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「ミロ展」(東京都美術館)

 前回のミロ展は3年前のこと。
 当時の感想を読み返すと「難しいことは考えず「絵本みたいだな」で別に良い」とあって、実際その通りだと思うのですが、今回は少し違う切り口で作品を見ることとなりました。

 そのきっかけになったのは前半に登場した《姫の肖像》という作品。

 この時代には既にミロならではの単純化・記号化は始まっていたのですが、気になったのは緑を赤紫で囲ったドレスの色。簡単に解説すると緑と赤紫は補色(色相環の反対の色)の関係で、補色に囲まれた色は本来の色よりも鮮やかに見えるという現象があります。

 赤・青・黄・緑というような原色を使いたがるミロであれば、ちょっと補色の「紫」を使うのならまだしも、完全に補色の「赤紫」を使うあたり、ひょっとして「計算」しているのかな?と。赤紫は高貴な色とされており、それを緑を使ってより「映え」させようとする発想には合理性があります。

晩年作品より。ミロが使う有彩色は赤黄緑青の心理四原色を使うのが基本。
プラスαで橙(青の補色)や茶、紫はほんの少しだけ使用(使用しないことも)。
ミロの作品は一見テキトーにも見えますが、色彩面では一定のルールがあるようす。

 作品がもっと抽象化してくると、それに伴って実験的色彩もさらに強くなっていきます。前述の通り色相をほぼ原色に限定し、線が面になり、その面が重なって違う色彩が産まれたり、ぼんやりとした画面にコントラストの強い原色を置いてみたり、絵具の質感を変え、アルミ箔を張り、あえてカンバスの下塗りをしないでみたり…

晩年は立体作品にも取り組むようになります。

 色・線・質感に対する考察が、カンバス上での「実験」というような形に現れているように思います。ただしミロの場合、滅菌された「実験室」というより、公園のような遊び場のようなイメージ。限定された環境の中で、ミロはその遊び場を掘り下げているようにも見えます。

 それだけに、戦時中に制作された「星座」のシリーズは見てて切なかったです。
 フランスもドイツ軍に侵略され、フランコ独裁政権下のスペインに戻っていた時代。逃避的な心境で描いたという旨のことが書かれていましたが、少なくとも今回展示された作品にはネガティブなイメージ(怪獣、混沌としたダークな色調)もつきまとい、言葉で言うほど心は単純ではなかったのかもしれないとも思います(たとえばですが、連作の途中過程にある作品のみが展示された可能性もあります)。
 中でも、展示室中央にあった《明けの明星》(1940)に描かれた恐怖の表情は印象的でした。やるせない気持ちをカンバスに向ける一方、以前のように「遊び場」で素直に楽しめなくなってしまっているミロの姿…そういうものも感じます。

 前回はただ無邪気にミロの画面を面白がっていましたが、カンバスの中で遊んでいるだけではない、そこにもミロの人生はちゃんとあるのかなと思いました。あまり政治にコミットしなかったからこそ、政治によっと誇大になっていない、等身大の悲哀というものを内包している芸術家の顔を感じます。
 ミロならば、もっと掘り下げればもっと色々なものを感じられるような気もいたします。後の予定もあったので、1時間半の滞在を見積もっていましたが、2時間を過ぎてもなかなか展示室を出ることができないでいました。

茶色(橙のダルトーン?)を使っているケース。
ビビッドな黄色にぼやっとした、ライト系の青を置くというのも、ミロがやる手法。
背景としてくすんだ赤・黄・青を使うのもミロがよくやる手法です。
白地に紫のドットが印象的。
こちらも心理四原色(赤黄緑青)を用いた作品。
右足だけがじゃっかん離れています。


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