ポケモンキッズと旅する 第73回 アルセウス|長野県松本市
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第七十三回、アルセウスと松本です。

松本城は黒と白のコントラストが美しい威容を誇る名城です。
ということで、白を基調とした体色のアルセウスを松本へ連れて来ることにしました。

現在の松本城は、江戸時代以前の天守閣が残る12の現存天守の一つとして知られています。
現存12天守とは具体的に、左上から順に弘前城、丸岡城、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城のことです。

もともと深志城と呼ばれていたこの城には、城主の小笠原長時が武田信玄の侵攻によって追放されたという歴史があります。
その後、徳川家康の配下となっていた、息子の小笠原貞慶が1582年に城を取り戻し、松本城と改名しました。

のちの1590年の徳川家康の関東への移封に従い、小笠原家も松本城を去ることになります。

その代わりにこの城に異動してきたのは、石川数正という興味深い経歴を持つ人物でした。

石川数正は、もともと徳川家康の最も信頼する重臣の1人でした。
徳川家康が今川氏の人質だった頃から仕え、勢力拡大などに大きく貢献しました。

ところが1585年に、石川数正は突如として徳川家から離反し、豊臣秀吉の陣営に身を投じました。

豊臣秀吉は、徳川家康をよく知る石川数正を松本城に配置しました。
これは、関東に移った徳川家康を牽制するための人事だったと考えられています。

石川数正はかつての主君である徳川家康の戦略や性格を熟知していたからでしょうか。
あるいは、かつての重臣を対徳川の前線に置くことで、徳川家康への心理的圧力にもなったのでしょうか。

松本城は、その城主の選定を通じて、豊臣秀吉の狡猾な手腕を今に伝えています。
松本城天守閣は、石川数正の息子・石川康長の時代に大まかな完成をみたとされています。

大天守を中心に、乾小天守、月見櫓などが一体となった構造は、戦国時代と江戸時代初期の建築様式が融合した結果です。
大天守や乾小天守などは戦国時代に建てられ、狭間や石落としなどの防御設備がみられます。

一方、江戸時代初期に増築された月見櫓は、全く異なる趣を持っています。
月見櫓には大きな開口部が設けられ、月見に適した構造で、戦いのための建物というよりも、平和な時代の到来を感じさせる造りとなっています。

松本城天守閣におけるこの対比は、戦乱の世から泰平の世への移り変わりを如実に物語っています。
原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。
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