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ポケモンキッズと旅する 第56回 ミジュマル|東京 御茶ノ水

本記事をご覧いただき、誠にありがとうございます。

第五十六回、ミジュマルと御茶ノ水です。

地名からして、水なキャラを選びました。

神田明神は、奈良時代に創建された由緒ある神社です。

江戸時代初期に江戸城の鬼門守護のため現在地に遷座されてからは、江戸城の鬼門に位置することから、江戸の総鎮守として親しまれてきました。

鮮やかな朱色の社殿と、都心にいることがわかる高層ビル群も見えます。

さて、神田明神の祭神の一柱(神を数える単位は「柱」)として、平将門がいます。

このことで、成田山新勝寺との浅からぬ係わりあいがあります。

平将門の乱を鎮めるため、京都から不動明王像が成田にもたらされ、乱が鎮まったのち不動明王像が成田の地に留まることを希望したため、新たに勝つ寺:新勝寺が建立されたといいます。

平将門を祀る神社と、平将門を討つために祈願した寺院。
このことから、神田明神と成田山新勝寺を少なくとも同日に参拝することは避けるべきだという説もあったりします。


神田明神を後にし、次に向かったのは湯島聖堂です。

湯島聖堂は、徳川綱吉が1690年に湯島に聖堂を移し、後に昌平坂学問所として発展していった儒学の殿堂です。

背景には、儒教、特に朱子学に基づいた社会秩序の確立という目的がありました。

朱子学的な価値観を社会に浸透させることで、安定した社会を築こうとしました。

この朱子学的な価値観には、親孝行や年功序列といった概念が含まれています。

これらの価値観は、それ以前の日本社会にはそれ以降のそれと比べて比較的根付いていなかったものです。

このことを通じて、儒教的な道徳観や社会秩序の考え方が広く普及していきました。

特に、孝行や目上の人への敬意といった価値観は、日本社会に深く浸透していき、現代の日本社会にまで影響を与えています。

江戸時代に確立された価値観の多くが、形を変えながらも現代日本社会に引き継がれていることを考えると、戦国時代と江戸時代の間の違いの方が、江戸時代と現代の間の違いよりも大きい面もあると言えるのでしょうか。


湯島聖堂を後にし、神田川に架かる聖橋へと足を向けます。

この橋は、その名の通り二つの聖なる場所を結ぶ架け橋です。

北には儒教:湯島聖堂、南には正教会:ニコライ堂があります。

聖橋の上に立つと、神田川の流れと周囲の景色が一望できます。

橋の下では、地下鉄丸ノ内線が一瞬地上に顔を出し、そして遠くには、秋葉原のビル群が現代的な景観を作り出しています。


聖橋を渡り切ると、ニコライ堂の威容が目に入ってきます。

1891年に竣工したニコライ堂は、ビザンチン様式の建築で、ドームが特徴的です。

今でこそ高層ビルの間に埋もれている状態ですが、建築当時は高台に位置し、存在感が大いにありました。

建物の外観までなら自由に見学できます。


原寸大や未公開の写真は写真投稿サイトFlickrにございます。

ここまでご覧いただきどうもありがとうございました。
次回もお楽しみに。