「田中信太郎―意味から遠く離れて」(世田谷美術館)
「無」を表現する。作品も作者も避けがたく「有」でありながら、それを作品で表現することは想像以上に困難なことと思われます(「無」を意味するゼロの発見は数学史上最大の発見とさえ言われます)。
しかし、田中は作品以前の「無」の状態に、きわめて慎重に自分の表現を置き、「無」の状態を維持しようとしている… そういう風に感じました。それは「有」でありながら「無」を表現しているという矛盾、そしてその中に芸術としての魅力を宿しています。
世田谷美術館という場所もありますが、人の少ない展示室は不思議な緊張感があります。そんな「無」の中で、田中の表現はただその隙間を縫っているだけでなく、その「無」と響き合おうという風にも見えます。展示される彼の作品は一見無機質ですが、その影に注目すると展示室の照明光を受け、新たな光と影を発する形で膨張、ある意味では展示室と同化しようとしている風にも思えます(どちらかというとロスコなどのミニマルやアンビエントに近い系統で、ネオ・ダダ出身というのは少々意外に映ります)。
今回のキービジュアルである1985年の作品《風景は垂直にやってくる》は、明るい赤と暗い緑、直線と蛇行、そして平面と立体を響き合わせたもの。他の作品と比べると具体的ですが、それでも「無」を「有」にはしていないと思ってしまいます。作品の性質上感情を作品に込めにくいところもありますが、ガンからの再起というところで、何か思うところもあったのかもしれません。
繰り返しになりますが、言葉で言うほど簡単ではない、「有」をもって「無」を表現すること。その凄みにやられてしまいました。





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