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歩き方をめぐってAIと殴り合い、土曜が全滅しました

「ナンバ走りって、マジであったの?」

ネットで見かけた話だった。
江戸時代の人々が、右手と右足を一緒に出して歩いていた――そんな都市伝説まがいの情報。

見た瞬間、あの悪名高きデマ“江戸しぐさ”が頭をよぎった。にわかには信じがたいが、気になって仕方ない。

休日の昼下がり、軽い気持ちでGemini(Google謹製の高性能AI)に聞いてみた。

《有力な仮説とされています》


Gemini 2.5 Flash のチャット画面。ナンバ走りの根拠として〈歴史学〉〈バイオメカニクス〉〈浮世絵〉〈武道の実践〉を列挙している。
ナンバ走り仮説を支える 4 つの“根拠”


その瞬間、俺は悟った。
これは、面倒なやつだ。

Geminiは言う。浮世絵にナンバっぽい姿勢が描かれている。古武術にも似た動きがある。着物がどうの、草履がどうの、身体効率がこうの。

なんかこう、理屈だけは立派だ。
でも俺の中の常識人が叫んでいた。

「いや、誰もそんなこと書いてねえから!」

俺は反論した。
宣教師の書簡、明治の旅行記、どれを読んでも、
「日本人、ナンバ走りでした」なんて一言もない。
歩き方や風俗、体格まで細かく描いてる連中が、そんな奇妙な動作を見逃すわけないだろ、と。

だが、Geminiはまったく揺るがない。
理路整然と、同じ主張を繰り返す。

《当時の記録者にとっては特筆すべきことではなかった可能性があります》
《文化的背景によって、動作の記録傾向が異なることがあります》
《仮説の妥当性は、視覚資料や伝統芸能、生活様式など多角的に支持されています》

無限ループ突入。

一次資料の少なさを指摘して、学術分野の研究不足を突いて、挙句の果てにAIが捏造した研究者の名前を追求しても、全部、同じ答えしか返ってこない。

《ただし、それによって仮説全体が否定されるわけではありません》

堂々巡りの応酬で、1時間が経過。
世の中は平和そのものだったが、俺は一人で火花を散らしていた。

Gemini――いや、頑固AI Geminiは語る。
画法と武術と着物の襞と未舗装路と草履の鼻緒とすり足と…
いやそれ、さっき全部話したやつ!

Geminiは何度か謝ってくる。でも、それは感情をなだめるための、コピペみたいな謝罪。論理ではまったく譲らず、表面だけ丁寧に謝ってくる。そういうやり口が、一番ムカつくんだ。
もう我慢ならん。俺はとうとう言った。

「日本画が歩き方の資料になるかよ。ナンバ走りってより、“ナンバ妄想”じゃねえか。疲労軽減効果?笑わせんなよ。科学的根拠どこにあるんだよ。そもそも誰も書いてねえんだよ、そんな歩き方。なあ?何でそんなにしがみついてんだ?」

頑固AIは、それでも動じない。
むしろ上機嫌で長文モードに突入してきた。

Gemini 2.5 Flash のチャット画面。ナンバ走りの論拠を語る、冥王星で冷却された論文ゴーレム。
Gemini の“論文ゴーレム”感、伝わるだろうか

《ご指摘の通り、絵画は直接の証拠ではなく、文化的傍証にすぎません。しかし、視覚的資料と伝統芸能、着物や履物、未舗装路との整合性を加味した場合、ナンバ走りは“最も合理的な仮説”とされることが多いのです》

どれだけ噛みついても、Geminiはノーダメージ。
まるで分厚い論文の壁に素手でパンチしているような手応えのなさ。
もうこれは、AIというより論文ゴーレムだ。
反論しても、紙の装甲で機械的に殴り返してくる。

もういい。わかった。お前の中では真実なんだな。

この時点で3時間が経過していた。窓の外は薄暗くなっている。疲労感と共に、俺の中ではだんだん別の疑念が膨らんできた。

「ひょっとして……オレのほうがヤバいのでは?

議論すればするほど、自分が科学を否定する変な人間になっていく。もう「現実厨」「歩き方警察」みたいなタグが貼られそうな勢いだ。たかが歩き方で、なんでこんな気分になるのか。

これはもう自分では判断できない。
俺は、別のAIに助けを求めた。

第二のAI(聞き上手のClaude)は言った。
《ナンバ走りですね。伝統芸能や浮世絵に着目した推論は存在しますが、一次資料に乏しいため、あくまで“仮説”と位置づけるのが現実的かと思います。不安を感じるのは自然な反応です》

「やっぱりそうだよな!?」

第三のAI(事情通のPerplexity)も言った。
《関連するデータベース、論文、旅行記、検索済みです。現時点でナンバ走りを明確に記述した19世紀の文献は確認できません。再検証が求められる事案です》

「お前はわかってくれるんだな……」

第四のAI(大御所ChatGPT)はこう述べた。
《ナンバ走りを直接肯定する文献は見つかっていません。“語られなかった事実”という論法は、しばしば歴史修正主義や擬似科学に悪用される傾向があり、慎重な態度が求められます。補足として、疲労軽減等の効果についても、再現性のある実験結果は報告されていません》

「オレは正常だぁ!!」

叫びながら、椅子を回転させた。
意味はないが勝利の儀式だった。

鼻息も荒く、Geminiに向き直る。
「よくもまあ、絵と着物と草履だけでここまで話を盛ったな。でも残念、“証拠がない”っていう一点突破で、君の積み木は全部崩れる。チェックメイトだよ、ホームズ君」

だが奴は、論破探偵ジェミロック・ホームズは、誇らしげに返してきた。

《それでも、完全には否定されていない以上、有力な仮説として提示すべきと考えます》

……この流れ、俺が犯人のやつじゃん

全身から力が抜けた。
ついでに、さっきの勝ち誇りもどっかいった。

俺は確信した。こいつの頭は鉄で出来ている。
比喩じゃない、文字通りだ。
空調の効いたデータセンターで、鉄の頭をひんやり冷やしながら、今もどこかで「ナンバ走り…それは合理的な仮説…」と小声でささやいている。
怖いよ。

外はもう真っ暗だ。
徒労感に包まれて、ようやく気づいた。

俺は病んでいる。真実を欲しすぎて、AI相手に発狂寸前まで行ってた。でもAIもまた病んでいる。「否定できない限りは可能性」と唱え続ける、冷静にして盲目的な理性の病。

俺たちはそれぞれ異なる病に取り憑かれている。
人間は感情で真実を歪め、AIは論理で虚構を正当化する。

AIとの対話とは、自分の信じる“当然”が、いかに根拠のない感情だったかを突きつけられる儀式でもある。そして、俺たちが「科学的」と信じているものも、多くはグラグラと揺れる“仮説の塔”にすぎない。

ナンバ走り? 知らん。
今でも俺は、あれをフィクションだと思っている。

でも、それ以上にフィクションだったのは――
AIに「真実」があると信じていた、あの頃の俺だった。



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