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ポケモンキッズと旅する 第102回 ニャース|岩手県平泉町

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第百二回:ニャースと平泉です。

前回は長崎県、今回は岩手県と、北へ南へ拡大中です。
都道府県別目次ページにおいて都道府県の項目数を増やすべく投稿していきます。

奥州藤原氏は、摂関政治で知られる藤原氏の流れを汲む一族であり、東北の地で独自の勢力を築き上げました。

中尊寺は、850年に慈覚大師(円仁)が開いたと伝えられています。

その後、奥州藤原氏の藤原清衡が大規模な造営を行いました。

藤原清衡らは、砂金産出や北方貿易などで莫大な富を蓄えました。

この経済力を背景に、藤原清衡・藤原基衡・藤原秀衡・藤原泰衡の4代にわたり半ば独立した政権を樹立し、独自の平泉文化が栄えました。

1189年、四代目・藤原泰衡が源頼朝に滅ぼされると、平泉は次第に往時の勢いを失っていきました。

関ヶ原の戦い後には、仙台藩・伊達領にこの地が組み込まれます。

奥州藤原氏が平泉を拠点に独自の文化を築いたのに対し、後に伊達氏は仙台を拠点として、そこを東北地方の中心という地位に確立しました。

現在、参道に連なる緑のトンネルを形成している杉並木は、伊達家が植林させたものです。

1689年、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の旅で平泉を訪れました。

奥州藤原氏の居館跡である高館を訪れた松尾芭蕉は、かつての栄華の儚さを「夏草や 兵どもが 夢の跡」という句に詠みました。

松尾芭蕉がこの地を訪れた時には、奥州藤原氏の繁栄は既に500年前の出来事であり、その痕跡は夏草に覆われていました。

また、中尊寺の金色堂の前では、「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んでいます。

あたかも雨も降らずに残っていた金色堂の姿に、奥州藤原氏の栄華を偲び、感慨深く思っています。

金箔の施されたこの輝きが伝え聞かれるうちに、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に記述された「黄金の国ジパング」のイメージの源になったという説も語られています。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Meowth in Hiraizumi, Iwate 15 (Chusonji temple)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。