ポケモンキッズと旅する 第144回 ヤドラン|新潟県新発田市
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第百四十四回、ヤドランと新発田です。

新発田城は、一見すると完全に平坦な地形に築かれており、他の多くの城とはその立地が大きく異なります。

多くの場合、城は山頂や丘陵地といった自然の要害を利用しますが、新発田城は防御には不利に見える低湿地帯に建設されました。

しかし、この地を選んだ背景には、平地ならではの巧妙な防御戦略がありました。

上杉氏が会津へ移封した後、新発田にやって来た初代藩主・溝口秀勝は、新発田重家の旧城跡を新たな居城に選びました。

本格的な築城にあたり、城の北側を流れる加治川を外堀として利用し、城下町周辺を深い低湿地帯で囲むことで、馬での侵入を困難にしました。

古地図でも示唆されるように、城の三方は馬も入れないほどの深田や沼沢地に囲まれており、敵の接近を著しく困難にしていたことがうかがえます。

歴代藩主が城の防御に資するこれらの湿地帯の安易な開発を許可しなかったのも、要害である城の防衛機能を維持するためであったとされています。

このように、水運の便と防御上の優位性が、溝口秀勝がこの地を居城に選んだ理由の一つと考えられています。

新発田城の築城は、溝口秀勝の入封から50年以上の歳月を要して完成しました。

当時の新発田はほとんどが低湿地で米作りに適さない状況だったため、新田開発と治水事業に重点を置く必要があったと考えられています。

3代藩主・溝口宣直の時代に、本丸を中心に複数の曲輪が配された新発田城がようやく完成しました。

新発田城で最も印象的な建造物は、実質的な天守閣の役割を果たした三階櫓です。

この三階櫓の最大の特徴は、屋根の棟が丁字型であったため、三匹の鯱が配置されている点にあります。

新発田城の石垣には、「切込接ぎ布積み」という非常に高度な技術が用いられています。

これは整形された石材を横一直線に揃うように隙間なく積み重ねるもので、他の城では目立つ部分にのみ採用されることが多い技術ですが、新発田城では広範囲にわたって使われています。
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