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ポケモンキッズと旅する 第111回 ケルディオ|茨城県土浦市

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第百十一回、ケルディオと土浦です。

投稿1周年を迎えました。
投稿数もですが、投稿期間もこうして節目を迎えることができました。
ありがとうございます。

土浦城は霞ヶ浦西岸の低湿地に築かれた平城で、かつて周囲を幅広い堀が何重にも囲まれ、本丸の位置を偏らせた構造が特徴でした。

「亀城」の異名は、小高い丘という立地ゆえに増水時にも水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことに由来した命名です。

桜川から引かれた水が幅の広い水堀となり防御の要として機能しました。

天守閣は建造されず、代わりに本丸の東西に櫓を配置し、多聞櫓で連結する体系を採用しました。

本丸外周の内堀は現在も良好な状態で残り、往時の防御体制を具体的に伝える貴重な遺構です。

平城の弱点である四方からの攻撃に対し、複雑に屈曲した堀の形状が侵入経路を限定する工夫が見られます。

太鼓櫓門は櫓と門が一体化した建造物で、城下に時報として太鼓が打ち鳴らされていました。

戦国時代中期、土浦城の小田氏は常陸太田を拠点とした佐竹氏との抗争の焦点となりました。

関東に徳川家康が移封されることになると、土浦城は徳川家康の次男で、結城氏の養子となっていた結城秀康の管理下に入りました。

関ヶ原の戦い直後には代わって譜代大名の松平信一が入城します。

その後、江戸時代を通じ、朽木氏・土屋氏など徳川家に近い譜代大名が城主を務めました。

土屋数直が入封すると、以降数年の例外を除いた長い間、土屋家が藩政を担いました。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

Keldeo in Tsuchiura, Ibaraki 2 (Kijo Park)

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。次回もお楽しみに。