引き寄せ迷子が見つけた、いちばん確かな手応えー 遠回りの人生が教えてくれた“本当の整え方”
「この人を支えられるのは私しかいない」
そう信じて疑わなかったあの日、私は自分の人生を他人に明け渡していました。
離婚後、私はいくつかの恋愛を繰り返しました。相手から必要とされると断れず、問題を抱えている人ほど放っておけない。お金を渡し、借金を背負い、生活が立ち行かなくなるまで自分をすり減らしていきました。
「こうして出会えたのも何かの縁だから」「私が離れたらこの人はどうなっちゃうんだろう」という思い込みが判断を鈍らせていました。それは優しさや愛情ではなく、ただの共依存という名の呪縛でした。
「男運がない」と自嘲しながらも、「自分がもっと頑張ればいい」「私なら大丈夫」「私ならきっと切り抜けられる」と思うことで何とかしていたのだと思います。
生活費の足しになればと様々な副業に手を出し、一生懸命に取り組む。けれど生活を立て直しても、また元に戻る。どれだけ頑張っても同じことを繰り返し、人間関係も形を変えて同じようなことが巡ってくる。その頃になってようやく、もしかしたら私には何かが足りないのではないかと思い始めました。
そして足りない「外側」を埋めようと動き出しました。それが、私と「開運」や「引き寄せ」との出会いでした。
それまでの私は起きた現実に対処することで精一杯で、運を良くしよう、流れを変えよう、という発想すらありませんでした。とにかく何かを変えなければと必死になり、本や動画で学び、開運や引き寄せワークを片っ端から取り入れました。
朝は布団の中で開運言葉を唱え、朝日を浴びる。常に「感謝」を口にし、ネガティブワードは使わない。夜は疲れた体に鞭打ってトイレと玄関を掃除する。感謝ノートを埋め、神社参拝を繰り返す日々。
「60代で始めたFXで豊かな老後を過ごせますように!どうか私の理想の生活が実現できますように……」
日々願う中、チャート画面を凝視する私の呼吸は浅く、肩は石のように固まっていました。「豊かな老後を」「理想の生活を」と願えば願うほど画面上の数字に一喜一憂し、未来への不安は膨らむばかり。
「もっと頑張れば、いつか報われるはず」
そう自分に言い聞かせるほど、股関節には鋭い痛みが走り、歩くことさえ苦痛になっていきました。どれだけワークを重ねても現実は変わらない。私は開運という名の迷路で、完全に行き止まりに突き当たっていました。
そんな時、一瞬の丹田健康術に出会ったのです。
「まずは身体が整っていなければ、思考の癖は変わらない」
その言葉は、これまで私がやってきたことを根底からひっくり返しました。
開運行動も、引き寄せも、ただやるだけでは意味がないというのです。
水分、体温、呼吸、骨の位置。まずは身体が整っていなければ、思考の癖は変わらない。そして、思考が変わらなければ現実も変わらない、と。
教わったのは、あまりにもシンプルで拍子抜けするようなことばかり。半信半疑のまま、体を温め、水の飲み方を変え、呼吸を整え、姿勢を意識する。
すると、あんなに私を苦しめていた股関節の痛みが、ある日ふっと軽くなったのです。
その瞬間、気づきました。
私はずっと「足りない自分」を埋めるために、何かを足し続けていたのだと。
開運行動を増やし、正しさを求め、自分ではない何者かになろうとして、本来の自分の状態からどんどん離れていっていたのです。
引き寄せとは、強く願って何かをたぐり寄せることではない。身体と状態が整ったとき、自分に必要なものが、必要なタイミングで自然と起きてくる。開運とは、何かを手に入れることではなく、自分の状態を整えること。
そう考えた時、今までの出来事が少し違って見えてきました。
あんなに遠回りした人生も、自分をすり減らした過去も、すべては「ズレ」を教えるための大切な時間だったのだと受け入れられました。私はようやく、「頑張ること」をやめてもいいのかもしれないと思いました。
今の私には、派手な成功法則は必要ありません。ただ呼吸を整え、ここに在る自分を慈しむ。ずっと外側に探し求めていた幸せは、最初からこの身体の内側にあったのです。
この選択が本当に正しいのかは、まだ正直わかりません。
でも少なくとも、今までとは違う感覚が自分の中に生まれているのは確かです。これから何が起きるのか、今はただ、静かなワクワクと共に自分を眺めています。
シンプルで良かったんだ。
ずっと探していたものは、最初からここにあったのかもしれません。
ようやく、いちばん静かで心地よい場所に、着地できた気がしています。
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