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ポケモンキッズと旅する 第230回 クチート|大分県臼杵市

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第二百三十回、クチートと臼杵です。

臼杵城は、臼杵市街地に構える重厚な平山城(小高い丘に位置する城)で、その丘に立てば、足もとに広がる臼杵の町並みを一望することができます。

ですが、この城の原点は、いま目の前にある丘の姿とは少し異なります。

臼杵城の前身は、豊後国(現・大分県の大部分)を拠点とした大友宗麟が臼杵湾に浮かぶ丹生島に築いたもので、当時は三方を海に守られた天然の要害でした。

大友氏ののちも城郭は整備を重ねられ、臼杵藩の藩庁が置かれます。

戦国時代には薩摩(現・鹿児島県西部)を拠点とする島津氏の侵攻を受けましたが、ポルトガル伝来の大砲を駆使してこれを退け、
一方で明治維新直後の西南戦争では、同じく薩摩方面から進攻してきた勢力の前に落城を喫しました。

城下町の発展や近代以降の埋め立てにより、かつて島を隔てていた海は市街地へと姿を変え、臼杵城は海に浮かぶ城から町を見守る平山城へとその佇まいを移しました。

明治になると廃城となった城跡は、日本でも最初期の公園として整備され、現在の姿へとつながっています。

現在の城跡には、往時の石垣や庭園の面影が残り、かつて城下を見下ろした畳櫓をはじめとする建物が、往時の城郭の景観を今に伝えています。

石垣もこの城の見どころのひとつで、異なる時代の積み方が同じ城内に重なり合って残っています。

7m以上に達する石垣を間近にすると、積み上げられた石のひとつひとつの重なりと圧倒的な高さから、城が備えていた堅牢な構えが伝わってくるようです。

かつて海に突き出した島であったこの丘が、今は市街地の中央に鎮座することとなり、町全体の空間的な基点のように見えます。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Mawile in Usuki, Oita 2 (Usuki castle remains)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。