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ポケモンキッズと旅する 第69回 キモリ|和歌山県和歌山市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第六十九回、和歌山市とキモリです。

和歌山城は、紀伊国の中心に位置する威容を誇る名城です。

江戸時代、この城は紀州徳川家の居城として栄えました。

紀州徳川家の「紀州」とは、現在の和歌山県全域と三重県南部を含む地域を指す、「紀伊国」のことです。

紀伊国の名は、険しい地形の中で豊かな森林に恵まれたこの地域のことを元々「木の国」と呼んでいたことに由来します。

奈良時代、和銅6年(713年)に出された勅令(諸国郡郷名著好字令)により、国名を良い意味を持つ漢字2字で表すことになりました。

これにより、「木の国」は「紀伊国」と表されることとなりました。

U字型をした紀伊国は、険しい山岳地帯に囲まれた地形です。

その中で、最も広い平野が広がるのは中央部ではなくU字型の北西端である和歌山市周辺です。

これが今回、キモリを選んだ理由です。

「紀州」もとい「木の国」の中心であるこの地なら、草タイプのなかでも特に木にゆかりのキャラを、という人選です。

紀州徳川家が和歌山城を居城としたのも、この地の利を活かすためでした。

そしてその紀州徳川家とは、徳川家康の十男である徳川頼宣から始まった分家です。

1619年、徳川頼宣が紀州藩の藩主として和歌山城へ移ってきたことで、紀州徳川家となりました。

紀州徳川家は徳川御三家と呼ばれる三つの家系のうちの一つです。

徳川御三家とは、徳川将軍家の血筋が途絶えた際に新たな将軍を輩出する権利を持つ、徳川の分家三家のことです。

実際、8代将軍:徳川吉宗や14代将軍:徳川家茂は紀州徳川家から迎えられた経緯があります。

徳川御三家の他の二家、尾張徳川家と水戸徳川家の場所については、以前の旅で訪れています。

名古屋については第47回の記事で、水戸については第61回の記事でそれぞれ紹介しました。

和歌山城は、平山城として知られる名城です。

元々あった虎伏山の起伏を利用し、自然の地形を活かした造りとなっています。

和歌山城の天守閣は、大天守と小天守・その他の櫓が結ばれた構造である、連立式天守の一つとして知られています。

連立式天守の他の例としては、姫路城や松山城などが挙げられます。

この連立式天守の特徴は、風雨の影響を受けずに建物群の中を自由に移動できる点にあります。

天守閣に登れば、和歌山市街と紀ノ川の流れ、さらにはその奥にそびえる紀伊山地を見渡すことができます。

御橋廊下は、二の丸と西の丸を結ぶ急勾配がついた斜めの廊下橋という全国的にも稀有な存在です。

西の丸側には、鳶魚閣という趣深い建物があり、庭園に広がりと連続性をもたらしています。

紅葉渓庭園は、西の丸に位置する日本庭園で、初代藩主・徳川頼宣が作庭を命じた庭園です。

池の中央には舟の形をした「御舟石」があり、趣深い景観を作り出しています。

名前の通り紅葉の季節はもちろん、四季折々の美しさを見ることができる空間です。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。