頼まれることも増えた。最初の3年間はかなり積極的に学校に関わっていたけれど、後半の2年半は仕事を始めて少し忙しくなったこともあり、関わる機会が減っていった。今となっては、最後の最後までもっと学校に深く関わればよかったという後悔も少しあった。でも、悔やんでも、もう小学校生活はその日、終わりを迎えるのだった。

家から一番近いという理由だけで選んだ学校だったけれど、結果として大正解だったと、私は信じている。「正解だった」というよりは、こどもたちが「正解にした」というほうが正しいかもしれない。選んだ時点での正解不正解はわからないし、本当の意味でこの選択が正解だったかどうかはわからない。けれど、彼らの”今”を見ていると、ここを選んで良かったのだと思える、そんな成長した姿を見せてくれている。

そんなことを、ミサの間中、ずっと一人で思いめぐらせていた。正直、ミサの中で聖書のどこを読んでいたか、神父が何を話していたのか、ほとんど覚えていない(英語が聞き取れていないということももちろんある)。それでも、私はその日、その時、その教会に、息子と、息子の友人たちと、お世話になった先生たちと、大勢の児童たちと、学校生活最後のミサに一緒に出てよかった。最後のミサに来てよかった。そう感じた。私はクリスチャンではないけれど、そのミサの間はずっと、神に向かって、八百万の神様ではないキリスト教の神様とイエスに向かって、「今日までこどもたちの学校生活を見守ってくださって、ありがとうございます」と心の中でずっと唱えていた。大いなる神の存在を、その愛を、確実に感じていた。賛美歌を聞いて溢れてきた"何か"は、神の愛だったのだ。このミサの間だけは、私はキリスト教を信仰していたと言える。

教会という場所、神を讃える歌、静かだけれど切なる祈り、窓から降り注ぐ光、木製の椅子の硬い質感、のどの渇き、とめどなく流れる涙、こどもたちのざわめきとささやき、先生がこどもたちを注意する厳しい視線と見守る温かい視線、そこで感じたもの、目にしたもの、耳にしたもの、すべてが愛おしい。すべてが美しい。すべてが優しい。そう感じた。そう感じさせてくれることが、神の御業なのだろう。

ミサが終わり、こどもたちが教会から出ていく。すべてのこどもたちを見送り、残っていた信徒さんがいなくなっても、私はしばらく教会の椅子に座っていた。ミサの余韻に浸りたかった。いや、ミサの余韻に浸りたかったのではなく、きっと神の愛を感じていたかったのだと思う。教会を出れば、いつも通り私はクリスチャンじゃなくなる。けれど、そのときだけは、神の愛にもう少しだけ包まれていたかった。誰もいない、静謐な教会の中で、幼子イエスとその母マリア、磔にされたイエス、光さす天窓、光が作り出す影、整えられた祭壇、輝く天井、壁に書かれた祈りの言葉、空っぽの椅子、一つひとつの存在をゆっくりと確かめた。どれくらいそこにいただろうか。きっと10分にも満たなかったと思うけれど、その時間はここ数年間で一番、心穏やかな時間だった気がする。立ち上がり、祭壇の前まで歩み出て、手を合わせ、そして、最後に祈った。

今日までこどもたちの学校生活を見守ってくださって、ありがとうございました。この学校に、出会えたことは、主のお導きによるものだったと確信しています。その御心に感謝します。この学校を離れても、ここで出会った人、学んだこと、感じたことは、この先ずっと、彼らの記憶に、心に、体に、残り続けると信じています。主の愛はずっと、彼らの中にあり続けると信じています。たとえ彼らがそれに気がついていなかったとしても。これから先、彼らの生きる世界が、進む道が、どんなものになるのかは私にはわかりませんが、あなたはご存じなのでしょう。どうか、どうか、彼らが悩み苦しむときには、そばにいてください。これからも、彼らを見守ってください。たとえ私たちがクリスチャンでなくとも、あなたは見守り続けてくださると信じています。それが、主の愛だと、私は今日学びましたから。今日まで本当に、ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。この祈りが、失礼なものであることは承知しています。けれど、これが私の、私なりの、あなたへの信仰です。

教会を出て、道路を渡り、振り返ると、青い空に十字架がすっくと直立していた。そのまっすぐさに、人は祈るのだろう。前を向き直した私の中には、もうキリスト教への信仰は消えていた。

私の中で、卒業記念イベントに出られなかったことに心残りがあり、息子の小学校生活が終わることへの区切りがついていなかった。息子自身は特にそれを気にしているわけでもなさそうだったけれど、私は卒業式的な儀式を経ることで、なんらかのケジメのようなものを求めていた。学校最終日のミサに参加したことで、私の中で、確かなけじめをつけることができた。卒業証書の授与があったわけでも、卒業記念の歌があったわけでも、卒業生の挨拶があったわけでもない。けれど、私にとっては、間違いなくその日が、息子の、私の、卒業式だった。

息子、卒業おめでとう。
5年半、元気に通ってくれて、ありがとう。