神社で鈴を鳴らすのは神様に知らせているわけではない!?【日本の神社参拝の不思議】
京都や奈良で修学旅行の生徒さんをガイドしていると
神社に参拝する際、生徒さんが
「どうやるんだったっけ?」
などと参拝作法に戸惑うことも少なくありません
お寺と間違えて手を合わせたりしていると、近くの高齢者の方が
「なんだ、今の子供は神様と仏様の違いもわからんのか」
と舌打ちされることも有ります
でも、日本の歴史では神様と仏様が一緒だった時の方が長いですし
大目に温かく見守っていただければと思います
そういえばNHKのアーカイブ映像で明治時代の神社で参拝者が手を合わせて拝んでいるのを見たことがありました
そんな日本人でも不思議に感じる神社の参拝について、観光現場からnoteするのが本ページです
「二礼二拍手一礼」は強制作法ではない
神社で参拝する際、おまじないのように唱える
「二礼二拍手一礼」
でも、これ、実は「こうしなさい」ではないのです
「えーっ、そんなことないよ!」
「神社で参拝方法として貼り紙してたもん!」
はい、そうです
でもこれは神社庁の方が参拝作法が分からない人、迷う人に向けて
「こう参拝したらいかがでしょうか」
と教えてあげているガイドラインみたいなものです
二拍手でない神社だってありますね
有名なところで出雲大社とか弥彦神社では四拍手です
諏訪大社だと二拍手と一拍手だったりします
さらに鈴とか棒とかその神社特有の神器を持ったり、回したりという参拝作法もあります
鈴と言えば、神社の拝殿に吊るしてある鈴ですが
紐が付いていて、参拝の際に引っ張って鳴らしたりしますよネ
アナタはどうして鈴を鳴らすのですか?
「そんなこと知ってるわよ、神様に参拝に来たことをお知らせするのよ!」
ですよね
私もその話は良く聞きます
でも、それって違うらしいですよ
神社に吊るしてある鈴の本当の意味

神社の鈴ですが、実は古来の神社には鈴はなかったそうです
現在でも摂社といわれるもので、大きな神社の境内にいくつかあるお社がありますね
その摂社にも鈴はありません
さらに大きな神社でコロナ禍で拝殿の鈴を撤去(感染防止対策)してからそのまま鈴がないところもあります
つまり神社の鈴は、参拝者が参拝するのに必要なものではないということを暗示しています
では何のため?
本坪鈴は邪気を払い、空間を清浄とする
ここまで神社の拝殿に吊るしてある、
という言い方をしていましたが「本坪鈴」というのが正式名称のようです
本坪鈴を鳴らすことで邪気が祓われて、音が伝わる空間が清浄になるというものだそうです
神職や巫女さんが使われる鈴と同じ祓具の一種というわけです
専門家によりますと
江戸時代ころから神社建築に変化が現れ、大型の鈴が「本坪鈴」として拝殿に吊るされるようになった
それにより神職の神事用具であった鈴が、参拝者が使う(鳴らす)ようになった
ということのようです
ここで似た話、思い浮かびます
そう、仏壇のお鈴(おりん)!
昔の家には仏壇があり、お鈴や木魚が置いてありました
最近の住宅では見かけませんが、修学旅行の生徒さんに聞けば
「田舎のおばあちゃん家で見たことある」
という感じです
あのお鈴はお経をあげる際のタイミングを計る用具(楽器)です
なので仏壇にお参りをする人は線香をあげるのは良いとして
お鈴を「チーン」と鳴らす必要はないのです
とはいえ、仏壇にお鈴があると、つい鳴らしてしまいます
余談ですが、京都の清水寺本堂には大きなお鈴(鐘)があります
現在どなたでも鳴らすことができます
大きな鐘ですので「チーン」ではなく「ゴーン」と鳴ります
世界遺産で国宝の清水寺本堂の鐘、いつまで鳴らすことが許されるか分かりませんが機会があれば是非
(御本尊様に祈りをささげる意識で厳粛にお願いします)
神様へのお知らせではマズイ理由
神社の鈴が神様へ参拝に来たお知らせだとするのは、民間信仰といいますか
少なくとも神社庁が明確に否定している解釈です
「どっちでもいいじゃん!」
と思われるかもしれませんが、神様へのお知らせではやはりマズイのです
なぜなら、少なくとも神様が神社にいらっしゃらないと思われるからです
現在、多くの方は神社に神様がいらっしゃると考え、参拝しています
参拝者の想いと齟齬が生じかねません
それに神様ですよ
鈴を鳴らして知らせるでは不敬なイメージありませんか?
人の家に訪問した際に呼び鈴を鳴らすみたいなので...
神様はどこにいるの?
繰り返しになりますが、多くの方は神様は神社にいらっしゃると思われています
なのでそれで良いと思います
ちなみにアナタはどう考えますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここからは私見になりますが
私は様々な文献などを参照した上でこう考えています
(信仰に関することなので観光ガイドの現場では口にはしません)
太古の日本では神様は岩とか巨木とか川とか自然のどこかに宿られることがあります
しかし基本は清浄な世界(天界?)にいらっしゃる
何らかの機会があると私たちの世界に降臨されることがある
神様が降臨されると私たちは様々なお祭りをして神様をおもてなしする
やがて神様は目的を達せられると神々の世界にお戻りになる
その際に神様をお迎えする場所、留まっていただく場所が神社の起源といえるのではないでしょうか
更に現代の神社は、例え大都会のビルの中にあったとしても
神様と通じることができるパラレルワールドのゲート(門)のようなもので
宮司や神職の方々はその扉を開けることができる...
(ちょっと飛躍し過ぎかナ)
なので神社に神様がいてもいなくても瞬時に神様は参拝者に応じることが可能なので、あえて鈴を鳴らしてお呼びする必要はないのだと理解しています
【蛇足】
最初の二礼二拍手一礼の拍手(かしわで)
あれも、なんで拍手を打つかと言うと、やはり音で邪気を払い、空間を清浄にするためらしいですよ
鈴と同じなわけですネ
そう言えば山伏の法螺貝
テレビなどで、山岳修行をする山伏同士の合図に使うと説明されているのを見ましたが、それはいくらなんでも違います
あの法螺貝も音で邪気を払っているのです
合図だと説明されるのは、何か修行をする最初に清めるため、祓うために鳴らすので合図だと誤解されるためらしいです
邪気を払うために法螺を大音量で吹きます
京都では本物の山伏さんが街頭で修行されることも有ります
祇園祭の際は山伏山に山鉾巡行の際にお見えになります
ガチの法螺貝の大きな音にはビックリですよ
なので大きな話をするのを「ほらを吹く」という語源となりました
「ウソをつく」ではありませんよ
「大きな音を出す」「大袈裟に言う」ことです
山伏さんはウソつきません、念のため
